8月

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11時過ぎてから「トマトソースを作ろう」という気になったので台所に立ってトマトソースを作り始めたら口元が緩んでいるのかよだれがススーと実にあっけなく落ちた。それが立て続けに2度あったので驚いたので下卑た笑いをこぼした。早く床に入る両親はすでに入眠してから2時間近くが経過している様子だからレムとノンレムの狭間でドリーミンだと思うのだけど、30近くの息子が夜半に台所で一人で笑い声をあげている様子が仮に彼らの耳に入ったら、いったいなにが起きているのだろうか、私の息子に、と思わずにはいられないだろうと思い、それ以降は笑うことを自粛したし、口もしっかり閉めることにしてトマトソースに入れてみた白ワインをグラスに注いで今飲んだ。今は煮込みフェーズのため、30分ほどのあいだ弱火でコトコトとしている鍋を横目に、台所の隣のダイニングテーブルで私は座るわけだった。『ドン・キホーテ』の前篇その2を読み終えた。

 

狂気の共演といった様相を呈してきた。愉快ながらも、誰も彼もが誰かを演じているというその一行が発し続ける無意味な言葉たちは不気味で、

 

 

と、ここまで打って打つのを終いにして、その晩はボラーニョの『通話』の中の大好きな一編である「センシニ」を読みながら眠りに落ちたのだった。新しい土地を暮らしている。昨日、今日とピーター・ブロデリックを聞きたくなるらしくて「hello to nils」を連日聞いた。私にとってそれはすごく大好きな曲だからそれなりにピーターと一緒に口ずさむ、みたいな催しをおこなった。そうやって日々、私も私とて、新しい土地で「ハロー」と言いながら暮らしている。やあ、ハロー、はじめまして、おひさしぶり。そうやって日々を過ごしているし明日から工事が始まる。今日少しだけ重いものを持ったらすっかり腕がだるいので、ハンマーを振り下ろし始めたらたった一振りで私の腕は使い物にならなくなるような懸念があるし早く起きなければならないので心配だ。

 

今日は地元で花火大会があって私はいかなかった。最後にいったのは何年前だろうか、大学生最後の年だったか、フジロック明けの火曜日だった。苗場からの帰りの月曜、私は運転を一人おこなうことに不安を覚えていたこともあり友人に最後まで同乗してもらって深夜のサイゼリアを経て実家まで二人で帰った、ぐーすかと二人は寝た、起きた、起きたら火曜日でその日が花火大会で、私たちは夕方に家を出て最寄りのリカーショップでビールを買って何度目かの乾杯をして、それから友人たちが場所取りをしてくれている田んぼ道まで向かった、楽しく私たちは花火を拝見し、それから一緒だった地元の友人の家にいき、ろくでもないB級映画を見ながら眠った。

だからフジロック帰りの友人はなぜか大宮に2泊をするということをおこなった。そこまでがその年のフジロックの記憶で、その記憶を下敷きにしてその年、一編の小説を書いたしそれはいまだに思うけれどもすごくいい小説だった。書いている時間が本当に楽しくて、家の中のみならず電車の中でも「続きを!続きを!」と思いながら書いたのだった。当然、書いている時間の快楽がそのまま小説のよさにつながるわけなんていうのはないと思うのだけれども、それでもなお、あれはとても出来としてもよかったのだった。フィクション!私たちはあの頃も今も変わらずそうやってくしゃみをする。

 

と、ここまで打って打つのを終いにして、その晩は早めに寝て起きて店の工事が始まった。汗とほこりが合わさったら泥みたいなものになったので泥まみれという形容でおかしくない状態で天井を落とし続けて腕がだるくなった、汗は本当にとめどなく流れ落ちて、なんとなく久しぶりに生きている感じを味わったような気になってくる時間もあったがそれは正しいことだっただろうか。昼下がり、思ったよりも多くの人々が財布を片手にぞろぞろと昼飯を食らいに通りを歩いていて、ここでランチ営業をやったらそれなりに人が来そうだと思ったし私はその時間は開けないつもりでいる。寝静まった町を相手に、あるいは寝静まった町と寄り添うようにして商売をしたい。そんなことは嘘だ。夕方の作業の終わりの時間にはカーキのTシャツは泥色になっていて、汗を溜め込みすぎて着ているだけでも重い。一杯だけビールを飲んで帰った。

 

ヴィム・ヴェンダースの『パレルモ・シューティング』を見た。なぜ見たかったのかはもはや忘れてしまったけれど、主演の男はカンピーノというドイツの有名なバンドのフロントマンらしいのだけれどもドニ・ラヴァンが出ている映画だと思い込んでいたしそれはやむを得ないことだった。観光する映画はやっぱりいいものだ、と思いながら猛烈な眠気に襲われながらなんとか見通す、というふうだった。

カンピーノが扮するカメラマンのフィン自体、病気じゃないの?と女に指摘されるぐらいにどこでもいつでも眠りこけてしまう人間だったのでそれを見ながら私のまぶたが重くなることを責めることは誰にもできないしその前日、とても久しぶりの友達と飲んだらもっととても久しぶりの友達や初めましての人たちと飲むことになって、人見知りの私はそういうところにアジャストするのが苦手なはずだったが妙に楽しく充足した時間を味わって、もちろんそれは私が大人になったからという理由ではないことぐらいはよく知っていたし人間というものはなんだかとてもいいものだと思って、それでは私はいったいどこまで遠くにいけるだろうか、ということは試されるべきことだった。成長ではなくてこれが幸運であるならば、幸運ばかりを追い求めてみたっていいはずだ。成長なんて言葉はドブに捨ててしまってもいいはずだ。

 

当然といえば当然ながら、口座からどんどんお金がなくなっていく状態で、それを平静な心持ちで見るのは私にはむずかしい。ドン、ドン、と二度にわたって大きな金額が口座から消えて、それ意外にもコツコツと消えていっているしそれは開店準備のために当然そうなることだし久しぶりの友人らと頻繁に飲んでいるからそれも当然口座から金を消していくわけだし、予定通りに借入ができれば開店には問題はないはずだけれども、ただ生活をするということはそれ自体で金を使うことなので、私の想定している金額とどれだけの差が今できているのだろうか、ということを考えるとそこそこと気分がふさぐというか平静な心持ちを維持するのは私のような吝嗇の小心者には難しい。そのためか、そのためなのだろうか、健康増進のためではなかっただろうか、運動不足解消という理由ではなかったか、今日は食品衛生責任者の一日がかりの講習を受けに浦和まで自転車で行ったしそれは片道10キロほどだったので着いたときには灰色のTシャツが黒くなっていて後ろの席の人などはこの前の人はなんでこんなに汗をかいているのだろうと思ったはずだったし講習は予想をはるかに上回る退屈さで眠気に抵抗することの大変さを久しぶりに体感する時間となった。

 

しかしそれだけというわけでもなく、3部構成の最後の講師の方の講習だけはやたらに面白く、それは話している人が話している事柄に対して深い興味があって、そしてどうやったらちゃんと伝わるだろうかということがしっかり考えられているからだった。嘘のように、目を覚ましてノートを取りながら聞いた。休憩時間、先日駒沢公園近くの本屋さんで買ってきた開高健(多分)の食に関するエッセイを読んでいた。ピラニアがおいしいと書いてあったのでまた片道10キロを帰り、それなりにしっかりと疲れてしまったし気がついたら7月は終わっていて8月が始まっていた。それなりに虚しい。

 

家族で夕飯を食ってお腹がいっぱいになった。茫漠とした不安に包まれる夜になってきた。


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