7月(3)

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夏がむなしいのか人生がむなしいのかあるいはその二つにさしたる違いはないのか、むなしさが耳の奥で鳴り響くからそれを打ち消すために必要なのはヒップホップなのかノイズなのか、即座には判じかねてatmosphereを久しぶりに聞く。いい具合に賑やかになる。

 

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7月が終わろうとしている。7月の最後の週末が訪れる。私は今年も岡山を離れずにいる。それは自分が選んだことであって、今このとき、ここではない場所に行っていてもよかった。それを制約するものは何もなかった。けれどけっきょく岡山にいる。それは自分が選んだことであって、今このとき、私は、だから、後悔をすることは何もなくて、だけどどうしたってインターネットを開けば目にチラチラと、これでもかと、キャンプの、見慣れた山の、歩きなれた砂利道の、あるいは入り口のゲートの、何杯ものビールの、笑顔の友人たちの画像がアップされていくのが否応なく入り込む。羨ましいなんてこれっぽっちも思いたくないけれど、否応なく、何かしらの感情が押し寄せてくる。なんでいま私はそこにおらずここにいるのか。その判断は、いや、後悔なんてこれっぽっちもしていないんだけど、だけど、あの、毎年の、盆暮れよりも、その、選択してきた、いやこれも選択であり、何も後悔なんて、笑顔なんて、知ったことではなければ触れたこともないその、いやだけどもしかしたら、など思うわけではこれっぽっちもないのだけどそれでもなお、だけど結局(「設営完了!」)、結局、私がここを選んだその選択を果たして、なんてことはこれっぽっちも、2年、その前の10年、10年と言えば長い時間で、だけどだからなんだっていうのか私にはわからないなんてことは決して言わせないなんて、何を、何を言っているのか打鍵しているのか(今年一杯目はもちろんハイネケン!)、なぜ私はこの日に打鍵しなければいけないのか、打鍵などせず、この足であの土地を踏み鳴らし、杯を交わし、酔いつぶれ踊れ疲れ、とぼとぼとした足取りでテントに戻り明日から3日間、ずっと天気がいいといいけれどそんな上手にいくわけはないってのは知っているよ、覚悟はできているよ、だからこそのゴアテックスだよ、など、外に出した椅子で夜更けの空気と煙草の煙を一緒に吸い込んで小さな声でそこにいる友人と何かしらの話をして、明日はまずは風呂、行こう風呂(xxxと合流。再会の杯!)、午後からでいいよ、特別見たいのないし、なんでもいいし、なんでも楽しいし、なんだって気持ちいいし、なんて、そんな話をしてから寝袋に入ってケータイの充電、明日風呂、すれば問題なし、怪我病気なく元気で、楽しく、過ごせますようにって、美味しいものたくさん食べて水分はビール、昼からビール、最高の5日間の幕が今年もなんて、そんなことを

 

 

来年こそ苗場に帰ろう。


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