オラシオ・カステジャーノス・モヤ/崩壊

book

崩壊

昨年末に読んだ『無分別』があまりに面白かったモヤの、その2年後、2006年刊行の本作。『無分別』がグァテマラのマヤ民族虐殺から材を取った作品だったので、勝手にグァテマラの作家だと思っていたのだけど、そうではなく、同じ中央アメリカの、グァテマラより少し西に行ったホンジュラス生まれのエル・サルバドル人、とのことだった。この小説では逆に、エル・サルバドルの政府高官の娘が嫁いでホンジュラスに行ってあら災難、という様が描かれている。

『無分別』が語りの中に入り込んだ狂気が次第に大きくなっていき、それにつれて読むものの現実感覚をも揺るがすような、暴力的でダイナミックでドライブしまくりの作品であった一方で、『崩壊』はもっとスタティックに、抑制された筆致で淡々とことが進められる。

 

第一章、娘の結婚式に出席しようとする夫が、「なんでうちの娘がよりにもよってエル・サルバドルなんていうクソみたいな国の共産主義者のところに嫁がなければいけないのか」といって結婚に反対する妻によってバスルームに軟禁される、会話劇と言って差支えのないそのパートの、いつまでたっても着地点の見えない夫と妻の会話が痛ましい。

例えばこのくだり。妻は娘の子供を一時的に預かって育てていて、その子供を「私の王子」といって溺愛している。しかし娘夫婦がエル・サルバドルに発つにあたり、当然子供は娘たちに返却されることになる。

《「私の子供よ!」レナは激しい身振りで叫び扉に飛びかからんばかりに、「私がこの手に取ったのよ!それからずっと私が育ててきた!あの子の未来は私が守る!あんなバカ夫婦の手に渡すもんですか!私の遺産も全部あの子のもの!信じられないわ、あんたと同じ名前なのにもうあの子を裏切るのね!絶対渡さない!名前はエラスミート・ミラ・ブロサ、あんたがどう言おうと私たちの子供よ。あの共産主義者の姓なんてまっぴら……」》

終始この調子で、夫はうんざりしてもういい加減黙ってくれよ…頼むから…という感じで、そのテンションの落差、妻のセリフのエクスクラメーションマーク連打はけっこう見ていて物凄い。この婆さんはどんだけ叫んでいるのかと。喉がちぎれるのではないかと。そしてその合間にふいにあらわれるサスペンス。机の上に置かれた夫の拳銃を手にする妻。おいおいこれもしかして撃っちゃうのかよ、バスルームの夫を目掛けて、という緊張。そしてまた物語に唐突に楔を打ち付けてくる歴史的事件。この日、ケネディーが暗殺された。

 

第二章は書簡によって構成されていて、父がホンジュラスに暮らす娘に送った手紙、娘が父に送った手紙が写される。「サッカー戦争」で知られるホンジュラスとエル・サルバドル間の戦争が始まる前、その最中、その後が描かれ、父はひたすら、とりあえずホンジュラスに帰りなさい、危険なので、と催促し続け(《繰り返し言いますが、即座に帰国を考えるべきだと思います。事態は極めて深刻です。》《私はまだ希望を捨てていません。早く事態の深刻さに気づいて、祖国に戻りなさい。事情はわかりますし、家庭を守りたい気持ちも理解できますが、お前も子供も無意味な身の危険に晒されています。(…)お前のためにも、子供の将来のためにも、今すぐ戻ってくるのが最良の選択です。もう時間はありません。》)、娘はエル・サルバドル人の夫がいるから大丈夫、周りの友人達も支援してくれているから大丈夫、と送り返す。サンサルバドルでの、次第に緊迫感を増していく生活が報告される。ワールドカップ予選の日の暴動が報告される。母からたびたび掛かってくる狂気じみた電話が報告される。そしてことが起こる。

《悪夢が始まった十四日月曜日、私は不思議な予感とともに目覚め、何か恐ろしいことが起こるような気がして胸が詰まりました。クレメンに話すと、もういつ戦争になってもおかしくないから、覚悟しておいたほうがいい、と言います。だから、その夜七時に街が暗闇に包まれたときには、クレメンにも私にもこれが戦争の始まりだとすぐわかりました。あれは人生最悪の夜です、お父さん。子供をベッドとマットレスの下に隠し、ホンジュラス空軍の爆撃を待ちました。自分の国が落とした爆弾で死ぬのかと思うと、恐ろしくてやりきれませんでした。》

 

第三章は妻レナの所有する土地の館で働く男の一人称で、それまでの緊張感が嘘のように、静謐と言っても過言ではない、静かな口調でいくつかの時間が語られる。様々な崩壊の跡が知らされる。

《ティティお嬢様のジュース用にグレープフルーツを摘んでいたある朝、ふと思いついたのですが、レナ夫人の人生は待つことばかりだったのです。何一つ不自由のない暮らしをしていながら、それを楽しむことなく、来るはずもない人たちとこの立派な生活を送ろうといつまでも待っていらっしゃったのです》

 

たった200ページほどの短い小説のなかで描かれる30年の歳月は、曰く言いがたい虚無の感覚を読む者に投げ与える。私の好みとしては狂気に引きずり込まれる『無分別』の方がエキサイティングで好きだけれども、『崩壊』のこの静かな崩壊っぷりもまた、とても読み応えのあるものだった。

 

なんだ、モヤはグァテマラじゃなかったのか、というよくわからない落胆から、『崩壊』と同じ現代企画室から出ているグァテマラ出身ロドリゴ・レイローサ『その時は殺され…』を注文しておいた。現在はチリ、イサベル・アジェンデ『精霊たちの家』を読んでいる。


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