岡田利規/ZERO COST HOUSE(『群像』2013年2月号)

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2012年9月にフィラデルフィアで、Pig Iron Theatre Companyの演出家ダン・ローゼンバーグの演出によって初演されたというこの作品がこの2月、KAATで上演されるという。初演時と同様にピッグアイアンの人たちが出演し、そこに日本語字幕がつくらしい。字幕を追いながら役者の動きを見るのってけっこうしんどそう。それにしても見たい。羨ましい。ということで戯曲を読んだ。あまりのことに、日を置かずに二度読んだ。

作中に出てくる坂口恭平の発言が本当であるならば、ヘンリー・ソローの『森の生活 ウォールデン』と坂口恭平の『ゼロから始める都市型狩猟採集生活』を原作としたというこの戯曲は2011年4月の時点ではすでに構想されていたらしく、そうなると岡田利規が大きな変貌をとげた『現在地』より以前のもの、ということなんだろうか。そのあたりの前後関係はよくわからないのだけれども、この岡田利規の自伝的作品という戯曲は、とにかく、もう、最高にエキサイティングだった。チケットが残っているかどうか知らないけれど、東京近辺の方々はKAATに駆けつけるべきだ。駆けつけられる人が本当に羨ましい。

 

一読して、なんなんだ、このアクチュアリティは、と愕然とした。

作中で自身を「10年に一人の逸材と呼ばれた劇作家」と呼ぶことをためらわない岡田利規は、なんだか、信じたい強靭さを手に入れている。ソローに傾倒した15年前の岡田、ソローを傲慢に感じる2010年の岡田、その傲慢さはかつてと比べて安全な場所にいる、成功者とされる今だからこそ引き受けるべきものなのではないかと転向する2011年の岡田。なんて率直で、なんて真摯なのか。過去の岡田から現在の岡田が照射されるときに帯びるサスペンスはなんなのか。過去の岡田、現在の岡田、そしてソロー、坂口恭平。どの人物が発するセリフも、もうなんでこんなに動揺するんだろうというぐらいにアクチュアルだ。強靭だ。そして各々のセリフが、見事なまでに有機的につながって、何か大きな、すごい何かがメキメキと現れてくる。

 

この作品があって、そして『現在地』がある。(その順番なのかは定かではないにせよ)そう考えると、『現在地』が以前にもまして、すごい決意のもとに書かれていると感じられる。さっきホームページ見たら『現在地』がDVD化されているらしい。ずっと、これを戯曲で、吟味しながら読みたいなと思っていたのだけど、DVDでももう一度見てみたい。チェルフィッチュの新作は『地面と床』というタイトルらしい。9月に京都でやるらしい。駆けつけなければならないと思っている。それから、今読んでいる本を終えたら岡田の演劇論という『遡行 変形していくための演劇論』も読むつもりだ。2006年の3月に初めて『三月の5日間』をスーパーデラックスで見て以来、岡田利規は私にとって最重要のアーティストであり続ける。

 

最後に、坂口恭平に関しては、彼を追ったドキュメンタリー『モバイルハウスの作り方』はすごく面白かったのだけど、そこで描かれていた以上のことはこの戯曲にはぜんぶ書かれている。彼のセリフも(といってもそれは岡田が書いたものだから、どこまで坂口が同じなのかはわからないのだけど)、ことごとくに真摯だった。ワタリウム美術館で催された「新政府展」が素晴らしかったと友人が言っていた。著作もいつか読んでみたい。私は今のところこの胡散臭い人物を信用してみたい気持ちに駆られている。

ところで、ウサギ夫婦は否応なくデヴィッド・リンチを想起させるけれど、あれはどういうあれだったんだろう。

群像 2013年 02月号 雑誌

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