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さっきかあ突然眼精疲労というのか目の億とかがなんかじんじんと、パソコンから離れて他の仕事をしてr9うあいだにというかそのあとからじんじんとしてきて、と同時に手の指の先に軽いしびれを感じて、それが2度怒ったかrこれは眼精疲労と手先のしびれなんだろうということにして、ここ一週間くらい慣れないことというか要らrをうっずっと見ていたりhtmlとかのコードとかをずっと改定有りとかそいういうことというかとにかくずっとパソコンの画面を司祭にいてみていたという感じがあるからrそれで疲れがきたのかmそいrねあい。今日も営業が終わったrコードをどうこうちしようかとか思っていたけれどこれはやmておいた方がいいというkとなのかmしれないと思ったのでやめることにした。きょうは本を読もう、とも思ったここのところでzん前読んでいない。それよりもやらないとというか熱中してしまったことがあったからで、だから全然読んでいない。フォークナーも寝る前に少し読むくらいでzねえね進まない。クリスマス。が表に出ていた。それから今日は必死ぶりに承前とした日だった。雨のせいと思う。雨が降っているのがしんどいかなしいつらい。お客さんが来ないとかそいうう影響とかそいう話ではなくて津雨が辛い。暗い。目が疲れた。だからさっきからこれは一度もディスプレイを水にウッチ得るわけなんだけどどうなっているのだろうjかウッチ得るし指が疲れたから可動域が少ないというか力みがゼロな家事で打っているからさっきからう¥打ち間違いはたくさんしていると思っている。目が疲れた。夢ばかり見る。ジェットコースターに乗らなかった夢とかを最近は見た。今朝はうどん屋だか蕎麦屋だかを紹介してモラタ夢を見た着たする。うまく、ふるまえなかったな、と反省した夢を見た。うまk振る舞うことなんてできやしない。うまくふるまえてい。いややめておこう今日はネガティブな気分におかされている。いつからか、昼くらいからか。忘れた。昼寝したあとからか。zすごく眠かった。昼も夜も暇だった。それでいて雨だた。昨日やれることは一通りやった気がした。だからもう何もやれることが、10日後くりあまっでは何もというくぁえではないけれど些細なことしかできないから、sの虚脱感もあったのかもしrない。なんせ、hamlなんて僕には打てない。いや打てないわkではないだろうけれど、僕がちまちまtお打つよりも教わった方がずっと早いことというのが世の中にはクソほどあるわけで、コードを打つことはまったくそれdから昨日、だいたいできるとこrっは終わったkラ、気持ちも一緒に終わったのかsも淹れない。

表現。という言葉を思う。読書日記をつけたい。書き出しはこうなる。htmlのコードとかをずっと書いていた、だから本はmるで読んでいない。たまに暇なときに岸政彦と雨宮、雨宮姓の著名な人って何人かいて僕は違いが知らないからやっぱりw擦れてしまった。岸政彦と雨宮さんの対談というか雑談の本をたまにめくった。岸政彦の視線はほんとうに、僕は本当に真摯というか優しさというか凛とした優しさというか倫理的な態度だと、とても強く思う。広さがあるし、それでいて同時に、なんだろう感情みたいなものに大して嘘を言わない感じというか、とにかく信用というか信頼できる、好き。あとバールボッサの方の最近出た本もちまちま読んでいる。だいたいnoteに一回書いてあった呼んだことのある内容になっている。noteもこうやっていつか本になるのか、と思うとなんかすごいなと思う。バールボッサの方も僕はどうも妙にリスペクトみたいなものおをしているところがあり、楽しく読む。あとフォークナーも読んでいる。クリスマsが何か表にでてきた。日記、日付を最初に淹れないと。忘れてた。9月19日か20日、本を読んでいない。ああたmが気持ち悪い。眼精疲労。指先のしびれ。医女。


 

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頭が起きすぎていてまるで目が眠らない。いつからだったか、たぶん木曜日から、水曜日くらいからだったか、とにかくずっと、ずっとずっと仕事のことを考え続けている。そしてそれは僕の中に芽生えた久しぶりの欲望、欲望は言い過ぎというか種類が異なる気がするから興奮、興奮も違うような気がする今は興奮な気がするけどこなすべき課題、こなすべき課題で、それが明確というか考えないといけないことが山積しているような気に突如なって、それをずっとずっと考えていると時間が全然足りないように感じている。健康的な焦りにも思えるし、この猪突の具合はどこかでふっと電源が落ちる、それも遠くない未来にふっと電源が落ちる、そうなるような不自然な焦りにも思える。とにもかくにもずっとずっと考えている、読書会のことはそれの一端として浮かんで実行にすぐに移されたことで、他にもいろいろなことを、ちょっと手に負えないような範囲の数々のことを、同時に考えないといけないと思うけれど同時には考えられない数々のことを、考え続けている。考えることがこんなにも目の前の暗さを消してくれることだとはちょっと思わなかったというその程度に、考えることは僕に明かりを投げかけてくれる、光。これまでだったらただのうだつのあがらない暗い鬱屈した一日も、一生懸命考え続けている限り意味のある意義のある未来に投げられた一日に感じられて、そうなるとがぜん、面白い心地になる。不思議なもので。その反動というかそのしわ寄せとして本を読む気にひとつもならない。寝床に入ってからちびちびとフォークナーを読んでいるがそれ以外の時間に本を読む気にならない。昨日からはフォークナーすら置かずにノートになにごとを書きつけながら寝に入るという様子になってすらいる。本を読む欲求、それがこんなふうにしわ寄せを食らってかき消されるものだとは思ってもいなかった。これだけ前のめりになるそれだけ僕は追い詰められていたのか。今日は『チリの闘い』を見てきた。休みだったから見てきた。それも行くまではそれよりも考え事をしたいような気がしていた。二部まで見たら三部は後日に回して考え事をしにどこかに行こうかなどと思っていた。しかし実際には二部まで見たら三部まで見ざるをえない興奮を映画が与えてきたのでそれはそうならず三部まで通して見ることになった。そして三部は、退屈とは言わないし工場萌えとして見ればそれもいい気がするけれど、二部までのテンションとは異なる様子だった。しかし三部の、何度も流れるあの牧歌的な音楽のなかで駆ける、大きな大きな荷を引きながら駆ける少女のあの賭け方はなんだったのか。重力がどこかに行ってしまったような賭け方だった。どうしてあれで前進できるのか、納得がいかないような軽い軽い賭け方だった。三部は確かに、映画としてはというよりはチリクーデターの鮮烈な物語としては傍系に位置するようにも思えるけれど一方、労働者たちのあの物語は僕はこれまで知らなかったから、それは見られてとてもよかったのかもしれない。考えてみれば、イサベル・アジェンデにしたってアリエル・ドルフマンにしたって、ガルシア=マルケスにしたって、あの労働者たちのただ中で生きていた人間ではなかった。だから描かれなくてもしかたがなかった。工場を接収した労働者たちの、あの素朴で誇りに満ちた、凛々しい顔。凛々しさと誇りはしかし素朴で、簡単にやっつけられてしまうであろうことを見る者に思わせるあの顔。それを見られたのはよかったのかもしれない。帰り、カフェで長々と作業をしていた。よくもまあこんな中途半端なものを出す気になるな、と思わせる飲み物を飲んだ。美味しくないわけじゃなくて、中途半端。洒落たもののつもりなのかもしれないけれど、そこには誇りも凛々しさもなかった。何杯でも飲めるような気がする夜もあれば、ビール2杯で酔っ払う夜もある。一人だとすぐに酔うのかもしれない。人と飲むことはある程度の自制心のようなものをもたらすのかもしれない。ビール2杯で変に酔っ払った。眠らないと、明日がもうやってきてしまう。打っていたら眠くなるかもしれないという発想自体が間違い以外なにものでもないが、やはり間違いだったためまるで眠くはならなかった。眠らないといけない。


 

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無惨な夜が終わろうとしているあるいはよるがはじまろうとしている。午後から始まった虚無の状態が元は読みたいと欲望する本がわからないということに起因していたわけだけどそれが実にスムースに添加された格好で今こうやって別の理由から虚無というか動悸くらいんところいいっている、なんkはもうくぁりと稿はm痛いなhいんgmhr婦na irhj理は編みrなwpm場青か要るいこんbはbrbjっhmrジウtjkmkは今kr地味マリナ困りjなmkrジャイアr伊万里r枚rいm』治りいおあのッrh言おあり鳴りッッッhらなロイhンらのいrhランオアhロhなrンン;ンラ;おいらな;李jならん;アインr;案ンランラ;んinらな愛rんマジアr』あんぁああ:手に穴k内j内案bのああえhrんmwhwんガウへお魔:@じょzんかrh歯』wなhらいhが悲哀hにひrhがなこれhがないてゃんbなrhtなっっkhがりおっrひなんちえうかなんていうか打つ気がちゃんとおきない脱力が今あるわけだけどkなしい、それなりにかにrにい。いやよくwかならいんだな、そうんなんんですねえええ。hなんだろうな、無なっしさ、おそれ、さまざま、ある、けれど、この、だから、ひとに、ひつようとされたい、ということ、につきる、のだろうか、ひとに、ひつようとされたい、ということに、つきるの、だろうか、ひとに、ひつようとされ、たいというこ、とにつきる、のだろうか、ひとに、ひつよ、うとされた、いということ、につき、るのだ、ろうか、人に必要とされたいつまり今ボクは人に僕は人に必要とされているとまるで感じられない時間をあまりに過ごしすぎている人に必要とされているとまるで感じられない時間をあまりに過ごしすぎている自分が選んだ道か。自分が選んだ道か。自分が選んだ道である、ことはたしか、だが、必要とこんなに、されない、とはまるでお、もわなかった、というのは読みの甘さか。読みの甘さだしいろいろの詰めの甘さなんだろう、僕じゃない人間がやっていたらもっとうまいことやっているのだろう。僕じゃない人間がやっていたらもっとうまいことやっているのだろう。僕じゃない人間がやっていたらもっとうまいことやっているのだろうそういうことを云うと言うと、いややめた。くだらならいからやめた向井秀徳が座禅のファーストで勝ちにはいかないしょんべんくせえからと歌っていてかっこうよかった、1st。1st.ファースト。で、うたっていた。2んd、2nd.セカンド。では椎名林檎がよく登場していた。これまで座禅は3rdから好きだった、でも昨日今日で1stと2ndも好きだった。勝ちにはいかねえしょんべんくせえから。乾ききった女の股ぐらのようだから。と歌っていた格好が良かった。足の、右足の親指の、詰めを切ったところが三日前から痛い。岸政彦の『街の人生』を買ってきた。今日が終わったら全部が、終わる、というわけではないのでそれを読んみたい。まずいな、と思っている、まずいな、と思っている、まずいな、と思っている、憤怒、怒り、が9月17日から始まる、のを見に行く、いつからそれが楽しみな公開情報になったのか知らないがそれを見に行く、チリの闘いは9月10日からで3部作全部見る時間をうまく取れることが願われる、願わくは願わくば願わくは願わくば、ねがわあくううううううあば。まずいなあ、まいったなあ、まいったなあ、と思っている、きついなあ、きつい、きつい、きつい、きつい、きつい、ともおっちるrm.こんな場所は


 

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リーダブルに、ということがそんなに大事か?大事なのか?知らないけど、店のブログを書いていてどうでもいい内容すぎる、あそうかこれはリーダブル問題じゃなくてどうでもいい内容すぎる問題だった。どうでもいい内容でなにがいけないんだ?そんなにいけないか?知らないけど、店のブログを書いていて下記が書かれて溜め息をついたのだけど結局これは使われないで本当に短く削った新しいジンを入れましたという内容だけのもになって公開されて溜め息をついたのだけど結局これは使われないで本当に短く削った新しいジンを入れましたという内容だけのものになって公開されて溜め息をついたのだけど結局これはすtかあれないでほんつにめいじかうけじゅずったい新しい腎を入れましたという内容だけの門おになって恋勝ち得られえてため行くぃおついたのだけおdk血虚っkレオはルs回折れないでょん等になんってかおうんた新しいイア内tnヲイrましたという内容にだけんきなって後悔sれたのだけど溜め息尾をつかたのだk土けきょっっっっこれはs疲れないので穏当に時j書く削った新し眞露いらしたというのたいyどうあけのもになって後悔sれてン溜め息rをtkたうのだkどけこくこれkこれは使わr内で飲ん等に意地ジャック削ったアタr仕入ジンを入れましたという名王だけdのものになってコカリ得れてふかうふあはjかいっはか深い深いは迂回不快は羽化いふ会はうかはうj回深い溜め息をついたのだけおd

 

そのときどきのジン ミッケラー ボタニカルジン

 

 

「「「昨日ヤクルト対中日の試合を見に神宮球場に行く前にワタリウム美術館でナムジュン・パイクの展示を見に行く前に丸善ジュンク堂でJ・G・バラードの『殺す』とジョン・クラカワーの『信仰が人を殺すとき(上・下)』を買ったあとに道玄坂の信濃屋に寄って買ったのが掲題の「ミッケラー ボタニカルジン」であり、ミッケラーというとデンマークのビール醸造所で神山町っていうんだっけ、奥渋谷、あすこにお店があって行ってみたいと思っていたらどうやら閉めたらしくてでもWebを見ると「STILL ALIVE!」と書いてあってチャーミングでいいなと思ったけれど店でもなんでもそうだけど行ってみたいと思っているうちに行っておくべきだなと思う。しかしなんか、ググッていたらミッケラーはnomaのハウスビールを手がけているっていうのがあって、「ノーマってあれでしょ、ガストロノミー的ななんかあれだよね、えーてか世界一のレストランなのか!えーすごいそんなところのビール手掛けるってすごい!というかそういうなんかすごいたぶんものすごい立派なところでもビールって出すものなんだなーと思うとミッケラーもすごいのだけどビールという飲み物がすごいというかビール偉大」とか頭の悪さがジュクジュクと滲み出るようなことを第一の感想として思った。

 

で、そんなミッケラーさんのジンは「大人気ホップ「シムコー」ベースのエールに、ジンの主原料であるジュニパーベリー、レモングラス、カルダモン投入し、丁寧に蒸溜しました。スムーズで、柔らかな口当たりは、プレミアムジンの様相。シムコーホップ由来の心地よいビターホップフレーバーが、素晴らしい余韻となって現れ」るそうで、まだ開けてもいないのでわからないのだけど、僕が飲んでみたところで門外不出のテイスティングノートには「おっほっほー、おっほっほー、おいしいでやんすー」くらいしかどうせ書かれないのだから、構いはしない。いやもちろん飲むんだけど、飲んで「うん、おいしい」とだけ思えばいい、それでお出しするときに「とってもおいしいです!」と言えればそれで十分なのだけど、

 

前回のジンの「光遠IP-01」が終わったので」

 

と書かれてから10日くらいが経ってしまったらしかった。10日は言い過ぎかな。野球を見に行ったのは25日だったから1週間くらいか。この目でホームランをたくさん見たんだよ。

僕は今シーズン4回野球を見に行ったのだけど、その4試合で11本のホームランが打たれた。1試合あたり2.75本だった。8月26日くらいの時点で計算してみたところ今年は1試合あたりのホームラン数は1.48本が平均だから、それよりもずいぶん多くのホームランを見ることができたその幸運を神に感謝したい。それから預言者ジョセフ・スミスに感謝したい。まったくそのとおりに、アーメン。」

 

と書かれてからまた2,3日が過ぎて今9月3日の土曜日さらさらと雨が落ち始めたらしかった。ミッケラーのジンはけっきょく昨日の夜に初めて飲んだ。書かれることになったのは「おーwww おいしい!www」だった。実に充実したテイスティングができ、その夜1杯目のアルコール摂取だったためか2分ももたずに飲みきられた。おい&Co.,Ltd.だった。つまりおいしさに限界はないってこと。」

 

と書かれてから2分ほど経った。なんかほんとなんかこう、なんかなんていうかこう、ジンについて書こうと思ったはいいけれど特に書くことなかったな、ということらしかった。


 

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ぼやぼやと生きているうちに営業のはじまりの時間がやってきてその時間を生きることになるというかなった、のはいつもの通りということであったか忘れたが髪を切りに行ってそれからジムに行って30分の走行活動をおこなってちょっとしたら営業開始の時間がやってきた。昨日妊婦にいただいたクレープ菓子を食っているところ「添書」に「クレープの食感が強く感じられる事がございますが、品質には問題はございません」とあって、「クレープの食感が強く感じられるんだけど!」というクレームがいつか付けられたのだろうかと想像すると、想像すると。

神について考えている。ここのところずっとそうだ。神について考えている。クラカワーの『信仰が人を殺すとき』を読んでいるせいだと思うけれど、ここのところずっと神について特に何かを考えたりしてはいない、信仰について考えたりしているわけでもない。何について考えて生きているんだろうか、ひどくつまらないことだけを考えて生きている。ひどくつまらないことだけを考えて生きている。ひどくつまらないことだけを考えて生きている。ひどくつまrなあいこことだけをいkんkなげrていkてう。

kらだなりことをいいtなあgラこやってくらいしているうちに本当にくあだなり人間になているまsってりうちおうかsdねいいなているのかともうと気分がいちいるjぢうりく家内rくなるからyっこない。だから本を読んでいた。立ち読みしていた。すると扉が開いたので初めて営業が始まった。チリの闘いを見たい。映画、映画。映画。8月。9月、そうすると10月。どうなっていくのだろうか。虫の音が後ろのドアの後ろからずっと聞こえている気がするがもしかしたら何かが軋む音だろうか、もしかするとそうかもしれない。僕は上手にやれない。このあれのなかで僕は上手にやれない。筒香は上手にやれる。ピッチャーに入っていく感じ。体ではなく中が、中がピッチャーに入っていく。そんなイメージで俺も暮らすべきか。殺すときを今晩読み終えたら殺すを読み始める。きっとそれですべて救われる。


 

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grouper、がうたっている、グルーパーが、うたっているよ、いつかのというかいくらか前のものを今目に入ったので読んでみたところこんな言葉を打ち付けていただろうかという言葉が羅列されていて読んでいるとまるで恋に破れるか恋に破れそうな人間の言辞に見えてそんなものは僕の暮らしのなかに見当たらないから不思議に思っていたところグルーパーが今夜もうたっている、トイレで、開けたらグルーパーであるところのリズなんちゃらさんだったか、不機嫌そうに素敵な演奏を風邪気味っぽい様子でおこなっていたかこれからおこなうところであるところのグルーパーであるところのリズなんちゃらさんだったか、ポートランドで活動されているか出身かだそうであの時分は僕はポートランドと言われてもポーランドかと思ったかニューヨークの近くの都会なんだと思ったかのどちらかだったから何もポートランドじゃわからなかったのだけど鍵の掛かっていないトイレを開けたらリズなんちゃらさんだかグルーパーさんだかがいてごめんなさいと英語か日本語で僕は言って扉を閉じた、僕が悪いわけじゃいささかもない。いささかも。これっぽっちも。悪くない。僕は悪くない。悪くない、悪いのは僕じゃなくて僕を理解してくれないこの世界というか環境というか僕を理解しようとしてくれないいやそんなことはない悪いのはなんだ悪いのはなんだろう少なくとも僕ではない僕はなにも悪くないそういうふうに思ってときに苛立ちながら焦りながらそれを発しながら今日の今日まで生きてきた、のだったか。信仰が人を殺すときを読んでいるがそう熱する気配もなくモルモン原理主義が一夫多妻で14歳の女の子を孕ませるということが書かれていたのが第一部だったそれから預言者がなんにんもあらわれるということがわかった啓示がおりてくるから自分が選ばれた男だということが男、人間だということがわかるから彼らは自費出版で本を出してモルモン教のほんちゃんの方から破門されたりする。1800年代には迫害されたりしそうになってずいぶん虐殺されたり反撃したりする。そこまで読んだ。

ここまで書いて1時間ほどが経った。その間は仕事をまじめに執り行っていた。

ここまで書いて1時間ほどが経った。その間はろくでもないことを考えていた。

ここまで書いて5時間ほどが経った。その間は仕事をしたりイラレを弄ったりしていた。もちろんExcelも。


 

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月をまたぐと思っていた通信事業会社の変更手続きは思った以上に早く新しいsimが届いたために今日滞りなくおこなわれた。月をまたぐと思っていたためauのポイントを使ってしまうためプリペイドカードの発行手続きをおこなったが、それには及ばなくなった、他にどうにか使いみちはないだろうか、と思ったところauショッピングだとかなんだとかいうところで書籍が売っているということだったので雑誌を3冊買ったらだいたい使い切れたのでそれでよしとした。&プレミアムとNumberとWiredを買った。カルチャーのあるカフェ。特集。なにも言うまいというか、なにも言うまいというか、なにを言いたいのだろうかこの口というか指は。今月が終わろうとしている。さみしく今月がおわっていく。心細く今月が終わっていく。しずかに今月が終わっていく。というとタイミングなのでExcelいじりをおこなっていたところ実にさみしく今月が終わっていくことが身を持ってしれて、夏休みを取ることも特になく切れ目なく働いてきたのにこんなさみしい数字になるなんて、本当にクソみたいにうまくいっていないことが手に取るようにわかって手が激烈に痛い。手に激烈な痛みが走る。それを味わう。味わっているうちに手の感覚がなくなっていく。かなしみ。かなしみはかなしみでありつつ、夕方のあいている時間に新しいSIMをぶっさしてUQ mobileへの移行をおこなうことは非常に気持ちの高ぶるものでもあった。この高ぶりは、なんなのか。変わることはただ月々の通信料だけで、それが5000円以上安くなる、それだけなのだけど、何に上がるテンションなのか、「篆書(てんしょ)」、テンションなのか、値段が下がることというよりはこれまでのauでの誰でも割であったりLTEどうのこうのであったりという7000円くらいを構成しているものの不明さ、理解の及ばなさ、がなくなりただシンプルなものになる、

とここまで打ってからずーーーっとろくでもないことを考えていた。ろくでもないこと考えすぎて頭がおかしくなりそうだ。そのろくでもないこととは関係ないけれどもずっとというかしばしば、通信料がバカみたいだと思っていた、かなりほとんどの時間をwifi環境のある店で過ごしているし電話をこちらから誰かに掛けるような機会なんてないのになにに7000円も掛かるのだろうと思っていて、でもモバイルデータ通信が一切できなくなるのはやはり外出時に困るし何か手段はないのだろうかと思っていたので、たまに、なので今回のMVNOに遅まきながら辿り着いたことはいいことだった。しかしずーーーっとろくでもないことを考えていて仕事も手に付かない、いやこれも仕事のことなのだから仕事にかかりきりになっているとも言えるが。

更新しようと思ったらサーバーのDNSアドレスが見つかりませんでしたというエラーで開けなかった。同じことが店のWebでも起きた。と思ってiPhoneで開いたらやはり最初サーバーが見つかりませんでした、と思ったら何度か試していたら開いた。店のWeb、このブログ、ともにエラーと思いきや大丈夫だっただから、でもiPhoneでもエラーはいったんは出ているから不穏なのだけど、とりあえずChromeのせいということにしておけばいいのだろうか。

やっと開いた


 

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バラードの『殺す』とクラカワーの『信仰が人を殺すとき』を買ったのは前回の休みの日で後者を今は読んでいるため今朝は昨日久しぶりにやっとという感じで休肝日にすることができてその影響ではないだろうけれどもずいぶんと早い時間に目が覚めて目覚めのコーヒーを淹れているうちに眠くなっていったが起きていることにしたため時間もたっぷりあるしゆっくり『信仰が人を殺すとき』を読もうと思っていたところ先日のPCデポの問題から派生して書かれた大手通信会社の2年縛りのプランの表示方法も同じくらいに害があるというような記事を読んでいたところそれのブコメで「MVNO」という語がでてきて、僕はMVNOというと「なんか安いなにか」くらいしかわかっていなかったのでググったりしたところ「これは絶対auに毎月1万とか払っているより解約の1万払ってでも今すぐこっちに乗り換えちゃった方が賢明、となったためそれを調べたりしていた。auにMNPの予約の受付ので電話を掛けた。するとauポイントが3000円分くらいあると言われたが、それをやっていると解約までに月をまたいでしまうためそうすると月々のauへの支払いが9月の分が発生してしまうため足し算して引き算したところ「別にいいや」と思って番号だけ発行してもらった。mineoというところのにしようとしていたところ、UQ MOBILEへの乗り換えであれば解約金1万円とUQの登録費用3000円が掛からないで済む、という話で、UQを調べたところmineoより170円高いだけで、13000円を170で割ったらいくら経ってもmineo使うよりもUQ使う方が安いのでUQがいいような気がして、そうしていただくよう伝えた。それでauのUQにつなぐ係の方から電話があっていろいろのやりとりをした。電話の口頭でクレジット情報を伝えることに対してすごく抵抗があるのだけれども人はどう感じているのだろうなと思った。もちろんweb上で打つのだって似たようなリスクはあるんじゃないの?と言われたらそうかもしれないのだけど、なんでだか口頭のほうがとても嫌だと感じる。それで解約がどのみち月をまたぐことがわかったためそのあとauポイントをコンビニで使えるポイントにするためにプリペイドカードを発行するとかいう話だったのでそれの係の人に電話をした。Webで済ませてもよかったのだろうけどなんとなく電話で済ませたかったので電話で済ませたところ一番最初の電話でおこなった住所変更が次の電話でも反映されていなくて再度言わされたのだけどこの電話でも反映されていなくて再々度言わされることになってさすがに辟易した。最初の電話のかたが時間を掛けて「反映…されました!」と言ったのを聞いた覚えがあったためというかその「タメ」みたいなものを記憶していたから、それでも反映されていないということに対してわりと「いったいどのようなシステムなのだろう」と思わざるを得なかった。それでプリペイドカードが1週間後に届くことになったのでそこにポイントを移したらコンビニで金麦が20本買える予定になったのでうれしくなった。そのあとUQのサポートセンターのようなところに「しかしiPhone6は動作確認端末に入っていないけれど使えるのでしょうか」ということを問い合わせるべく問い合わせた。最初にauの方から「であればUQであれば」という話で斡旋された、KDDIというずいぶん立派げな会社からオフィシャルに斡旋されたのに、そのUQのWebを見たらどこにもiPhone6が使えるとは書いていない、のでこれは確認しておいたほうがいい、と思ってUQに電話で確認したところ「使える」という。少し前までは載っていたそうですが載せなくなったのでしょうか、と問うと「そうだ」という。なんで消したかは社内のあれなので言えない、とのことで、UQ mobileはiPhone5sのなんかのキャンペーンをやっていてその兼ね合いでのなにかなんじゃないかと推察した。が不親切というか、不親切だなと思う。不親切だしきっと不誠実なことをやっているんじゃないかなと思う。なので、だしいくらか前にもwimaxのなんかグダグダしたこともあったしUQという会社か何かにはあまりいい印象を持っていないのでやっぱりmineoにしようかとも思ったが13000円が取り払われる魅力には屈することにしてUQにすることにした。UQは1年以内の解約が1万弱掛かるが1年のうちに解約することもないだろうし解約したとしてもauの1万円払わなかったから相殺というか1万円が宙に浮き続けるというかどこかに運び続けられるというふうに思っておけばいいようなのでUQでよいだろう1年を超えたら俺の完全勝利になる、それだけの話だ。ということをしていたら大慌てで店を開ける準備をすることになった。


 

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825 ヤクルト中日 10-9(3)

719 ヤクルト横浜 8-9(4)

615 日ハム横浜 3-2(3)

524 ヤクルト阪神 5-7(1)

1試合平均2.75本のホームランを見ていることになる。今年のこれまでの12球団のホームラン数を試合数で割ってみたところ1試合平均1.48本のようだから、ずいぶんホームランを見ていることになる。昨日はバレンティンのホームランを2本と堂上のホームランはしかし席を外しているタイミングだったので見逃したがそれでも2本は見ているから、1.48本よりは0.52本もたくさんホームランを見ることができた。ホームランだけが野球の華ではないけれど、最後ワイルドピッチで終わったゲームでそのワイルドピッチにも華があったしバレンティンは7打点も挙げておきながらヒーローインタビューに出てこなかったのは先に帰路についたのかもしれないと思ったがもちろんそういうわけではなかった、のだとは思った。昨日のヤクルト対中日の試合はもっともいろいろなことと関係しない試合だった。もちろんヤクルトもまだCSへの出場の可能性はまったくもって残しているのだけど、もっともいろいろなことと関係することから遠い試合であることには違いなかった。その裏で日ハムが奪取を賭けてロッテと戦い、ホークスが首位を守るべく楽天と戦い、広島がマジック点灯に向けて巨人はそれの阻止及び1ゲームでも詰めるために相まみえ、CS争いで肉薄してきた阪神がDeNAと戦った。ヤクルトと中日はもっともそういういろいろなことと関係することから遠いゲームであるかのように、見えた。かのように見えたし実際その通りだったが、大引、鵜久森、今浪といった日ハムからヤクルトに移った人々のがんばりに、目頭を熱くしながら試合を観戦したかのように、見えた。かのように見えたし実際その通りではなかったし客席でうら若いビール売りから買うと700円の生ビールも下の売店では350円で買えることがわかってしまって以降そこ以外でビールを買う気にはどうしたってならなかった、うら若いビール売りから買ったところで買えるのはビールと愛想笑いくらいなもので、しかし愛想笑いが350円で買えるならそれは決して悪いことではない、買うべきだったかもしれないと今、初めてそのように思ったかのように、見えた。かのように見えたし実際はそういった後悔をしているわけではいささかもないのだけれども今浪の顔が、右の半分が今、このメモのウィンドウの陰から覗かせている。目、眉毛、耳、目、眉毛、耳。それで今日は夕刻に『門』を読んでいたらそろそろ終わってしまいそうだったのでそれは夜に迎えたいと思ったため今週は走っていないと思ったためジムに行って走行活動をおこなった、30分間、エジプトの遺跡を映したテレビ番組を見ながら走った。ビデオシンセサイザーというのがどうなっているのかわからないけれど昨日ワタリウム美術館で見たナムジュン・パイクの展示の初期作品のあの色合いとか輪郭とかの踊っている具合とかがひたすらにかっこうがよくってすぐ疲れた。30分

と打ったところで止まる用事ができて30分くらいは経ったのだけど「30分」なんだったのだろうか。ナムジュン・パイク、30分。30分くらいの尺の作品がいくつもあって、というのはあったけれど、それを書く流れというか気分の記憶は持っていない。30分。なんだったろうか。30分。日ハム、5回終了時点でヒット1本とエラー3つ。西武相手に0-6で負けている。こういうのを金縛りというのだろうか。一方でソフトバンクは大差で勝っている。今日の結果でまた-0.5差で順位が変わるのだろうか。わかりづらくてしかたがないがそれもしかたがない。30分


 

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だからその仕事を俺にくれ、くれよ。と、ボス。のそれ、をやることなく1時間だか2時間だかを過ごした私は口に出すことはできなかった。なぜならば営業活動を本格的におこなっている最中だったからだ。ともあれ眠気は昼寝のおかげでいくぶんかというかもしかしたら必要以上に失った。今晩また眠くなくなってしまったらことだと、そのように思って、いるが、今晩の眠気が、どうなるかというのは実際に、今晩寝床に、入ってからで、ないとわからない、というのが事実、であろう。だから今から、気に病む必要はひとつも、ない。アピチャッポン・ウィーラセタクン。店のブログに漱石がどのように面白いのかを書いた。そうしたら書いていることが十分に楽しい心地をもたらした。それがなによりも大事なことだった。書くことが愉悦であるときテキストも初めて踊ろう。少なくとも私の場合はそうなような気がした、のはいくらか前の話だった、たしかに楽しんで書いたとき、それはよいものとなった、楽しくないで書いたとき、それはさえないものとなった、それを実感する機会がひとつあった。今日わたしは人間とどれだけ話したろうか、をふと考えた、朝にスタッフというか朝の時間をお願いしている子というか方というか子とほんのすこしだけ口をきいた。ほかのお客さんがおられたからほんのなんことかだけ話してしまいになった。それから昼の営業をおこなった。誰とも特別に話すという機会はなかった。それから今日は八百屋さんが休みだったから八百屋さんと会話をすることもなかった。それから昼寝をして仕込みをして夜の営業をはじめた。オーダーのやりとり以上の話をおかえりの際とかにすることもなかった。口以外に指ではどうかと言ったら誰かと無料通信アプリLINE(ライン)でコミュニケーションを取った形跡もない。

とここまで書いてなにかで止まった。今日も休肝日にする予定だったのが結局飲んでいる。光遠の残りとと箕面ビールのヴァイツェンを飲んだ。次はなににするか。ひとまず門を読むか。