12月、わたしたちの宣戦布告、無分別、空襲と文学

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おれの精神は正常ではない、と書かれた文章にわたしは黄色いマーカーで線を引き、手帳に書き写しさえした、と書かれた文章にわたしは黒いボールペンで線を引き、ページの端を折りさえした、とわたしに書き始めさせた文章はオラシオ・カステジャーノス・モヤの『無分別』でありそれは今日読み終えられ、並行して読んでいた、というか先に読み始められ、残り4分の1ほどになった昨夜からモヤが読み始められ、まずモヤが読み終えられ、W・G・ゼーバルトの『空襲と文学』もまた本日読み終えられることになったのだけど第二次世界大戦の末期にドイツの諸都市が蒙った破壊の規模がどれほどであったか、たとえ中途半端にせよ、今日これを思い描くことは難しい、と書かれた文章にわたしはやはり黒いボールペンで線を引き、ページの端を折りさえし、折られた箇所はたとえば当時のドイツにおけるほど、知りたくないことを忘れる人間の能力、眼前のものを見ずにすます能力が端的に確かめられた例は稀有であったろう。人々は、当初まずは衝撃のあまり、あたかもなにごともなかったようにふるまうことに決めたのだ。ハルバーシュタット市空襲についてのクルーゲの報告は、映画館に勤めていたシュラーダーという女性の話ではじまる、と書かれたページであり、ページをまたいでこう続けられる。爆弾が落ちたあと、彼女はすぐさま防空壕にあったシャベルを持ち出し、「十四時の上映までに瓦礫を片付けよう」とした。地下室では人間の肉体がばらばらになって煮えていたが、それらはとりあえず洗濯室の煮沸釜にぶちこむことで始末した。その甲斐もあって、とクルーゲは記す。十六時四十分の回のヴァレリー・ドンゼッリ『わたしたちの宣戦布告』は無事に上映された。観客は私たち二人を含めて三人しかいなかったが、私はそこに映される様々にいちいち感動し、動揺し、涙することになった。

監督であり主演女優であるヴァレリー・ドンゼッリが病院の廊下を全力疾走する姿を、やはり全力疾走で追ったらしくグラグラに揺れるカメラが捉え、女は最後には倒れることになるだろう。そこで流れる音楽が誰のものなのか、それを私は知らないでいるけれど、無責任とも放埒とも言えるようなその演出に、何か虚を突かれたらしく大いに打たれることになった。手帳にはそう書かれており、さらに小さなほとんど解読不能とも言えるような不恰好な文字でこう続けられる。そこで扱われるテーマの重さ、取り返しのつかなさ、手のほどこしようのなさとはうらはらの自由をこの映画は獲得しており、顕微鏡で見た細胞らしいどす黒かったり極彩色だったりする映像の挿入や、一気に時間を進めていく音楽やナレーションの使用等もその強引さが心地よかったのだが、やはりクライマックスは息子の病気を医師に告げられ、先の全力疾走のあとに訪れるタクシーのシーンだろう。後部座席に座る女。その顔の横の窓に、いま急行列車で女の元に急いでいる夫の顔がオーバーラップで映し出される。男が歌い出す。呼応して女も歌い出す。これはなんという自由だろうか。ジャック・ドゥミよりはジャン・ヴィゴの『アタラント号』を思い出し、それとともにラリユー兄弟の『運命のつくりかた』を思い出すことになった。私は本当にうれしかった。子供のことが気になっていたのでうれしいどころの気分ではなかったし、手術直後の医師と対面したときには、早く結果を教えてくれと、本当に、バカみたいなことに緊張しながら彼の言葉を待ったほどだった。

そのあとの、悪性であると告げられ、でも強くなろうと、家族や親しい友人たちに勝訴の旨を告げ、一同歓喜。あの場面を見る私たちの胸はどんなに痛かっただろうか。乱痴気騒ぎが繰り広げられ、おれの精神は正常ではない、と書かれた文章にはまた、夢はいつもそこにある、今も、とわたしは繰り返した。とも書かれており、さらには、その音の響きのよさと、時間の首をひねる副詞の使用によって、その瞬間を解き放つことなく永遠に向かって開く完璧な構造で、大司教邸で仕事をするわたしの午後を輝かせたその見事な文章を、と続く。グァテマラのマヤ民族の大量虐殺の報告書の校正を任されたジャーナリストの一人称で語られるこの小説は次第にパラノイアに侵食されていくのだけど、わたしが信頼の置けない語り手だとして、どこまでは信頼して、どこからを疑うべきだろうか。わたしに何かしら危害が加わりそうな局面だけを疑い、それ以外のことについてはそのまま鵜呑みにしてもいいのだろうか。危険だって、本当に及んでいたかもしれない。なぜなら彼女は集団移送でハンブルク郊外の湿地帯モールヴァイデに逃れた、と書かれているからだ。ゼーバルトは彼に送られてきた手紙から引用する。ゼーバルトに手紙を書いた男性の母親の体験談で、外では何百人が、なかにはわたしの母もいたのであるが、ピネルベルクの集団疎開所に移送してもらうためにトラックを待っていた。トラックまでたどりつくのに死体の山を乗り越えていかなければならなかった。完全にばらばらになった死体もあり、つい先刻まであった耐爆防空壕の残骸といっしょに、緑地にごろごろ転がっていた。その光景を目の当たりにして、たくさんの人々が耐え切れずに嘔吐した。屍を踏んで行きながら嘔吐した者も多かった。へなへなと崩れ落ち、失神する者もいた。母はそう語った。と男性は書いた、とゼーバルトは引用した。事実その男は、その国の軍隊の兵士たちが、あざけるように小さな四人の子供たちをひとりひとり山刀でずたずたに切り刻み、つづいてその妻に、兵士たちが小さな子供たちをぴくぴく動く人間の肉の切れ端に変えてしまう様子を否応なく見せつけられ、すでに動転してしまっていた哀れな妻に襲いかかるのを、傷つき、なす術もなく見ていたのだ。子供は病院をあとにすると、二人の親とともに再び海に出た。初めて海を見たときの記憶は彼にはなかった。医師の言葉を信じるならば、あれからすでに五年以上が経過していた。

少年と呼ぶに足る年齢に達したアダムは、濡れた砂浜を遠慮なく踏み、水をはじき、ロメオとジュリエットは彼のうしろを続いた。ロメオが両手を差し出すとアダムは駆け寄り、飛びこみ、ロメオにかかえられて宙を回転した。その回転運動はかつて両親が息抜きにいった遊園地で乗ったアトラクションのそれと同じであり、異なるのは回されるのが親ではなく子になったことだった。その光景が美しいスローモーションで映しだされ、とうとう、アントワーヌ・ドワネルは家族とともに海に出ることができた、ということではなかったか。アントワーヌ・ドワネルはとうとう、一人でなく家族とともに医師のインタビューを受けた、ということではなかったか。私の友人であるTは『わたしたちの宣戦布告』という映画は、この2012年現在に、生まれ変わってトリュフォーが再びあらわれ、映画を撮ってしまったといっても大げさではない、ヌーヴェルヴァーグ愛に満ちた凄まじいまでの傑作である。まるで、ブレッソンのような赤と青の対照的な色彩、ゴダールのようなカッティング、ドゥミのようなテンポとミュージカル性。僕たちが愛してやまなかったヌーヴェルヴァーグ映画群にまたひとつ奇跡のような映画が生まれた、と書いた。Tが続けて気がついたときにはジャン・ピエール=レオーにしか見えなくなると書いたジェレミー・エルカイム、ヴァレリー・ドンゼッリの元パートナーであり主演男優でもあり共同脚本の執筆者でもあるジェレミー・エルカイムはあるインタビューにおいて、彼女には、熟考されたレフェランスだとか、他のシネアストへの目配せとしてのレフェランスはないんだ。まったく意識的なものではない、と言いながら、続けて、ほとんど矛盾する発言のようにも思えるのだけど、チャップリンの『モダン・タイムス』を考えていた、と言う。Tはまた、私にこう言った。この映画はplaybackとともに今年もっともみるべき映画、と。エルカイムが応じる。観客に背中を向けて、彼らは新しい人生の方へ、別の方角へと進んでいくんだ。その結果としての爆撃であり、虐殺であった。宣戦布告の有無は別として、私の読書は意図せずしてともに白水社からの刊行であり、ともにジェノサイドと記憶を扱ったものとなった。一方は欧州ドイツの。一方は中米グァテマラの。証言の大半において通常の言語が損なわれた様子もなく機能し続けていることによって、そこに述べられている体験の真正さは疑わしくなる。だれも彼も恐怖のあまり怯えきっている。きみがここにいなかったことをありがたく思え。

 

W.G.ゼーバルト/空襲と文学

オラシオ・カステジャーノス・モヤ/無分別

ヴァレリー・ドンゼッリ interview | nobodymag

『わたしたちの宣戦布告』(ヴァレリー・ドンゼッリ) | For Man and a Prayer


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