ダークナイト・ライジング(クリストファー・ノーラン、2012年、アメリカ/イギリス)

cinema

見たのはもうずいぶん前のことで、いまさら感想も特にはないのだけど「見た」ということの備忘だけのために。

 
ライジングが、というかこのタイトルに関してどうしても気になってしまうのが原題の「Rises」が邦題では「ライジング」になっていることであり、これに終始するのであり、三部作の最初は「ビギニング」じゃなくて「ビギンズ」って言えたんだから、最後もがんばって、それはもちろん、ライジズってなんとなく響きも字の並びも悪いのはよくわかるしぱっと見たときに日本人的には意味も取りにくいような気もわかるのだけど、なんというか、ほんとうに悪しきことなんじゃないかととても強く思う。というか恥ずかしい話だけどいまウィキペディアを見ていたら初めて「ダークナイト」の「ナイト」が夜じゃなくて騎士の方だと知った。恥ずかしながらずっと暗黒の夜だと思っていた。猛烈に恥ずかしい。しかしそんなに恥じる必要はあるのだろうか。というかいま本当に最初は「ビギンズ」だったんだっけ、見てないし、と不安になってググったわけですが、そのときに私は「バッドマンビギンズ」と打ったわけでした。

結局これなのかなと思ったりもするわけで、バットマンをバッドマンと打ってしまえるこの私のなんというか素養のなさこそがライジングを楽しみきれなかった一番おおきな原因なのではないかと思う。楽しみきれなかったというと語弊があって実際さいしょの飛行機のアクションシーンであるとか、最後の方の警官対市民のわーっていう暴動的なものとか、わーって思いながら圧巻とか思って見てはいたのだけど、悪役の大きな男の人とかはさっき見たウィキペディアによれば原作ではけっこう大きな敵だったみたいだけどまったく知らずに見ていると冒頭で出てきたときには「ちょい役なんだろうな」、地下組織のところで出てきたときには「まあなんか牛耳ってるんだろうな」、だんだん本ボスがこいつだとわかり始めたときには「こんな巨漢が悪の最たるものだなんて許容していいのか!」となってしまったわけで、だからけっきょくバッドマンじゃなくてバットマンに触れた経験が前作だけしかない人間にとってはジョーカーだっけ、なんかそういう名前の悪い感じの人、あの人の印象に強く引っ張られすぎて、ああいった大きな悪い人にはびっくりしてしまった。

それを人に言ったら「そういう声はよく聞きます」と言われ、だから私はとても素直な、凡庸なところで落ち着いてしまった。

アン・ハサウェイのアクションはとてもよかった。軽やかでセクシーで。名前いつまでたっても覚えられないけど『(500)日のサマー』の青年の警官はいい人そうだった。『ミッドナイト・イン・パリ』で素晴らしかった女優の方は見るたびにもっさりしてくるような感じがあって最初同じ人だとはにわかには信じられなかった。


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