3月

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金麦を買ってベンチでなく歩きながら飲むことにした営業中にiTunesの整理というかをやっていたところふいに「」と思って聞こうと思っていた音楽があった ペピン結構設計、ポエムの獣のサウンドトラックで、ビューティフルハミングバードの「青葉」という曲だった、それを聞くと思い出す景色が、特にはなかった2004年とさっき調べたところで出てきたから2004年のたぶん夏に夏休みに馬車道のバンクアートでそれは上演されていた僕はそれをなんのあれだったか手伝っていた本番の時間舞台の左側の隅っこで、何をしていたんだったか、なにかのタイミングを図っていたような気がするが何をしていたのか覚えていない青葉を聞いた、それから古井戸のねえ君を聞いた、「ねえ」がくぐもるときとてもセクシーだった 昔ほどみんな僕のことを嫌ってないみたいだよ ねえ三時のお茶にしないか それはとてもいい曲だったそのあとオフコースのすきま風を聞いた なにも覚えていない、スクール水着を着た人物がいたことは覚えている、左隅にいたことは覚えている、それらの音楽が流れたことも覚えている、それ以外は覚えていない それで歩きながら金麦を飲んで歩いてまっすぐに坂をくだる道を行こうかと思ったが途中で入ったことのない左の道に入ったらすぐに山手通りにぶつかって山手通りをすこし上がってまた左の知らない道を歩いた 邸宅と呼びたいものがいくつもあった 燃やした、夢を見た、何かを燃やそうとした、何かを爆発させようとした夢を見た、となりに  がいた。だからそれは悪夢だった。燃えなかったからといって悪夢ではなくなるとはいえなかった。燃やそうとした時点で、だから殺そうとした時点で、自分も含めて殺そうとした時点で、悪夢だった、不発に終わってほっとした

音楽はおくすりだと、歩きながら金麦を飲みながら煙草は吸わないで思った 怒りややるせなさが次第に形をうしなっていった なににたいしてやるせなかったのかわからなくなっていくようだったそれは嘘だったやるせなさはどこまでもついてきた憂鬱というか沈鬱が だからここのところだからなのかだからじゃないのか憤りrage rage against the dying of the lightだっけ、忘れたわ、 死にゆく光に怒れ怒れ怒れ怒れという気分がそれをさせるのかロットバルトバロンの、やっと名前を言えるようになったロットバルトバロンのモンスター、氷河期を、聞くし、外れた音程を気にしないで歌う 僕らはこの部屋を飛び出した 胸いっぱいの怒りをかかえて このふざけた世界を終わらせてやるんだだから夢のなかの僕もこのふざけた世界を終わらせるために何かを爆発させようとしたのかも知れなかった なにかしら、機動隊だか何かがやってきた 僕は捕まったのだろうか ほんとうにどちらでもいい話だ どちらでもよくない話をしたい 死体と変換された 必要ない変換をしたせいだ ぜんぶ僕がいけない どちらでもよくない話をしたいしかしダレと 誰とそれをしたいのか わからないわからないのかほんとうに、ほんとうはわかっているのではないか音楽はお薬だいいお酒にはいいお洋服を着せないとと、それは決め台詞なのだろう、書かれたとおりに言われた それはしかしたしかに私を感動させたしその時間わたしはこのままでは骨抜きになってしまうと、ここに長くいてはならないと、ならないと、そのように、たしかに、恍惚としながら私は、そのようにたしかに、思った 話はしなかった ほとんどしなかった 話はいらない恍惚の時間がたしかにその場所にはあった要らないというよりは余計というのが正しい。 それがいつの夜だったか火曜だったか月曜だったか、わすれた わすれてない 疲れた だからそれで保坂和志のプレーンソングと草の上の朝食を読んでそれは大らかな幸せを私に与え実際それに影響された気分を持てて幸せを感じながら、でも二冊続けて読んでもしかしたら現在を世界を肯定するのに少しつかれたのか無理があったのかもしれない、次に季節の記憶なりカンバセイション・ピースなりに向かおうかと思っていた手はその棚に伸びない いま本をどれを読んだらいいかわかっていないし、どれかを読みたいと希求していない感覚があるだからプロ野球選手名鑑を読むし、変化球の持ち玉なんてみんな以外に似ているものだ。スクリューボールやナックルボールを投げるピッチャーは山本か前田以外にはいない だからプロ野球選手名鑑を読み飽きたら(そんなことが可能ならば)シモーヌ・ヴェイユに手を伸ばしたし、次は、次というほどヴェイユを読んだわけではないけれど断章、偶景、ロラン・バルトを読むだろう、好きだった 偶景という言葉も好きだったし昨夜だったか、酔っ払った頭でボラーニョのセンシニを久しぶりに開いた救いを求めて開いた それで数ページで酔っ払った頭で寝た 落ちたその3時間たたないあと起きた暮らしがこのようなものであるのと同様に睡眠までこのようなのかと半ばあきれながらいくらかの朝の朝未満の時間をすごしてまた寝た ボラーニョ センシニ、バルコニーの夜 二人は話すだろう酒を飲んだか煙草を吸ったか、どちらでもいい、その夜があったことが私を生かす。それは大げさな言い方だろうか そうとは思わない ジャストな瞬間が、あれば、それでいいと、彼は言った それを 何度でも 私は 思い出し 本当にそうなのか?と いったん投げかけながら でもたしかに それはそうかもしれないと 思う でもそれ以外に 生きていくうえで しかし生きていくことが本当にそんなに必須なことなのか 人生を生きる上で生き続けることが本当にそんなに必須なのか ウソウソ 自分を絶てるほどに私というか僕というか俺は強くなんかない みっともないかっこうのままいくらでも生き続けるだろう 知っているそうなると そうなることしかないというのは知っている未来は明るいということも知っている と、1年前だったらそう言っていただろう 弱々しい笑顔かもしれないけれどもそう言っていただろう でも今はどうだ 今はそんなに自信がないのではないか 未来は明るいと、どれだけの確信を持って言えるだろうか なんでいまお前は現れたのだろうか、交差点、なに交差点だったか、わすれた、交差点、役所と、イトーヨーカドーのある交差点、岡山、なんでいまお前はその姿を俺の前にあらわしたんだ 人生が混沌としていく 貧しい混沌 軽薄な混沌 そういうものがいまのじぶんにはとてもにあっているようなきがするくそみたいなこのきぶんというかくらしというかぜんぱんをどのようにしてどのようにしたらいいかしがつむいかだかなのかだかしらないけれどこのはるのくそのようなよるにわたしはとほうにくれながらだけんだけがぼくをすくうのではないかといちるののぞみをかけてみたがどこにもこれはたどりつかなかっただからまたぼらーにょでもよみながらくそみたいなねむりにおちるかおちてまたさめるかしてそれでまたつぎのいちにちをはじめればいいかもしれないそれにどんなかちがあるのかはわからないけれどあなたがよみたかったのはこんなぶんしょうですかはははっはははははははははっははははははははははhとゆびでわらってみたけれどなにもおかしくないねいちみりもおかしくないだけんだけんこのゆびがうごいていくうごきはたしかにきもちいはくしのこのはくしというかうすきいろのこのきゃんばすをこうやってよごしていくかいかんそれはたしかにあるねたいぷみすすることもなくうそたいぷみすたまにしながらちゃんときれいにけしながらこのようにゆびをゆびをゆびをゆびをうごかすのもそんなよるもゆびをうごかすそんなよるもまったくわるくないかもしれないねしらないけどね


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