ザ・ファン(トニー・スコット、1996年、アメリカ)

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この映画ではエージェントの役割が物語を進める原動力の一つになっていて、彼はロッカールームには入り込むし、試合中は関係者席で偉そうな顔をして煙草を吸っている。電話をするかと思えばこれこれは何ドル、こうなったら何ドル、と金の話ばかりだ。そして彼が大チョンボを犯したがゆえに人気メジャーリーガーは窮地に陥り、そしてロバート・デ・ニーロは犯罪に手を染めていくことになるわけだけど、それにしたって、開幕前日まで選手に背番号を知らせることのないエージェントなんてありえるのだろうか。というか、入団会見とかでユニフォームに袖を通したりという光景をよく見るし、そんなことってありえるのか、とも思うのだけど、ありえていいのだけど、いずれにせよ背番号問題はエージェントの大きなミスだ。

 

エージェントのことをここのところよく思う。愛する日ハムからトレードになった糸井の例を挙げてみよう。彼はこの冬エージェントを立てて契約更改の交渉をした。交渉では更なる高額の年俸を要求し、さらにはトレードの権利を要求したとされている。今回のトレードを肯定する立場はこぞって糸井の姿勢に対して批判する。彼はこれだけのがめついことをしたのだから、日ハムが彼を切ったのも理解できる。そんなふうに言われる。

しかし、と私は思った。代理人交渉について私はよく知らないので思う「しかし」なのだけど、あれこれの要求って、エージェントが「糸井さん、こうしたら球団、絶対いい条件出してくると思いますよ」みたいにそそのかした結果なんじゃないか。考えてもみよう。糸井と言えば「天然」と呼ばれる様々な発言で知られる選手だ。そう賢いようには思えない。大リーグに行きたい、ぐらいは言えたとしても、「俺、トレード権も欲しいんです、だってそうすれば」などと考えられるようには到底思えない。彼はエージェントの言いなりになっただけなのではないか。そしてエージェントは今回、秤に置く石の重さを間違えた。そんな構図が本当なんじゃないだろうか。そう思いたいだけだけど。

あるいはまた、最近ネット上を騒がした「惜しい、桃太郎市」の一連の岡山市のプロモーションもエージェントと深く関係するだろう。パロディ動画と大昔のインターネット (という表現が成り立つようになったあたりに年月というものを感じる)を模した面白おかしいサイト。そこで(おそらく主には)ネット上での関心を呼び、2月1日に何が発表されるのか、うまいこと耳目を集めることに成功した。そしてその日に発表されたのはやはり、格好の整った岡山市をプロモーションするウェブページだった。デザイン、素敵だった。しかし、内容がなかった。1900万円を投入したプロモーションの目標はきっと「面白いね、うまいことするね、そして素敵ウェブだね」ではなかったはずだ。「1億、観光客からせしめとりましょう」であったはずだ。しかし、見る限り、そのページを見ても岡山市に行ってみたいね、とはほとんどの人がならないはずだ。失敗だ。市は、エージェントであるところの広告代理店にまんまとやられたのだ。「これ、絶対うけますよ。いいね、たくさんゲット出来ますよ。そしたら観光客、どんどん来ますよ」という言葉にまんまと乗ってしまったんじゃないか、と思っている。いいね!は換金できない、というのが私の常々の考えなのだけど、ネット上で受ければそれがすなわち消費行動へとなると、まんまと思わせられたのではないだろうか。そして結果は中長期的に計測され、エージェントは直接の批判を免れるのかもしれない。いやいや、これから結果が出てきますから。ネットの影響っていうのは、もっと長く、ながーく表れるもんなんですから、と。

 

そういうわけで、野球の場面はやはり、映画はスポーツを映すのが得意じゃない、というのを感じさせられる弛緩したものではあったけれど、サスペンスは強い緊張を生む、素晴らしい映画だった。ずっと昔に、たぶん金曜ロードショーとかで見ているだろうなと思っていたのだけど、初めて見たようだった。思っていたのはフィンチャーの『ゲーム』だったらしかった。


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