1月

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リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』を年末年始の読書として読んでいる。遡ること7年とか8年とか、私は大学何年生かのときにそれを初めてのパワーズ読書として読んで、たいへん面白く読んだ一方ですべてが作者の手のひらのうえで転がされるような、作者がやっているのはできあがったパズルをきれいに美しく手際よくはめていくような、その様子に感嘆したりするだけのような、そんな鼻白む感じもあったように記憶している。パワーズはどれもそうだったように記憶している。それでもどれもそれなりに長大ながらも4冊か5冊は読んでいるから好きなんだろうとも思う。だからそれを再読しているし面白く読んでいる。ただ前回のように感嘆しながら読んでいるという感覚ではなく、それは私が集中してないせいかもしれないし集中しきれないのは私にとってもはや感嘆するものではなくなってしまったせいなのかもしれないしもはや感嘆するものではなくなってしまったとしたらそれはパワーズの作品が実は大したことがなかったということではいささかもなくて私の変化のせいだろうしと書き立てるほどに退屈しながら読んでいるわけではなくて基調としてはとてもおもしろい気分でいる。ただ何かは足りない。何が足りないのだろうか。人が考え込みすぎるせいだろうか。人にもっと動いてほしいということだろうか。私はこの2,3日、暇でしかないからできるだけ動くことがしたいというか移動をしたいと、銭湯に行ったり初詣に行ったりカフェに行ったりをしてどうにかやりすごそうとしているし、たまにはオフラインにしてみようと思ってiPhoneの電池を切って例えば昨日の、だから大晦日の夜から年が明けて1時か2時になるまでのあいだオフにして、テレビもつかなかったから何かと隔絶された感覚に多少なって本に向かったりもしていたけれども、やることがない事態に当然かわりはなく、本を読む以外、やることが見当たらないから、それで珍しく、小学生のとき以来じゃないかと思うのだけど、歩いて20分ほどのところの神社に行くために11時半すぎに家を出て歩き、道があやふやだったが後ろを歩いている人の足音を聞きながら、きっとあの人たちは神社に向かうのだろうから、その、私の後ろを歩く人たちの足音を頼りに前に進んだところいくつかの道から人々がやってきて私の前を歩く人ができたのでその私の前を歩く人たちを追うことで神社に辿り着いた。それはまだ12時を回っていなくて甘酒を出していたから飲んだ。人の列はそうできていなくて、前の家族連れがあと10分だねと言った。視界の先にじゃらじゃらやって賽銭入れたりする目当てのポイントと、その上の部屋みたいなところに人がそれなりにひっきりなしに入っていった。厄除けをしてもらえるとのことで、受付不要予約不要だからせっかくだから神事っぽいことを私も目の当たりにしてみたいような、せっかく珍しい神社に来たのだから満喫したいような気にもなった。後ろは若いグループで、女があと3分といって、それを聞いた前の家族連れの奥さんがあと3分だってと言った。その向こうに待っている人を差して中学生くらいじゃない、一緒の学校じゃないの、と、息子か弟かわからない中学生くらいの男の子にその奥さんはきいた。子どもをおぶっていて、もう一人5つくらいの娘もいた。夫もいた。そのためその奥さんは子どもを二人か三人生んでいることがわかった。まだ若いようにも見えたし後ろの女があと1分と言うとあと1分で来年だよとその奥さんは子どもたちに言って、娘はあと1分で明日だと言った。今年が終わるよと奥さんは言った。来年を迎えるものとして私は並んでいたから、そうかあと1分で今年というのが終わるのか、と意想外な気持ちを持った。あと30秒、それから10秒、5秒からは1秒ずつ、うしろの女は静かだが聞こえる声でカウントした。私は聞きたくなかったし知らぬ間に来年というものを迎えたかったが、こういう場所に来てしまったからには受け入れなければいけないことだとも思ったし0時になったら何かの音が厳か気味な感じに鳴って、それからジャラジャラと鳴ったりして列が少しずつ動き出した。5分程度で私の番となる程度に私は前の方に並んでいた。番がやってくる前に私は何を祈る的なことをしようかと考えて、頭の中でリハーサルをおこなったが、自分の番が近づいてくるとそれを少し忘れて、本番においては一つ祈る的なことを忘れた項目もあった。それはなんだっただろうか。今も思い出せないからそう大切なことでもないのかもしれないが、神事的なことがおこなわれている部屋にあがることは私は臆病だからしなかった。そのかわりに神社の敷地の端の方に歩いて行って夜の上から見る景色を見た。光がポツポツとあり、下を川が流れていた。車はほとんど走っていなかった。黒い景色でも、眼前に何かが広がっている感覚はわかり、見るということは変なことだった。私は夜景的なものをあとにした。火がおこっていた。大きな穴に、いろいろが投げ込まれて、それがときおり音を立てながら燃えていた。穴を取り囲むところになんというのか、境界を作るみたいに護符というのか、知らない、語彙がない、白い紙のやつが垂れている竹か何かの枠があったからそれも神事的な何かなのだろうと思った。まわりに立つ男が煙草をそこに投げたりしていたが、私は臆病だから甘酒の紙コップを投げ込むことはしなかったし、火にくべられる予備軍として物が並んでいるところに紙コップを捨てようかとも思ったけれど、捨てに近寄ったらそこに並んでいるのは神事的な香りのする何か、熊手的なものとかだったので、きっと紙コップを捨てる場所とは異なるだろうと思ったし臆病だったからそこには近寄って紙コップを捨てかけて捨てないという素振りをすることに留めた。参拝客の列は私が来たときよりもずっと長くなっていたので早くきてよかったようにも思ったが、そんなに長いわけでもなかった。甘酒をもらった場所で甘酒の紙コップを捨てた。階段をおりて道路を歩いて家に帰って風呂に入ってからiPhoneの電源をオンにしたが、一度オフにしたせいなのか、今日は100%の充電状況の10分後くらいにはたちまちに1%まで減り、というものになってしまったし、しばらくそのままでいてくれたがあえなく充電が切れるということにも見舞われた。すると再度充電してもなかなかオンになってくれず、苛立ちながら死にかけている右上のボタンを長押ししたり離したりを繰り返して日が暮れた。それはしかし暮れてから、夕飯を食べ、テレビを見、退屈して、眠るふりをしていたら眠り、起き、それからの話だから暮れる前は私はカフェに行った。好きな場所だった。非常に好きな場所で、読書が今日はまるではかどらなかったし、なぜか飲みたくもないものを頼んだような心地があった。それは別に悪いことではなかったが、私は店というものについて考えずにはいられなかったし、パワーズはパワーズ流の写真論を展開しているさなかだったが、前の席に座っていた男性が一眼レフ的な立派なカメラで注文物を撮影している様子を見て気が滅入らずにはいられなかった。現在を記録するために体験の質を半ば放棄すること。私にはそのこととの折り合いというか、どう処理していいのかわからない感情を持った。私は彼にあたたかいうちにウィンナーコーヒーを飲んでもらいたかったし固まらないうちにチーズのトーストを食べてほしかった。何枚も、席を立って中腰とかにすらなってシャッターを切る男の気持ちを理解できないことは全然なかったが、それは果たして正しいことなのだろうかと思わずにはいられなかったもちろん正しさなんてそれはエゴかもしれないそんなことは十分にわかっているつもりだけれどもそれは、その振る舞いは、私には気持ちが悪かった。シャッターを切ることと現在に目を注ぐことの違い。それは本当にそれほど違うものなのか私にはわからないが、寝続けてやっと起きた姉は風呂から上がってくるとテレビをつけたため部屋の静寂が消えて私の現在の思考はなし崩しに現在の状況へと立ち戻らされた。ここは居間のダイニングテーブルでおせちの残りがラップも掛けられずにいくらか置いてある。筑前煮であり、蓮根を酸っぱい何かで何かしたやつであり、伊達巻玉子、甘く煮た黒豆、羊羹、蓋がされているが大根と人参のなますっていうんだっけ、酸っぱいやつと、それから松前漬け、今年はやわらかくできたね、と母と父は何度も言った。こればかりは作ってみないとわからないと言う。イカがどうなのか、漬けてみないとこればかりはわからないと。たくさんのものをしっかり作る母は立派なものだと思う。おせちを作るという文化はしかし私たちは受け継がないのだろうなと思う。この代で終わる。姉も私もきっと作らない。ここで終わる。テレビからやべっちがどうのという実況が聞こえるからナインティナインの人が関わる番組が放送されているのだとわかるしサッカーに関わるものでもあるだろう。私はテレビを見ないというか持たないから、ここ5年くらいはテレビのない生活をしているからテレビに出ているものがわからないが、テレビに出ている人の知らなさのようなものはつい誇示してみたくなる、これだけ私はそういうものは知らないんですよ、みたいな妙な意識がたやすく芽生えるのでそういうものはできるだけ切り離したいとは思う。でもというか、それとは関係なく、やはりテレビの発する音っていうのは心地がいいものではないなというのはこうやって今耳だけがそれを感知している状況でとても思う。とにかく苛立たしい音が流れていると私の敏感でもない耳は言う。障るというのはこういう感じの典型のような音が私の耳を見舞う。だけど今また読み終わりそうなパワーズに復帰したいとも思わないから、一度はここで終わる。と打って終わりにした打鍵を再開したのだけど、特段どうということもない。私は風呂にはすでに入ったし、暇な日が二日、三日、続いて、私は毎日暇なまま年の瀬を迎えたのでこの暇な感じはありがたいという感覚はなくてわりと耐え難く暇だと今年は感じているし、例年私は年越し、年が変わるという事態に対して冷笑的というか、今年も来年も、去年も今年も、もないだろう。つながっているんだよそんなの。去年できなかったものは今年になったからできるわけじゃなしに、何を期待しているんだ、新しい年に、というスタンスでいたのだけど、今年はどうも違う。この区切りが何かありがたく有用なもののように思っている。たぶん、区切りのない日々を過ごしていることも理由の一つだろうしそれだけでもないだろう。私は今年は感覚が異なる。そう思っていたら最近毎日読んでいるほぼ日の今日のダーリンで糸井重里は逆のことというか去年までの私の感覚のことを年末から書いて、元旦もかなり意識的にそれを実践する書き方をしていて、去年の私だったらほんとこれだよ、ほんと、と思ったけれども、今年の私はそれもわかるけど私の今年の気分としてはこれは区切りとして使わせてもらうよ、という感覚だ。だからどうというわけではないけれども、いい予感しかしない、という私の呟いた言葉に嘘は本当にないかは私にはわからない。今日は風呂に、湯船につかりながら、かかとの角質が落ちるようにやわかかくこすりながら、自分を半ば呪詛するような言葉を吐き続けた。呪詛なのか、鼓舞なのか。ただ、今のままではいけないというか、何を目指すんだろうな、というのはよくよく考えないといけないというのは本当にそう思う。今わたしはまるで儲けていないから、儲けるということを目標にすることは簡単なのだけど、目標ってそんなことでいいのか、という話だった。もっと内的な目標というか、目指すべき様子というのが他にあるように思うのだけど、そうでもないのか。というようなことを私は風呂でずっと口に出して言い続けた。風呂の中で動いた私の口はそう間違っていないように思う。ではどうするか、というのは風呂の口が発した問いだ。今答えはもちろんない。テレビがうるさい。ここで終いにしようと思っていったん煙草を吸いに外に出るために立ったところテレビの画面が見える位置に立つことになりそこではフットサルの試合をやっていてそれが面白かった。姉がドアの鍵2つとチェーンもつけていたのでそれを外して外に出て煙草を吸った。冷たい空気があって星もいくつも鮮明にあった。そのあとで煙草を灰皿でもみ消して家に入った。私は鍵一つつけておけば十分だと感じるが姉が鍵2つとチェーンもつけたいならばそれに従うというかそれに従うコストが低いためそれに従った。たぶんそれが私の態度だった。


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