最近見た映画(『霧の中の風景』『トータル・リコール』『グラン・トリノ』)

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・霧の中の風景(テオ・アンゲロプロス、1988年、ギリシャ/フランス/イタリア)

シネマ・クレールにて。9月から岡山に追悼特集上映が回ってきたのでとても久しぶりに。最後に見たのは2006年の文芸座で、最初に見たのは2005年のバウスシアターだった模様。それにしても前に見たのはいつだろうと昔の記録を調べてみたところ、昔は本当に映画をよく見ていたんだなと改めて思うというかどれだけ暇だったのだろうかとも思うのだけど、バウスシアターで見たのが2005年の10月29日。27日は渋谷のアップリンクでツジコノリコの作品を見、28日は京橋のフィルムセンターに赴き成瀬巳喜男。28日、吉祥寺バウスシアターのあとは池袋の文芸座に行ってエイゼンシュタインのオールナイト。湘南台から連日東京に出て、大学にはちゃんと通っていたのだろうか。留年とかはしていないのでそのはずだけど、どれだけ時間があったんだろう。羨ましい。

それで、だから、6年ぶりに見た『霧の中の風景』で感動するのはやっぱり同じところで、遠いところから運んできた雪を敷き詰めた町にプラスチックの雪片もどきを降りしきらせたというあの、警察署前の、町や人々の時間がぴったりと止まった中を少年と少女が走り抜けるシーンであるとか、あるいは朝の浜辺で、旅芸人たちが上演のあてのないセリフをぶつぶつとつぶやき続ける姿をカメラがゆっくりと一周しながら捉えるシーンであるとか、あるいは川面に浮かんだ巨大な石像の手をヘリコプターが町の建物の、空の向こうまで運んでいくシーンであるとかで、画面全体が峻厳とでも呼べそうな空気に満ちるそれらの時間が私をやはり涙させた。相変わらずすごかった。

 

・トータル・リコール(レン・ワイズマン、2012年、アメリカ)
TOHOシネマズ岡南にて。彼女が見に行って「すごかった、ミッション・インポッシブル並にすごかった」と言うのでそれは見逃すわけにはいくまいと。一緒にシネコンに行き、私が『トータル・リコール』を見ているあいだ彼女は『デンジャラス・ラン』を見た。そちらは凡庸だった模様。

リメイク元のアーノルド・シュワルツネッガーが出ているやつは見たこともないし、原作というかアイディアのもとになっているディックの掌編だか短編だかも読んだことはないのだけど、十分に面白く手に汗をちゃんと握りながら見た。見たそばから何を見たのかすっかり忘れてしまうようなスピード感あふれる演出で、なんかあの、すごい、たしかすごい面白かった記憶がおぼろげにある感じでした。

こんなことを言っても仕方がないしこの映画に限ったことでは当然ないのだからこんなこと言っても野暮でしかないとは重々にわかりつつも、それにしても銃弾当たらないなー主人公たちには、というのがどうしても気になってしまうのは、どうなんだろうか、私の野暮さからなのか、それとも演出に脆弱さがあるのか。銃弾の雨、まるで当たらず。いいんだけど、なんかこれを見ていたらそれが少し気になった。

 

・グラン・トリノ(クリント・イーストウッド、2008年、アメリカ)

再見。当然、そこに唐突に姿を現す冷徹で強靭な元軍人の表情や実際に抜かれる何種類かの拳銃の艶めきが画面を切り裂きはすれども、イーストウッドはこんなにも優しい映画を撮っていたんだっけかと、半ば呆然としながら見ていた。ここで言う優しさは隣に住むモン族の家族との心あたたまる交流とかそういうことではなくて、少年の教育として訪れた床屋において店主と少年のやり取りを見たときのイーストウッドの表情や、隣家のおばあちゃんが唾を吐くのに対抗してイーストウッドが噛みタバコを吐いたあとに映されるおばあちゃんの表情や、劇中に何度も聞くことになるイーストウッドの唸り声のその都度の響きの、その場面にオチらしきものをつけようとするいろいろの身振りのことで、なんというか、見る者にクスっとさせることを平気で許容するようで、こんなにも、イーストウッドは私たちに優しかっただろうかと虚を突かれた。そしてちゃんと感極まった。


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