ムーンライズ・キングダム(ウェス・アンダーソン、2012年、アメリカ)@TOHOシネマズ岡南

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監督のウェス・アンダーソン氏を始め、出演者のみなさん、スタッフのみなさんにただただ感謝を申し上げたい。

「ご清聴ありがとうございました」の声とともにエンドロールが終わったとき、私はほとんど拍手をしかけていた。ただそれは、生来の引っ込み思案が影響して実現されることはなかった。そのかわりにはならないにしても、心のなかで上述のような感謝を捧げた。この映画の具体的にどれが、私をこのような、何かに祝福されたような、救いの船を出されたような、背中を一つ押されたような、どれといったことのない、ぼんやりとした幸せベクトルの気持ちにさせるのか、判然とはしない。どれが、どれが、と部分を言い立ててみたところで、その答えは出てきはしないだろう。というよりも、冒頭の、家の部屋部屋をカメラが水平に垂直に動きながら捉え、家中に音楽が響きだし、少女が双眼鏡で外を見る一連のシークエンスからすべてのショットが「楽しい!」を催させ、一度たりとも弛緩することなく充実した画面が連なり続けた。この魔法のような映画の世界においては退屈なんて言葉はどこかに消え失せてしまったかのような94分だった。

魔法。本当に、スージーが二つの覗き窓から世界をフレーミングする双眼鏡を魔法の道具と呼ぶように、この映画は、というかそもそも映画は、こんなにも魔法だったのだ。

 

この魔法っぷりは多分、厳密に配置された書き割り的な背景と、厳格でシステマティックにコントロールされた人々の運動を横移動のカメラが収めていく、ウェス・アンダーソンらしい、どこか学園祭の演劇めいた画面設計も大きく影響しているのだろう。避雷針に向かい雷に打たれる(!)サムや、クライマックスの鐘楼のロングショット具合から、何かひょっこりひょうたん島をすら思い起こさせる戯画化された映像が、子供たちの冒険の夢のような時間に極めて強固に調和し、いっそうの儚さや切なさや、何よりも、信じがたい美しさを与えているように感じられた。

 

そして、どれだけ恒例のこととなろうとも人に感動と呼ばれる感情をいやおうなく与えてしまうウェス・アンダーソンのスローモーションは、今作では、雨中の、一度は敵となったスカウトの仲間たちと、胡散臭い協力者の男と、二人の愛しあう若者が婚礼の場から決意のボートへと向かうさなかで発動された。そこで映し出されるサムとスージーの、ほとんど憮然と言ってもいいほどの決然とした、凄みのある目つき。あの目を強調するためだけにサムには大きな縁の眼鏡が与えられ、スージーには濃いアイシャドウが与えられたといってもいいほどだ。そしてあの歩みぶり。あるいはまた、後ろから二人についていく少年たちと一人の大人の、勝手気ままな、それぞれの歩行姿勢。それだけのことなのに、スローで捉えられたときに、なぜこんなにも私たちを動揺させ、感動させるのか。

 

なんにせよ、エドワード・ノートンやビル・マーレイ、ブルース・ウィリスといった脇を固める大人たちが素晴らしかったことは言うまでもないことだけれども、子ども二人の森への逃避行を見ながら、ちょうど「ゼロコストハウス」を読んだ直後ということもあってか、岡田利規の真に感動的な「三月の5日間」を収めた小説集のタイトルであり、人に貸したまま長らく返ってこないためそろそろ心配している本でもある『わたしたちに許された特別な時間の終わり』というフレーズを何度も、何度も頭に思い、二人がどうなってしまうのか、決して明るいものとは思われない先行きを不安視していた者としては、考えてみればウェス・アンダーソンであるならばこうしてくれるよなという結末に、本当に嬉しい思いをした。いつだって彼の映画は、私たちのちっぽけな人生に祝福の火を灯してくれるんだ。

『アンソニーのハッピー・モーテル』から始まってすでに7本の、いずれも素晴らしい、ファンタスティックな、魔法のような映画を届けてくれるウェス・アンダーソンがまだたったの43歳でしかないことが心から嬉しい。

子供たちの映画の系譜に、また一本、最高にチャーミングで最高にキュートで最高にエキサイティングな映画がエントリーした。


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