ドミニク・チェン/フリーカルチャーをつくるためのガイドブック

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【インタヴュー】フリーカルチャーという思想をめぐって:ドミニク・チェンとの対話

こちらのインタビューを読んで面白そうだったので読んでみた。

 

フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環

 

本を買うとPDF版ダウンロードのシリアルキーが書かれていて、「表示 – 非営利 – 継承」というラインセスが付されており自由に共有できるとのことなのでリンクを貼ってみる。→PDF版ダウンロード

っていう表示の仕方で法的には十分なんだろうか。

 

最初にフリーカルチャーという言葉を見た時に連想したのはクリス・アンダーソンが言っているフリーだったのだけど、インタビューでも違いますと述べているようにこちらのフリーは無料のフリーやレッチリのフリーではなく自由のフリーということで、基本的には

 

自由に過去の作品を参照、引用、改変することが阻害され続ければ、現在作られようとしている作品が貧しくなるばかりか、未来の時点で作られるであろう作品もまた、その貧しさに甘んじなければならなくなります。(P34)

他者の作品を利用することが違法となる可能性が高いという固定観念が社会に広がれば、新しい文化の創造を多大に萎縮させるという影響が生まれてしまいます。(P38)

 

という不自由な状況に対するオルタナティブとして提唱されているものらしい。ただ、著作権という存在を全否定するわけではなく、

 

フリーカルチャーの擁護者は、著作権という作者に利益を還元するシステムの意義を肯定します。金銭的な利益も、社会的な価値に含まれるのであり、作者が正当な価値を受け取ることによって文化が活性化すると考えるからです。その意味でフリーカルチャーは、著作権そのものを否定する動きとは同調しません。

フリーカルチャーの運動は、インターネットが生まれる以前に制定された著作権の国際的なルールが、インターネット技術に基づく現代的な文化の力学に対応できていないことを指摘し、保護期間の延長を止めたり適切な改正を求めるとともに、現行の著作権に従いながらも、より柔軟で開かれた作品の共有のルールを自生的に作り出し、広めようとするものです。(P35)

 

ということで、要はいろいろなことが後ろめたさゼロの公明正大な状況でできるようになったらいいよね、という考え方らしい。そのためにクリエイティブ・コモンズでは、オールライツはリザーブドですよの©とまったく自由に使っていいですよのパブリックドメインのあいだに段階的なライセンスを付与するという方法を取っている。

 

こうした状況に対してフリーカルチャーのさまざまなプロジェクトが提案してきたことは、作者がみずから作品に「ライセンス」を付して公開することによって、この著作権が禁止してしまう事柄を他者に対して許可するということです。こうすることによって作者は、自分の作品に出会う人々が作品を広めてくれたり、さまざまな形でフィードバックを送ってくれたりすることを期待することができます。作者がどのようなことを許可するかということはライセンスの種類に応じて異なりますが、ほとんどのライセンスは誰でも無償で作品のデータを入手し、それを複製し、ほかの人と共有する自由を与えています。より自由度の高いライセンスは、さらに作品を使って金銭的な利益を得ることを許容し、より厳しいライセンスは作品を改変してはならなかったり、作品の利用を通して利益を得ることを禁じたりします。作者は作品の置かれた文脈や状況に応じて、自分が最も臨む形で作品を世に広めるために適したライセンスを選ぶのです。

このフリーカルチャーの基本戦略としてのライセンスとは、個々人の作品が法律によってトップダウンに「管理」されるという既存の著作権のルールに対して、個々人が自主的に各々の作品の自由度を「表現」するという方法を追加し、創造の秩序構築のシステムを保管するための道具なのだといえます。この考え方は、作者がみずからの作品がたどるであろう未来の軌跡をデザインし、その責任を持つということを意味すると同時に、作品はそれ自体として完結する存在ではなく、他者がそれを受け継いで新しい未知の作品を作るための材料としても機能するという認識によって支えられています。そしてこの認識に従うということは、今存在するすべての作品も、過去の他の作品を材料にして作られていると認めることにほかなりません。言い換えれば、作品は固定物ではなく、過去から未来への時間的な流れの中で作動するものとしてとらえられているということです。
このように、インターネットが可能にしたこの新しい認識論は、「何が違法で合法か」、「作者の利益を守るために違法な行為を撲滅させるためにはどうするべきか」などといった近視眼的な議論から離れ、改めて「創造とは何か」、「文化が活性化するためには何が必要か」という本質的な問題を再考する機会を与えていると考えられます。(P38〜40)

 

基本的にはなんだかワクワクするような感じでいいなあと思いながら読んだ。特に音楽なんかは、DJがクラブで好きな曲を流すこととか、あるいはミックスCDを作ることとか、あるいは飲食店等で好きなBGMを流すこととかがよく知らないけどグレーあるいはブラックなものであるならば、作り手側がコントロールして僕のはオッケーですよ好きに流してくれてとか宣言してくれる文化や風土ができていくならばら、それはたぶん、とてもいいことだろうなと思った。

 

実際、本の中にも、これはSF作家のコリー・ドクトローの「作家としての私にとって、作品を盗まれることより、作品が誰にも知られないということの方が大きな問題です」(P209)という発言が紹介されているけれども、権利を固めることはいいけれど、権利を固めることで仮にリーチするべき人にまでリーチしないのであるならば、それは作品にとっては生かされているというよりは緩慢に死なされているという状況になっちゃうような気がして、だからそういった権利的な問題を、ライセンスを付与することで法的にクリアにすることが流通の助けになるならば、すごくいいことだと思う。

「ウェブ2.0」を提唱してオライリー・メディアを率いていてCCライセンス付きPDF無償配布付き出版を実践してきたオライリーさんはこういうことを言っているとのこと。

 

教訓その1:読者に発見されないことは作者やアーティストにとって海賊版以上の脅威である。(…)

教訓その3:読者は方法さえ提供されていれば正しいことをしたいと思っている。(…)

教訓その5:ファイル共有は書籍、音楽、映画を脅威にさらすものではなく、既存の出版社に変化を求めるものである。

 

ケーススタディのところがいろいろと面白かったのだけど、全然知らず、へーと思ったのは美術館の取り組みで、森美術館や東京都現代美術館の何かの展示において撮影した作品の作者の名前を表示することを条件にして撮影を許可したという。それによって情報が拡散されて集客につなげる、みたいな狙いらしいのだけど、たぶん私も、信頼している人がツイッターなりフェイスブックなりで展示作品の写真をあげてこれが大変よかったみたいなことを言っているのを見たら、写真がないときよりもいっそう興味を掻き立てられ、結果として美術館にお金を落としに行く可能性がとても高まるだろうと思う。とても健全で清々しいやり口だと思う。

 

ただ、いまいちピンとこなかったのは継承性とか学習とかのところで、フリーカルチャーが前提としている創造性の基本原理がうんぬんというところでこう書いてある。

 

創造を行うということは他者(や自分の外部にある存在)の創造に刺激を受け、その模倣や改変を繰り返すことによって成立する行為です。すると、他者の知識や経験を継承するという意味において創造とは学習という概念と不可分な関係にあるといえます。より正確にいえば、学習が可能でなければ創造は行えません。それと同時に、創造が行われなければ、学習も停滞してしまいます。

著作権を強化しすぎることの弊害とは法学的にいえば「著作物の二次利用の萎縮効果」と表現されます。それはつまり個々人が自由に相互の創造物にアクセスし、学習しながら想像することを妨げることによって、結果的に文化全体の作動を不健全なものにしてしまうことを意味しています。(P246)

 

何かを作るにあたって影響や継承や学習があることは多分そうなんだろうとは思うのだけど、だからといってその影響や継承や学習が法的な問題がクリアにされなければできない、息が詰まってしまう、というのは本当なんだろうか。何かを作るということはそんなやわなものなのだろうか。継承関係が明示される必然はあるのだろうか。

 

様々な制作のプロセス(音楽でいえば楽譜とか、絵画でいえばレイヤーごとのなんやかんやとか、映像でいえば素材とか)がオープンにされていくことで、より学習しやすくなる、みたいなことが書かれていたけれど、そこまでしないと何かを作る人は学習できないのだろうか。なんか、そこまで甘やかす必要はあるんだろうか、というような感覚で読んだ。というか、そういうパーツパーツがオープンにされて継承や学習がされてそれがコンテンツツリーみたいな形で明示された何か新しい作品ができて、という新しい一つの形態が現れること自体は面白いし見てみたいとも思うけれど、それは新奇なものに対する興味というぐらいで、そんなのは出現しなくても何も問題ないよな、という感覚だった。それがとても重大で必要なことだ、とフリーカルチャーの人たちが思っているなら、あまりそこには興味が持てないなと思った。

 

この本を読んで調子にのってブログにクリエイティブ・コモンズのライセンスを付けてみようかな、とか思って検索していたらそれは何か安易にするべきことではないみたいな記事が見つかったのでよしたのだけど、気になったのは「クリエイティブ・コモンズ ○○」みたいな形でいくつか検索したところなぜか00年台の古い記事が多くヒットしたことで、今のところ日本ではそこまで言及されていないものなんだろうか。

いずれにせよ、いろいろとへーとかふむふむとか思うところの多い本だったので面白かった。

 

本文とは関係ないけど、今回PDFがついているので引用したい箇所コピペできて便利と思ったのだけど、私の環境というかPDFビューアーがいけないのか、PDFの文章のコピペって普通にはできないんだっけ。なんか変な感じでコピーしてまったく用をなさず、けっきょく開いた本を見ながらカタカタやっていったのだけど、そういうもんだっけ。

 

 


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