12月、土星の環

book text

12月に出来たばかりのそのスタバに行ったのは今日で二度目で、コーヒーを手にカウンターの席につくと私はイヤホンを耳に入れ、大きな音でSIMI LABの『Page 1 : ANATOMY OF INSANE』を聞きながらゼーバルトの『土星の環』を開き、ロウストフトを眼にしたとたんに、その寂れように打たれたのだった、という箇所を読んだわけではなかった。それはスタバの前にいた病院の待合室で読まれた。かつて賑やかに栄えたイギリス東端の町ロウストフトを15年振りに訪れたときのことが書かれている。『土星の環』を買ったのは2008年の1月で、その日わたしは有楽町にいたらしい。有楽町にどんな用事があったのか、まるで覚えがない。その日の記録を読んでみると、頭は割れるように痛いというよりは鉄製の棒が脳天からだいたい胸らへんまで貫かれているような感じで痛くて、と書かれている。私は続ける。や、胸らへんというよりは喉らへんまでで、喉らへんまで棒が来てるためその先の胸らへんも影響されて狭くなって苦しいみたいな感じで、いや、棒が貫かれているというよりは顔の表側の形に沿ったような鉄板か何かが仮面みたいな感じで、だけど外側じゃなくて皮膚の裏側にペターとさしこまれているみたいで、その鉄板は首らへんまでの大きさなので胸らへんまで影響されて苦しいみたいな感じで、それで顔型の鉄板なので目のすぐそばとかも通っているため眼窩っていうんだっけか目の裏側とかもズーンて痛いし、まあそれに吐き気めいたものがするのも顔型鉄板が何せ喉まで行ってるから狭いからっていうことで、説明がつく。

この文章がどのような呼吸で書かれたのかを私はもう覚えていない。その日は有楽町で本を買い、高校時代の友人とおそらく新宿で飲んだらしい。酒に弱い私はビール2杯で十分に酔っ払って、小田急線に乗って湘南台へ帰りながら、その日に買った『土星の環』を開いた。ゼーバルトは続ける。なんとなれば、高失業率地域といった記事を新聞で読むことと、どんよりした日暮れどきにグロテスクな前庭と殺伐たる外構えの家々が長く連なる道を抜けていって、ようやく着いた中心街でゲームセンターやビンゴホール、賭博場、貸しビデオ屋、戸口の暗がりからビールの饐えた臭いが漂ってくるパブ、安物売の商店、あるいは名前も「海の夜明け」「浜の大波」「バルモラル城」「アルビオン」「レイラ・ロレイン」といった怪しげな朝食付の宿屋にしか出くわさないということは大違いだからである、と。

ゼーバルトはその日、二十世紀初頭には「渚の高級ホテル」と旅行案内書に記されていたというホテルに泊まった。1992年のことだ。それを2008年の1月に読み、2012年の12月、ほぼ5年たっている今日ふたたび読んだ。そのホテルのどうしようもないさびれ方、ホテルの大きな食堂で食べる食事のひどさ、たった一人の従業員である若い女の暗鬱さははっきりと、と言い切ってしまうにはおぼろげながらも、印象としてはかなり明確に覚えていた。ロウストフトの町をゼーバルトが歩き始めた時には、そのあとに描かれるホテルの印象が立ち上がってきて、その情景は、私の心を少しだけ塞ぐ方向に作用する。

わびしさのたぐいに対する免疫を、私はいまだにつけられずにいる。タルタルソースはプラスチックの小袋から絞りださなければならず、灰色のパン屑とあわさってどす黒い色を呈し、魚、であるはずのものは、濃緑色のグリンピースと脂ぎったチップスの間で見るもぐしゃぐしゃになっていた、とゼーバルトは食事の様子を記した。ホテルの仕事一切をひとりでこなしているのか、例の狼狽えたような若い女性がしだいに濃さを増していく奥手の闇から小走りにやってきて、皿を片付けた。それは私がナイフとフォークを置いてすぐのことだったろうか、それとも一時間もあとだったろうか。またたく間に巷間で最上級の評価を得、高級海水浴場に求められる施設の一切を備えるようになった、とやはり案内書に記されるロウストフトに当時の面影はいささかもなく、そこらじゅうにシャッターのおろされた店が連なる。歩いているだけでゼーバルトはいささか気が滅入ってくるだろう。

それらを病院の待合室で読んだ私はそのあと、自転車を走らせてできたばかりのスタバに行き、かなり騒々しい店内の音を封じるために大きな音でヒップホップを聞きながら、4時間ものあいだずっと伝票の入力作業をおこなっていた。この夜、私は早上がりで、彼女とアルバイトの方が店を回していた。12月になり、これまでのせわしさが一気に消えた。凪のときのように、時間がいっぺんに止まったような感覚になる。それでも、週に1回は取らせてもらっている早上がりの習慣はやめずに、スタバなり、近くのカフェなり、そういったところで数時間を過ごしている。11月の伝票をエクセルに入力し続けた。テンキーを忘れてしまったのでiPhoneにnumPadというテンキーアプリを急遽入れ、wifiでMacと連携させて入力をしていた。さながら、嫌味ったらしいマカーといった様子であるが、いずれにせよ、iPhoneを用いての入力は手強い作業となり、物理キーの速さ、確かさがよりいっそう実感された。11月が忙しかったことが数字のうえでもよくわかり、それが今月の凋落を見るにつけ、際立つのだった。一日あたりの売上平均は半分ほどになるだろうか。12月の伝票はまだ入れていないので正確なことはわからないが、感覚としてはそういうところだった。春になって売上が回復したという今年の実績から、今度もそうなるだろうと半ばは思っているが、実際はどうなることなのかわからず、迎えてみればロウストフトの町のようにさびれ、静かに朽ちていくことだってありうるのだ。

幼年時代にロウストフトの町に暮らしたフレデリック・ファラーは最後、焼身自殺を図った。晩年のことだ。丹精に手入れされた庭の、黒葉菫の群落の中に横たわっている姿を庭手伝いの少年が発見した。三人の美しい姉の名は、それぞれrose, iris,そしてviolaだった。慈善舞踏会の晩、むろん入場を許されるはずもない庶民たちが、とフレデリック・ファラーはゼーバルトに語った。百艘はくだらぬ小舟や艀に乗って埠頭の突端まで漕ぎだしていったのだと。そして波にたゆたいときには流れゆくその見物席から、上流階級の人々がオーケストラの音にあわせてくるりくるりと回るさまを、光を浴びて、初秋の霧に覆われた暗い海面の上にあたかも浮き上がっているかに見えるさまを眺めたのだった、と。頭に思い描くにつけ、なんと美しいのだろうかと思わずにはいられないその光景も、その何十年もあとの、使われることなく舫いつづけるだけのボートが何艘も並ぶ埠頭を思えば、複雑な思いを与えるだろう。私は11時過ぎにスタバを出、自転車にふたたびまたがり店へ向かった。夕暮れ時には心地よい冷たさであった空気はいまではまったく強烈な寒気となって私を襲い、川を挟んで向こうに見える私たちの店はオレンジ色の光をまとい、その光のいくぶんかを川面に落としていたのだった。のんきな顔をして利用していたそのスタバが、それなりの近隣であり、同業であり、競合であったのだと、気づいたのは夜もずっと更けてからのことだった。

 

W.G.ゼーバルト/土星の環

SIMI LAB/Page 1 : ANATOMY OF INSANE


« »