8月

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昨日今日と変な酔い方をしてしまって頭が痛くなったり吐き気を感じたりして、どうしたのかなと思っているのだけど夜はアイスコーヒーを淹れて飲むし、よく胃に膜を作ればみたいな話があるので今晩に関しては帰ってからカフェオレを淹れて飲んで、後からでも大丈夫ですか?と問うたものの時間の経過とともに薄ぼんやりとした頭痛等は遠のいていく、それを確認して今に至る。

ここのところ立て続けにというほど大したことではまるでないのだけど少しずつ料理のリハビリを、みたいな感覚があるらしくて、春季キャンプみたいな感覚だろうか、キャンプ前の自主トレだろうか、体をならしていかないとね、というところがあるらしくてパソコンの横のメモパッドには「とり パクチー トマト レモン スープの材料」とある通り先日に関しては友だちの家に行ってカオマンガイとナスの揚げ浸しとトマトの黒酢生姜和えみたいなものとスープを作って振る舞うということをおこなった、変な酔い方をした昨日についてはグリーンカレーを作った、先日外で食ったカレーに塩もみ野菜が乗っていてそれが心地よかったのでゴーヤとみょうがときゅうりを塩もみしたやつを福神漬け的な立ち位置で供した、つまるところつまってはいないながらもタイに行った友だちの土産でいただいたカピという甲殻類的であるということ以外は何もわからないペーストのようなものを両日、用いた。今調べてみたら「タイの蝦醤」と出てきた、そんなさらっと蝦醤とか言われても、なんですか、その蝦醤っていうのはそんなに流通している語なんですか、もしかしたらそうなのかもしれないけれども、知らない私にとってはまるで知らない語なのでいったいなんて読むんだよ蝦醤、とひとまずの憤りをおさえて検索結果のページをいくらかスクロールすればシャージャンと読むことが判明した。ああ、タイのシャージャンね、というふうには私はならない、なれない、ので昨夜、からだすこやか茶Wを吐き気を抑えられるといいと思って帰りしなに買った飲んだ。

 

夏休みらしく日々、駅近くの駐輪場はたくさんの自転車の駐輪によって占拠され、停めるところを探すのに苦労するようなこともあったような記憶が定かではないけれどもあり、日本の子どもたちはどうか知らないがチリの子どもたちは9歳とか6歳から「ここでの僕たちの生活自体がいつもオペラみたいなものじゃないか。今さら何がおかしいというんだい?」みたいな口のきき方をするのかどうかは確たる証拠はないながらにもするらしく、するらしくというか少なくともホセ・ドノソの『別荘』においてはされており、ドノソは『境界なき土地』以来2冊目となるけれども、この2冊を見る限りこの作家は狂気とか奇形とかそういうことがきっと好きらしく、しかしそれ以上のことは私にはわからないので9月16日あたりに池袋のジュンク堂だかどこかでおこなわれるという佐々木敦と野谷文昭のトークイベントにもしかしたら行って「ふむふむ」であるとか「なるほど」であるとかの愚にもつかないリアクションをして満足して家帰って寝る、みたいな暮らしをし始めたということもありうるのかもしれない。

そう言いながら前言を翻すかのようで申し訳ない(しかし誰に対して?)のだけど人生は何が起きるかわからないため借入を申請していたのだが今日銀行から電話があり「残念ながら」との返答を得る。

私はその知らせに朝からびっくりしてしまって二度寝三度寝をして今に至ったわけでもなかった。体をいくらか動かした、店をほんのすこしだけ完成に近づけるために体をいくらか動かした、他の銀行にあたらなければならない、斡旋書が区役所に「否」の判とともに戻るのを待たなければならない。夜明けは待ち望む必要もなく日々おとずれるが、借入に関しては再び書類を作成したりしなければならないから億劫だし私はいささか萎えた。

 

鬱憤を晴らそうとしたのか強い調子でエンターキーを叩いてみた。

 

3度。4度。5度、そして電車に乗っていたらそれは今日もそうだったというわけではないにせよ埼京線と湘南新宿ラインが並走する時間帯というものがあり、付かず離れずで前後しながら向こうの車両に乗る人を見る時間帯というものがあり、それは私に明確に『親密さ』の記憶を喚起させた(した?)、そのため「親密さ 駅」とかでググって調べてみたところ田町じゃなくてどこだっけな、田町だっけな、田町なんじゃないかということがあり、あれは山手線と京浜東北線だったのかな、田町なのかな、田町か、と思って私は感動した。それではあの橋はどこだったのだろう、丸子橋とのことだった、検索結果を鵜呑みにするならば。それらを思い出せばいつだってグッとくるし、いつだってその脳裏に現れる映像だけで素晴らしい映画一本分の満足を得られるような気がしている。『親密さ』は私にとってそういう映画だった、という話を昨日と今日、友人に話したという事実はどこにもなかったけれども、だからといって昨日や今日の記憶の価値が貶められるかといえばやはり、そんなことはまるでないのだった。

 

いささかも私は世界というか世間というかそういったものに屈する必要を感じないわけでもなく実際銀行というものの脅威を感じてどこまで媚びたらいいのかと考えてしまうわけだけど、一方で二日続けてどこかから小気味いい卓球の打ち合いの音が聞こえてきたのは私の頭の中で発生した何かによるものだったのか。区役所、銀行、親、金せびっているあいだにどんどんと通帳の残高は減っていって私は可能ならば小気味いい程度の稼ぎを得ながら安心して暮らしたかった。と言いながら、まるでうんざりしない。全然どうでもいいしどうとでもなると思っている。このあたり、今の私はわりと強気にできているので心強いしいつまで持つかな、と思いながらも早く起きることが可能ならばこのあとに煙草一本吸って寝てやってもいい。


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