ガブリエル・ガルシア=マルケス/愛その他の悪霊について

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愛その他の悪霊について

いつ以来だかわからないぐらいに久しぶりにガルシア=マルケスを手に取った。『百年の孤独』は数年に一度読み返したくなる大好きな小説であり、他に読んでいるのは『コレラの時代の愛』『エレンディラ』『わが悲しき娼婦たちの思い出』ぐらいだけど、どの作品を読んでも、それは場面であれ、設定であれ、あるいは一つのセンテンスであれ、ガルシア=マルケスにしか書けないとても鮮烈で優しく、愛に満ちたものに感じられ、とても好きだ。

愛という言葉を使わせたらガルシア=マルケス以上にロマンティックに書ける人間は存在しないのではないだろうか、という気すらしてくる。ガルシア=マルケスの女たちが発する愛は、海と時間を楽々と越えて、雲のように広がり、雨のように私たちをやさしく濡らす。(←ガルシア=マルケスはこの100倍ぐらいうまいこと言う)

さっきウィキペディアを見たらまだ存命ということで、85歳だった。それがガルシア=マルケスである以上、あと100年以上はゆうゆう生き続けるのだろう。

 

で、今作は200ページにも満たない短い小説だったけれど、やはり随所に「ガルシア=マルケス~」という気分になれ、とても好ましかった。今度は『族長の秋』を読むつもり。以下ネタバレな部分も含む引用。

 


 

狂犬病に見舞われた軽業師の行末、時間の経過、そして出来事の歌への変換、というのが一気におこなわれるこの文章はけっこう凄まじい。私たちはいつだって気づかぬうちに母親たちの歌のなかを生きる。

不運な軽業師は、聞くも恐ろしい幻覚にうなされている最中に棍棒の一撃で殺されたが、その後何年も、町の母親たちは子供を怖がらせるために、そのさまを歌にして歌い続けることになった。(P23)

 

健康状態が良好だからってこんなに大げさに描写しなくていいじゃないか、というすごい形容のしかた。「手には英知が満ち」とか、どんな手なんだよ、というか、だけどそれはほんとうに英知が満ちているんだということが不思議と納得される。 

健康状態が良好であることは見るからに明らかだった。見捨てられたような様子にもかかわらず、彼女は調和のとれた体をしていたし、全身はほとんど目につかない金色の産毛に覆われて、しあわせな開花に向かう最初の徴候が見て取れた。歯は完璧だったし、目には洞察力があふれ、足は穏やかに伸び伸びとして、手には英知が満ち、髪の毛のひと房ひと房は長生きの前奏曲を奏でていた。(P45)

 

いかにもガルシア=マルケス的なとんでも出来事。列をなして、というのがとてもいい。

農園の家畜が満月の明かりのもと、まったく黙りこんだまま寝ぐらを捨てて原野に向かっているのだった。彼らは通り道をふさぐものすべてをなぎ倒しながら、一直線に放牧地や砂糖黍畑、川の激流や沼沢を横切っていった。前方には大型の家畜や荷役用騎乗用の驢馬が行き、後方には豚や羊や家禽類が不気味な列をなして夜の中へと消えていくのだった。長距離を飛べる鳥たちまでもが、鳩を含めて、歩いて姿を消した。(P51)

 

告白の言葉。「人生とはいつでもどこでも彼女のことであり」という「ことであり」というのがいいし、「唯一、神のみがそうであってしかるべきなのだが」という前置きもとてもいい。

彼女のことを考えない時間というのは一瞬もなく、食べるもの飲むものすべて彼女の味がし、唯一、神のみがそうであってしかるべきなのだが彼にとって人生とはいつでもどこでも彼女のことであり、彼の心の最高のよろこびとは彼女とともに死ぬことである、と。(P160)

 

囲む修道女、そこで「ぐるぐると回」る男、という場面に躍動感があってとてもいい。「ぐるぐる」という感じがなんだかとてもいい。

「止まりなさい!」

振り返ると、ヴェールで顔を覆った修道女がいて、十字架像を彼に向けて掲げていた。一歩前に踏み出したが、修道女はキリストの権威によってその足を止めた。「下がるがよい!」と彼女は叫んだ。

背中の後ろでもう一度聞こえた――「下がるがよい!」。それからさらに何度も何度も――「下がるがよい!」。彼の体はその場でぐるぐると回り、彼は自分が、顔を覆った夢幻的な修道女たちに囲まれていることに気づいた。それが十字架像を掲げて叫びながら詰め寄ってきた――「下がるがよい!サタンよ!」。(P185)

 

「愛のために死んでいる」――ガルシア=マルケスじゃなければ「なんだよ愛のために死ぬって」と突っ込みたくなりそうな気がするが、ガルシア=マルケスなので「ああ、愛のために死んだんだな」と納得され、とても美しい。

第六回目の悪魔祓いの準備をさせるために房に入った見張番は、彼女が寝台の上で、光り輝く目をして、生まれたばかりのような肌のまま、愛のために死んでいるのを見つけた。新しい髪の毛が、剃りあげた頭骨からあぶくのように湧き出し、伸びていくのが見られた。(P187)


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