11月、boomkat、ソローキン

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昨日からboomkatという音楽ダウンロードサイト(?)を使い始めたのだけどこれがとても楽しくて、たくさん買ってしまいそうな懸念がある。アルバムがだいたい一律で6.99ドルで、アンダーグラウンドミュージックのスペシャリストですみたいな謳い文句の通りにノイズとかドローンとか聞きたいものがたくさん見つかるし知れるのでとても楽しい。昨日は灰野敬二とジム・オルークとオーレン・アンバーチのスーパーデラックスでのライブ音源を買い、今日はEl Fog『Rebuilding Vibes』とVladislav Delay『vantaa』を買った。買ってすぐiPhoneに移して喫茶店でVladislav Delayを聞きながらコーヒーを飲むようなことを行なっていたのだけど、重層的で分厚い音響とどれだけ大音量にしても耳に痛くない柔らかく奥で鳴るビートが心地よさというよりはなんというかもはや、なんだかもうとてもすごくて、全部を持っていかれるというか、全部を包み込まれるというか、包み込まれながら遠くのどこかに意識をぶっ飛ばしてくれる感じが凄まじく、世界が暴力でできているとするならば、この作品はその暴力の世界の鄙びたところにある泥沼のようにあたたかかった。私は、もはや言葉や感情のない場所で暮らしたかった。

 

そう言いながら今はちびちびと、本当はどんどこと読みたいところなのだけど集中力や時間の配分のまずさによってちびちびとウラジーミル・ソローキンの『青い脂』を読んでいるところで、当初は頭のいかれたジャン・コクトー『ジャン・マレーへの手紙』のような感じだと思っていたのだけど転調し、節々にレーモン・ルーセルの『アフリカの印象』のような、どうやったらそんな情景が出てくるんだろうという奇想の場面が眼前に現れ、それが面白くて仕方がない。何時間も何時間もニエットと歌い続けた挙句射殺とか、松明で作る人文字の軍団が川を流れてコンマが大変なことになるとか、肩い掛けたりしないと運べないようなどでかい性器を持った童子とか、潜水服を着て水に沈んで糞便で溢れているボリショイ劇場で鑑賞するオペラとか、まったく意味がわからない。

今のところ主人公はあくまでも青い脂らしく、そこを中心に語られる人物がどんどんと、すごい勢いで入れ替わっていく様子が楽しい。

 

一方で私はもはや機能不全を起こしたのか、日常を心地よく生きることすらままならぬような精神状況で日々をやり過ごしているところで今は2本目のビールを飲みながら、少しずつ眠くなりながら今は4時、明日は店休み、どうでもいいと、全部が、もはや全部が、嘘だけど全部が、どうにでもなれと、人はこれを贅沢と呼ぶのかもしれないけれどもその渦中にある人間にとっては苛烈な試練で耐えられませんでしたアウトという感じでうつむきながら、いらっしゃいませと、ありがとうございますと、ごきげんいかがですかと、それを口が発するのを馬鹿のような気分で聞きながら過ごす者であり、善人のような面をした人間の方については全員がその面の皮をはがして一度出直してみてはいかがだろうかと建設的な提案の一つもしたくなるものだけれども、私は常識人なので、すべての寸胴を逆さまにしてあれこれをダメにすることもなく、ただ、もうなんだかある程度多くのことがどうでもいいんじゃないだろうかと、そう思いながら過ごした。報いはいつ来る。救いはれっきとした大人のおもちゃであるところのiPhoneであり、いじくっているのが相変わらず楽しい。値段がどうこうというよりはDRMがついているというところでiTunesストアの利用についてどうだろうと思っていたところで、なんせ、こちらは旗艦であるMacと自分のiPhoneと彼女のiPhoneとiPodとあり、そう考えていると今ここでググればいいのかもしれないけれどもiTunesストアで買ったやつって3台とかでしか使えないという認識でいるから、何かを買ったときに入れられない領域が発生するような感じがあるような感じがして、だからあくまでもここはNO!DRM!を貫く所存であり、それゆえにDRMフリーなところでいろいろ買えるサイトを探していたのであった。それは国内のものであればオトトイとかになるのだろうし、海外のものであれば今のところそのアンダーグラウンドミュージックのスペシャリストであるらしいところのboomkatしか知らないのだけど、他にどういうものがあるのだろうか。いろいろなサイトを知りたいところであるけれども、英語が読めないので難儀する。

 

明日、休みなのでフィリップ・ガレルの『愛の残像』を見に行くだろう。先週あれを見た。タイトルが思い出せない。ググればいいのだろうけれどもこうやってこうやっていれば何か思い出すのかもしれないような気がして今はこうやってこうやっているのだけど思い出した。ちゃんと思い出すものだ。『灼熱の肌』を先週は見に行って、それがすこぶるよかったものだから、だから今度は『愛の残像』を見る。ルイ・ガレルをまた見られるというだけでも嬉しいことだし、シャブロルの『石の微笑』に出ていたなんだっけと思っていたらやっぱり思い出せたいややっぱり思い出せなかった。姓はスメットだったと思う。名は何だったか。ルーラだというような気がして「るーらすめっと」で変換をしたのだけどこれはgoogle日本語入力であり、私はわりとこれで固有名詞を打つときは確認の使い方もしていて、たとえばさっきウラジーミル・ソローキンといったけれど、これの打鍵内容は「うらじーみるそろーきん」であり、中黒点を自分では打たない。打たないで一気に変換したときにカタカナでかつ中黒点が出ればきっとこれで合っているんだろうと思って安心して、それで出なかったら、これは自分が何か間違っているはずだぞ、と思う。その例で言えば「るーらすめっと」は出て来なかった。スメット。そもそもスメットかどうかも確信が持てないが。スレッジかもしれない。ともかく『愛の残像』は『石の微笑』ローラ・スメット、ローラ・スメットだったか。なぜこしゃくにも、というかよくわからない弄り方でルーラとか言い出したのだろうか。素直にローラとすればよかったのだ。ローラ・スメット。そうローラ・スメットが出ているというから『愛の残像』には。彼女の『石の微笑』における演技というか表情を覚えている者ならば、見逃す手はどこにもないということが立ちどころにわかることであろう。4時17分。彼女の待つ家へ帰ろう。こんなくだらないことはやめて、さっさとビールを飲み干して、ちゃんと家に帰ろう。風呂に入らずに布団に潜り込もう。歯磨きさえ明日に回そう。


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