エリック・ブリニョルフソン、アンドリュー・マカフィー/機械との競争

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機械との競争

先日更新した店のブログで、私たちの店においてはいかに人間らしく、つまりいかに知性的に立ち振る舞うかが肝要だと考えている、みたいなことを書いたときにこの本に触れ、これからは非情な勢いで人間の労働が機械に取って代わられるのだろうけれども、飲食店というのはわりとそういう意味ではいいポジショニングかもね、ということを書いたのだけど、実際どうなんだろう、と思って読んでみた。大体において、「まあ、そうだよね」ということが書かれていた。読後にググったところ議論としては目新しいものは何もないみたいな読まれ方もしているんだなというのは知ったけれど、そういった知見を持たない私には面白く読めた。

 

曰く、これまでの労働の機械化は次なる雇用を生み出していったのだけど、IT技術の進歩が速すぎるために新たな雇用の仕組みができる間もないため、けっこう、労働する人間にとって過酷な状況になっているしなっていくよね、ということだった。

 

コンピュータは、この先さらにパワフルに、さらに高度になる一方である。そして仕事、スキル、経済全体に、これまで以上に大きなインパクトを与えるようになるだろう。いま私たちが直面している問題の根本原因は、大不況でも大停滞でもない。人々が「大再構築」の産みの苦しみに投げ込まれているということである。テクノロジーは先行し、人間のスキルや組織構造の多くは遅れを取っている。(P23)

 

IT技術の進歩の人間の予想を上回る速さを物語るエピソードとして車の無人運転が上げられていて、2004年ぐらいの段階では、運転行動をプログラミングするために必要な情報は膨大すぎてそうとう先にならないとコンピュータで全部を処理することはできないだろう、という認識がされていたのに、その後たった6年で、高い精度でそのことをグーグルがやってのけちゃった、びっくり、ということだった。また、知識労働的なものにおいても、今では一台のコンピュータで弁護士500人分の仕事をやってのけちゃうことができるようになった、ということだった。すごいね。

 

そういう中で、機械に任せることは今のところできないし、わりと難しい分野だよねと言われているのが、肉体労働と何かしら創造的な仕事ということだった。

肉体労働に関しては相当高度な認識能力を必要とするらしく、今のところその点においては機械はだいぶ遅れを取っているらしい。人型ロボットみたいなものを見ても、なんだ、まだこんなものか、と思ったりすることからなんとなく納得。ただ、この分野についてはどうなんだろう、その認識能力とやらが非情な速度で発達していきさえすれば取って代わられそうな気がする。人型ロボットが道路工事をしている様子は、けっこう容易に想像がつく。

 

そしてもうひとつが創造的なお仕事ということで、何かしら芸術的な事柄であるとか、ビジネスアイディアの創出であるとか、そういった面では全然ダメ、ということだった。

要するに「人の心を動かす」みたいなことはそう簡単には機械化できそうにない、ということだと思うのだけど、そこが飲食業を営む私にとってはわりと肝で、やっぱり、接客を大事にしていかないとな、と改めて思うまでもないのだけど思った。というか、接客が重要視されない限り、飲食店はきっと簡単に機械化され得るだろうなと。例えば吉野家とかピザーラで機械がすべてをまかなったとしても(マンションの扉を開けたらロボットがいたら最初はけっこう面食らうだろうけれども)、そもそも接客が期待されていない以上、たぶん満足度みたいなものが今より下がることはない気がする。

人間がいないと得られない安心感、人間じゃないと感じられない感情というのを提供していくこと。もうこの人が作ったものじゃないと満足できないというぐらいに美味しいものを出せるのでない限り、そういう人間ゆえのみたいな価値を提供していくことしか、飲食店が生き残る術はないように思える。

それはつまり、芸術(この言葉は使いたくないけど他になんて言い換えたらいいのかわからないのでとりあえず)が、クオリティの高低によって良し悪しを定義付けられるものではないのと、接客というものも同様なんじゃないかということだ。というか、何かの高低がスコアリングできるフィールドにいる限り、いつか機械に取って代わられる気がするので、その軸からいかに外れてみせるか、いかにファジーな、ノウハウ化できないもの、陳腐化しにくいものを体得するか、ということが大事なんじゃないかと。

私や彼女がそれをどこまで表現できているのかはおぼつかないにしても、そういうことじゃないかと思うんですよ、接客って超スペシャルなことですよ、ということは一緒に働いている人たちにも伝えていかないとなあと強く感じた次第。(真面目)

 

 

面白かったところ:アメリカにおいて、所得の中央値が下がっている一方でGDPは増加している。つまり富の一極集中化が進んでいるとのこと。学歴という点においても、この本の中では「高校中退、高卒、大卒、一流大卒、大学院卒」の賃金の推移がグラフ化されているのだけど、IT技術の進歩に伴ってすごい勢いで所得格差が開いているのだという。グラフを見ていて面白いのは、1980年前後ぐらいだと、大学院卒だけはわりと高いところにいるのだけどその他の学歴はほぼ拮抗していて、年によっては大卒がいちばん低いところがあったりする。「へー、そりゃあなんともまあ」という感じだった。

 

そうなんですかということろ:で、教育が大切というのが上記のことでわかって、そこで本書がおこなう提言というのは教育のさらなる充実というところなんだけど、肉体労働がまだいける、創造的な仕事が全然いける、という分析と、教育の質の向上っていうのはどこまで相容れるものなのかが私には説得的に響かなかった。高等教育の充実とかよりも、それちょっと機械化するメリットどこにもなさそーみたいな超ニッチな分野をいかに開拓していくかの方が多くの人が生き延びていくためには必要なんじゃないかと思った。と思ったら書いてあった。ハイパースペシャリゼーションの時代、ということらしかった。でもそれならやっぱり、教育に関して「遅れを取る」とかそういう表現が出るのは変というか、遅れとか進みとかじゃなくて、多様性とかいうとバカみたいかもしれないけれど、耳だけなぜか5メートルぐらいあるみたいな局所肥大的な能力の伸ばし方を推奨していく方が理にかなっているんじゃないか。ただ、どんなことをやっても機械化の流れからこぼれ落ちてしまう人は出てしまうと思うのだけど、そういう人たちをどうフォローするのか、本当にフォローなんてできるのか、そのあたりの答えがよくわからなかった。

 

それにしても(物質的に)読みにくい作りの本だった。洒落た作りのつもりなのかもしれないけど、紙が厚くて片手で開いていたら手がつるかと。

 

最後に。引用されているNASAの報告書の文章がとてもいい。

 

「人間は非線形処理のできる最も安価な汎用コンピュータ・システムである。しかも重量は70キロ程度しかなく、未熟練の状態から量産することができる」(P54)

 

安価な汎用コンピュータ・システム、重量、量産。一文字の無駄も隙もない、なんとも言えないジワジワした可笑しみを誘う素晴らしい文章。


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