5月

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先月か先々月に久方ぶりに見たハーモニー・コリンの『スプリング・ブレイカーズ』が意想外なことにあまりピンと来なくて、あの夏、映画館で見たときに私のうちに生じたあの熱狂はいったいなんだったのだろうと狐につままれたような感じになったのだけれども、映画館でなければ発生しないマジックがあるということだろうかというところだった。やはり冒頭のあの無根拠な楽天、圧倒的な物質としての体また体の放出みたいなアドレナリン全開の様子は、併せて流されるあの調子のいい音楽を大きな音で聞くことによって初めてちゃんとした、というよりも見事な、というか圧倒的な効果を生むということだろうか。あとはあの馬鹿げた画面を大人数で共有しているぞ、というシチュエーションの喜びというかアホらしさによるところも大きいのかもしれない。

そういうことなので今の私はスプリングブレイクの最中であり、ろくでもない高速バスに乗ったのは4月の最終日だったかもしれなかった。

3列独立シート。ギリギリで取った予約のためか私は最前列の真ん中の席に座らされ、消灯時間になると仮眠に入る運転手の一人が、現在運転中の運転手に向かって「起きてこなかったら起こしてください」と告げ、さらに「じゃ、寝ちゃわないように」と冗談めかしていい、それを受けた運転中の運転手は「あ、はい、気をつけます」と応じた。気をつけますじゃないよ!と私はいくらかの不安を覚えながらそういえばと思いだしシートベルトを締めたのだけれども、運転手稼業は本当に責任重大で、どれだけの俸給でおこなわれているのかわからないけれども、それは大学時代からバスに乗るたびにいつも思っていたことだけれども、彼らにはたくさんの俸給を与えてほしいよな、と思うのだった。

それを実現するためには高速バスの乗車料金を上げなければいけず、そうなるともはや新幹線とそう変わらない値段になり、そうなるともはや高速バスを利用するメリットがほとんどなくなる、という事態があったりするのかもしれない。痛し痒しだね。

そういうわけで運転席と客席のあいだにカーテンが引かれた。メレディス・モンクを聞きながら、眠られずに目を開けているとカーテンの上に無数の光が現れては消え、それらはある地点からぐっとスピードを上げてあっという間に通り過ぎたり、上に、横に、変な踊りを踊りながら消えたりと、長いあいだ見ていても飽きない光景だった。牧野貴の映画を、再び見たくなった。

 

到着予定時刻よりもいくらか早い6時すぎには新宿駅西口に着き降ろされ、小雨の降る中で喫煙所で煙草を吸っていると清掃員が三人ほど勢いよくやってきて、掃除をするから喫煙所の外で吸うように人々を促した。喫煙所の外に、簡易の灰皿が置かれた。そこに立っていると、喫煙所内に残された傘などのゴミがどんどんと外に放られ、足元を脅かされるふうだったのでまた一歩横にずれた。小雨が降っていた。6時過ぎ、それでもたくさんの人がすでにこれからという一日を生き始めているという情景を見ながら、一人、一人の顔であれば、私は彼らを肯定することができるのかもしれない、と思った。思い込みでしかないだろうか。何かに属して自信を持ったり役割を演じたりする顔ではなく、ただの一人である、何者でもないその顔であれば、なんとか肯定できるような気がその朝には確かにしたのだった。

7時までうろうろとしながらどうにかやり過ごし、開店したばかりのベルクに入ってモーニングとビールを頼んだ。やはり美味しかったし、初めてベルクで椅子に座るということができた。

無性に、ナヌークのノートがほしいという気分になり、ネットで取扱店を見ると大宮のエキュート内のスミスとあり、そこが9時半オープンだったので、新宿から鈍行で大宮に行ったり、エキュート内のプロントが経営しているっぽいカフェ・バーみたいなところで時間を潰したりして9時半すぎのスミスに行くと取り扱いがないとのことだった。なぜか諦めきれず、浦和のパルコにあるスミスに電話し、ない、と言われた。私は何かさも知ったように今ナヌークだとかスミスだとか打っているが、実のところは何も知らないのであり、デルフォニックスという名前はなんとなくは聞いたことがあったぐらいで、そもそもステーショナリーという言葉ですらおぼつかなく、駅?という感じがどうしてもしてしまうから、認識の構造を作り直さなければいけないのかもしれないし、ナヌークもスミスも、調べている中でそのときに初めて知った名称ということだった。あのノートがほしい、から始まった、ということだった。諦めて東急ハンズでろくでもないノートを買った。そのあと高島屋にあるジュンク堂で本を買った。岩井克人の『資本主義から市民主義へ』というやつだった。

それらを持ち、24時間営業をしている古い喫茶店に行って、ソーセージの盛合せとビールを2杯。ベルクで買ったベルクの本を読んだ。たくさんの名言というか、いやー、いいことおっしゃる、ということが書かれていて、たくさんメモを取った。店を出て実家に向かったのは13時ぐらいだった。この喫茶店はどうもだいぶ老舗の雰囲気があるのだけど、なんで24時間もやってるんだろうといつも思うけれど、年末に帰ったときに初めて存在に気づき、それから何度か来ていて、メニューがやたらに豊富で、完全に喫茶の枠を超えているというか方向性がよくわからない、という感じが好ましい。私はソーセージとビールで、右隣に座っていたご婦人はアメリカンを飲み、左隣りの若い、白々しい、妙なハイテンションの、ろくでもないとも初々しいとも言えるカップルというか男女はオムライスと豆腐丼なるものを食べていて、豆腐丼については「熱い、熱い」と女が連呼していた。このえうなく楽しそうに「全体的に熱い」と言っていた。

 

家に帰ったとてやることもなく、ソファで昼寝をした。起きれば暗くなっていた。夕飯を食べ、日をまたぐかまたがないかぐらいで眠り、翌朝8時には目を覚ました。勝手に8時に起きる、ということは私にとってはありえないことなので、「わお」といささか過度のリアクションの声を上げた。

 

8時に起きたとて、やることがないことには何も変わりなく、ご飯と納豆という朝ごはんを食べ、しばらく無為の時間を過ごし、10時前には大宮になんとなく出、美味しいコーヒーが飲める、と教わった店に行って確かに美味しいコーヒーをいただき、でもそこは長い時間を過ごすところではなかったのですぐにスタバに移り、なんとなくそこで過ごしていた。旅行や帰省のたびに思うけれども時間をやり過ごそうとすると本当に金が掛かる。

どうしたものか、と思い、思いついた友人に何をしているのかとメールをしたところコーヒーゼリーを食べるところで、とあり、それではここは一つどうだろうか、と尋ねると、それでは3時ごろにベルクで、ということになり、やったー、と思い新宿に出た。ルミネエストだし、みたいなところで性懲りもなくスミスに行った。ナヌークのノートがあったけれど買わなかった。ベルクではビールを3杯か4杯飲んで、ジャーマンブランチとソーセージを食べた。ベルクは、本当に素晴らしい場所だと毎度のことながら思った。一人の人間が一人の顔のままで入り、何ものにも脅かされることなく一人の顔のままで出ていける稀有な場所だと、毎度のことながら感動した。たいへん楽しい会話をおこなえたので満足して大宮に帰った。夕飯を食べ、10時過ぎには寝た。

 

8時ごろ起き、今日も今日とて何もやることがない、と思いながら時間が過ぎていくに任せ、美味しいコーヒーが飲める、と教わった店で美味しいコーヒーをいただいた。数日後に迫った友人の結婚式に着るスーツを持ってきておらず、買おうかと思っていたのだがどうせ着る機会などないのだからともったいなくなり同じ背丈の友人に借りることにして、代々木公園のあたりにいるよ、とのことだったので、でも受け渡しは夜の予定だったのだけど、何もやることがないから代々木公園なる場所に行ってみるか、と思い新宿まで出た。新宿からぐるっと歩いて、ビールを飲みながら参宮橋の方まで行き、代々木公園の入り口があったので最寄りのコンビニでビールを2缶買って公園に入り、緑の中でたくさんの人々が思い思いに過ごしているようで、まともに公園の中を歩くのは初めてだったので、とても素敵な場所というか素敵というよりはもっと、生きる根拠になりうるような場所だと思いとても心地がよかった。ビールを飲みながら『資本主義から市民主義へ』を読み、少し眠くなったので橋をわたって向う側に行ったら何かが催されており、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、パラグアイ、メキシコ、といった国々の料理を供する屋台がたくさんあって、でも人がたくさんあって、どの場所にも行列ができていたので行列の少ないところでビールを買ったりタコスみたいなものを買ったり串焼きみたいなものを買ったりしてうろうろした。友人が、早い時間でも大丈夫、と言ってくれたので言われた場所にいき、スーツを受け取った。俺もう眠いぞ、と思っていたので助かった。

家に帰り、夕飯を食べて9時過ぎに布団に入り、本を読んでいるうちに寝ていた。目を覚ました。もう朝かな、という感覚で目を覚ました。時計を見たら1時にもなっていなくて、MLBの試合情報を見たら2時からとあったのでそれを見ることにして、この日記を書き、今さっき試合が始まり、やや高めに入ったストレートか何かを2番打者が右中間にぼやぼやと打ち上げ、と思ったらスタンドインしたので驚いた。そんな打球にはとうてい思えなかったのでびっくりした。


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