10月

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「「「「10月の天王山、3連戦最後の一日は一日中といって過言ではない程度に忙しく、その中でも作業の楽しさというのか、運動の喜びというのか、何かそういったたぐいのポジティブな気分を維持したまま私は労働することができたらしく、閉店後の店の外の席に座って呆けた顔でビールを飲んでいた。材質的なものに非常に疎いので何かわからないのだけど籐椅子的な雰囲気のその椅子に体育座りで腰掛け、ビールを飲んでいた。昨日ほどではなかったが星がいくつもまたたいていた。向こう岸や向こうの橋を間断なくというほどではなかったが車が通りすぎていった。その椅子からでは目が届かない地点で魚が何度か飛び跳ねていた。店の前の堤防沿いの道は車が通れない細い道なので、本来は走ってはいけない原付きに轢かれる危険性はあるにせよ基本的に車両との事故に遭う可能性は低く、また、洪水が起きてしまう可能性はあるにせよ基本的に水の事故に遭う可能性も低く、総じて安全な地点であると言えた。洪水、FLOODSと題された長編に続くとされている濱口竜介の『不気味なものの肌に触れる』を昨夜やっと見た。」とここまで書いて夜はビールの一杯の影響により断絶を余儀なくされ、向かいのソファで丸まるようにして眠る彼女を起こし家に帰ったのだったが、その翌日である今日の火曜日は雨降りということもあってかひたすらに暇な日中だったため、体力が十分に余っているらしく普段であれば昼寝に興じるところを、起きたままこのように打鍵することを選んだということだった。そのためコーヒーを淹れ、煙草を吹かしながら、外の雨音を聞きながらここに今いる。いつもより少し挽き目を細かくしてみたコーヒーは苦く香りもよく、これはこれでいいと思いつつも、この苦味は中煎りのこの豆ではなく深煎りの豆に担わせるべき苦味だとも感じられるため肯んずばかりでもいられない。連休中に限った話でもないけれども特に連休中はそういった傾向が顕著になるけれども、営業後の夜な夜なにフェイスブックでも開こうものならば、今日は誰それとどこそこに行ってかくかくしかじかを食ってあれを満喫、みたいな投稿がおびただしく並ぶため、いくらスクロールしてもそういった喜びの報告が視界から消えることがないため、あまり見すぎると健康によくないということはよくよくわかっているのだけれども、連休は私たちには連戦以外なにものでもないため、喜びといったものはマネーとして還元されるばかりで、行為の中の美しさを競うすべもない。その連戦中の唯一の報告可能な出来事は先述の通りに濱口竜介の『不気味なものの肌に触れる』を見た、ということであり、リリース直後にダウンロードしていたものの、見るタイミングを逸し続けていたところ、読んでいた蓮實重彦の『表層批評宣言』の中に「不気味」という語を目撃し、それは「ここで遭遇することになるものは、喪失だの崩壊だのと違ってそれ自身が充実しきった過剰であり、程よい感傷で湿った郷愁や未来への楽天的な信仰によっては処理しきれぬ不気味なる何ものか、得体の知れぬ怪物に似た絶対的な畸形性にほかならぬ」というように書かれていて、このあたりの章は私にもわかりやすく俄然面白く読んでいたのだが、後半、装置だとか風景だとかが語られ始めると次第に手に負えなくなり、ま、表層ってことで、ぐらいの感覚で読み終えることになったのだけれども、ともかく、この本の135ページ目で遭遇した「不気味」に触発され、そういえば、そろそろ、ということで日曜の晩、カレーをコトコトと仕込みながら、店のソファに座って洪水と題された長編に続くとされている中編、『不気味なものの肌に触れる』を見たのだった。毒されきっていることは自覚のうえで書くけれど、その50分ちょっとのあいだ画面に映し出されるものはことごとくが充実した過剰であり、ただただ、予兆としての不気味さというか不気味さとしての予兆のようなものが緊張感を一瞬も途切らすことなく持続し、いつ終わってもいいし、いつまでも終わらなくていいという満たされた宙吊り感の中、終わった。そこで提起されるのは事件としての徹底したアクション」とここまで書いて、そうだ、店のブログを書こう、となって中断され今に至った。あと20分で休憩時間が終わる。気づいたら外が暮れてきた。夜の部が始まる。雨は降り止んでいないことが外を歩く人がさす傘でわかる。傘は橋の光に下から照らされて『アカルイミライ』のくらげのように明るんでいる。『FLOODS』では、川にいったいどんな事件が起きるのだろうか。『不気味なものの肌に触れる』を見ている限り、阿部和重の『シンセミア』のような、どうしようもない規模の悲惨と破綻が待ち受けているようにしか思えないし、あるいは何も起きないような、そして絶えず何かが起き続けているように錯覚させる事件、あるいは一般には事件とは称されないような出来事が、運動があるのだろうか。その手が、その肌に、届かない、というそれだけが、すり抜けるというそれだけが、こんなにエキサイティングでスリリングな経験として浮上するのだと、その映画は言う。「まるで子供が暇つぶしに戯れる謎遊びのように、問題を、解答によって埋められる瞬間をむなしく待ちつつ「知の空間」にぽかりと口をひろげた過渡的空白だぐらいにしか考えようとはしない」思考には一つの満足も与えようとしないこの予兆と現在の映画を、」とここまで書いたところで営業時間になり、夜も驚くほどに暇で、数えるほどで、天気の悪い日はここまで落ち込むものかと驚きながら、連休で疲れていたのでこれもまあありだろうと納得して夜が更けていった。珍しくお客さんと遅い時間まで話し込むというおこないをし、閉めたあとは打鍵するつもりだったけれど遅くなったこともありビールを2缶飲んですぐに家に帰ってボラーニョの『売女の人殺し』を、その中のちょうど「売女と人殺し」を読んでから眠りに落ちた。その短編のような悪夢は見ることなく健やかに眠った。だから今日は水曜日で今はまた休憩時間になっている。この日記を書き始めて2日か3日が経ったということだった。長く書き継がれる日記。一方で一時間かそこらでささっと、ひどく軽いタッチで書いた店のブログは更新後一日の今の時点で、ここからはそう伸びないだろうけれども90のいいねをつけていていいねと思う。店のブログはいつも簡単に数十のいいねをつけるのでいいですねと思って、一方でこちらはついても10とか、一つもつかないこともあるから比べるべくもないのだけど、同じ書き手でここまで違うのだねと、すこしばかりの羨ましさにも似た感情を抱かないといえば嘘になる。いや別に羨んでもないけれど、はいはいあっそう、お店というのはずいぶん気楽ですね、みたいなよくわからない僻みの感情が芽生えるというのか。その店も昨日は一日中暇であり、報いを受けたんだ、お前は報いを、と店を指さして笑う自分がいたりいなかったりするというかいないのだけど、事業税納付の督促状というのがずいぶん前から届いており、それは黄色い封筒に入っていて否が応でも見るよねという格好で届けられたけれど、昨日やっと開封して、納付しないと差し押さえだって辞さないですよ、と脅し文句が書かれていた。払わなければならない。事業税は飲食業だとたしか所得の5%だったっけ、そんな具合の水準だったはずで、所得税で10%だったか15%だったか20%だったか抜かれて事業税でまた5%取られて消費税も今後は払う必要がたぶんあって、一体どれだけ抜かれるというか納めなければいけないのかと思うと、売上なんていうものは見て喜んだり悲しんだりしない方が健康だと思わないでもない。ひどい報いを受けることになるからだ。一方で数多く差し伸べられる手をことごとくにすり抜ける染谷将太の、ドッペルゲンガーのように存在する石田法嗣の、草原を駆け抜けたあとに撃ち抜かれ倒れる渋川清彦の、対峙する相手に依らず性的な香りを漂わせ続ける瀬戸夏実の、絶えず訝しげな視線を遠方に向ける村上淳の、常に音もなく現れ危険な戯れに興じる水越朝弓の、それぞれにまったく不気味なあり様や身振りで次々と画面に現れる人物たちは、その後に待ち受けているとしか思えない破綻や悲惨を、これは報いだなどと悲観的に受け取ることなく、その怪物めいた、幽霊めいたあり様を崩すことなくきっと通り過ぎて行くのだろうと見えるのだが」とここまで書いたところで休憩時間が終わり、夜の営業が始まり、もっとも幽霊めいていたのはほとんどセリフもなかった河井青葉だったようにも思えるが、昼はわりにちゃんと忙しかった店も急激な寒さのせいか、今宵とてわりに暇であったために私は彼女とアルバイトの方に向けてボークとインフィールドフライについて説明し、インフィールドフライの説明のあとに、かつて稲葉が、またそれより何年も前に秋山がおこなった頭脳的なフライ処理の模様を、少しばかりの興奮を持って伝えたのだったし、その後にはボラーニョの続きを読むことすらし、それは「いい知らせと悪い知らせがある。いいほうは、死後の生(またはそのようなもの)が存在するということ。悪いほうは、ジャン=クロード・ヴィルヌーヴが死姦趣味だったことだ」と始められる「帰還」という一編で、国際的なファッションデザイナーと一人の幽霊とのあいだに素晴らしい親密さが生じる模様を描いたもので、それは完全に心温まると言ってしまって差支えのない類のものだった。見ることも、触れることもできない存在との邂逅、いくぶんかの葛藤を経て生まれる親交、と韻を踏んでみたのは他でもない、ここのところ聞いた中でももっとも怪物的な、畸形的なヒップホップがOMSBの『Mr. “All Bad” Jordan』で、それがあまりによかったというか、異様というか異形というかとても心温まるものだったため、検索していたら見つけたOMSBによる2012年のアメリカのヒップホップ15選をなぞっていろいろ聞いてみるぞという気分になったからで、今日はLil Ugly Mane『Mista Thug Isolation』とKendrick Lamar『good kid, m.A.A.d city』を買った。Lil Ugly ManeはOMSBのコメントでは「汚ねぇしクソドロドロだし、この界隈では一番キチガイだと思う」とされているもので、休憩時間に聞きながらウトウトしていたら確かにドロドロした夢を見たような気になれる、とても心温まるものだった。このドロドロ感は今とても嬉しいものであるためこれから何度も聞くことになりそうな気配があるし、今はケンドリック・ラマーを聞いていて、ケンドリック・ラマーはフジロックで「今一番かっこいいラッパーだと思いますよ」と後輩の方が言っていたので喜び勇んで聞きに行ったところ、大味な、翌日後輩の方が言った言い方でいうと「メジャーヒップホップっぽい」ステージで、あーなんかそれは別にいいかなーという感じだったのだけど、後輩の方はまた、「アルバムはもっとアンダーグラウンドな感じなんですけどね」とも教えてくれていたので、いつか聞いてみたいと思っていて今のタイミングになったけれど、まだ数曲しか聞いてないけど「いやほんと、こっちのほうがライブより100倍かっこいいよ!」と早くも快哉を叫びたい。かっこいい。Lil Ugly Maneはバンドキャンプで買ったのだけど、ケンドリック・ラマーは初めてAmazon MP3を使って買った。itunesストアはもう1年とか前からDRMフリーで販売しているらしいのだけど、なんでだかずっと「はいはいitunesはDRMついてるんでしょ、じゃあ極力使いませんよ!」みたいな、DRMがついていたら実際どうなのかとかもほとんど理解せずに文句を言っている気分が抜けないため、今もitunesストアではなぜか買い物したくなくて、今回はそれでAmazon MP3を使ってみた次第だった。まあ本当に、どうでもいい話だ。きわめて寒いし頭が、ふいに何かが飛来したような痛みをさっきから何度か覚えているのだけど夜がもったいないのでビールを飲む。


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