7月、田舎

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京都の旅行でけっきょく疲れてしまうわけだったし、旅行向きの人間ではないこともあって、京都から東京に一気に出て、そこで2つの映画を見たのが週末、金曜日のことだったらしかった。ホン・サンスの『3人のアンヌ』とニコラス・レイの『We Can’t Go Home Again』で、イザベル・ユペールのシューとか言いながら風を起こすみたいな格好をするあの感じであるとか、海に向かいながら焼酎を何本も飲んじゃう感じであるとか、セ・ブー、セ・ブーの歌う具合であるとか、牛の鳴きマネをしてみせるあの感じであるとか、年齢不詳のチャーミングさを画面いっぱいに湛えていて、それは見ていて、すこぶる心地のよい時間だった。フランス人と韓国人が母語ではない言語で交わすやり取りの、それだけで生まれるサスペンスみたいなものに終始魅せられながら、シネマート新宿の画面はなんと小さいのだろうかと、当初覚えたそんな気持ちはすっかり忘れて、それはとても充実した時間だった。

一方でニコラス・レイは、ホン・サンスが4人ほどの鑑賞だったのとは反対に7,8割が埋まる座席の中で見たニコラス・レイは、思いのほかにしんどい時間になってしまい、途中から体が気持ち悪いいつもの症候群に襲われたこともあり、まだ続くのか、まだ続くのか、という時間になってしまい、マルチ画面で映されるいくつもの画像についていくことなど、そもそもついていくことなど想定されていないのだろうけれども、ついていくことなどできないし、ついていきたいような気にもなれず、実験映画ということに拘りを持つ必要はないだろうしこの作品をそういう括りにしていいのかわからないにしても、つい数日前に見ていた牧野貴や、世界の実験映画の先端のようなものに触れたあとにあって、この眼の前で行われていることはそんなに刺激的なものなのだろうかと、わからず、いつだって人間は、その時々に抱えるバイアスに左右されるものなのだろう。

 

そのあとに、田舎に帰った。長い電車の旅の果てに、週末をただただ穏やかに過ごそうとしたのだった。あとになってみればフリードミューンがあったのか等、後悔めいたものはあるにしても、ここはやはり休息が必要だったらしかった。

実際、私は田舎のその家で、眠ってばかりいた。初日は夕方に一寝入りして、早い夕飯を食べたあと、10時にもならないうちに眠りに落ちたのだったし、2日目など、早い夕飯を食べたあとに8時にもならないうちに眠りに落ち、そのまま11時間ほども執拗に眠り続けたのだった。あとはずっと本を読んでいた。バルガス=リョサの『アンデスのリトゥーマ』で、以前読んだ短編「ある虐殺の真相」の舞台をそのままにしたような、アンデスの山間部でおこなわれる様々のむごたらしい死を描いている。人々は、のべつ幕なしに語り続ける。自身の物語を語ることだけが、センデロ・ルミノソやその手先たちに襲撃される時間を先延ばしにする方策であるかのように、人々は語り続ける。バルガス=リョサはどれを読んでも、興が乗ってしまったらあとは勝手に進むジェットコースターみたいに、ものすごいドライブを掛けて私の目を進ませる。要は、まあとんでもなく面白い、ということらしかった。

 

それは初日の光景だった。父親は私を駅まで迎えに来た。そのあとの昼時に、母親は昼飯の素麺を食べるためのめんつゆを買いに出、昼食後には二人で家電屋に行って洗濯機を買った。そして夕方に母は夕飯の食材である肉を買いに出かけ、その間に父親は何かの用を足しにカーディーラーにおもむいた。そして父は戻ってきてから、ビールを買いにまたどこかに出、さらに今度は二人で胡椒や納豆を買いに行こうなどと言って出て行った。都合何度、この人たちは買い物に出かけるのだろう、何度、この人たちは車を出すのだろうかと私は本を読んだりうつらうつらしながらその様子を目撃し続けたのだった。退職後に住むことが決められており、当初住んでいた祖母がとっくに亡くなっているために今は無人であるためほとんどセカンドハウス的に使われている田舎のその家での週末の過ごし方は、間断のないショッピングにおいて充足されるのだろうか。

田舎の家の近所の風景は、ずっとほとんど変わらずに私の前に現れていた。

 

死にたくないなと考えていた。最近はいつだって体調が万全ではないような気がして、リョサの簡単に死んでいく人たちを見るにつけなのか、ガルシア=マルケスが描き出したコロンビアのある時代の状況(一つの町で2月のあいだに2000人が殺されたとか)を見るにつけなのか、なんとなく、死というものを考えることが多く、まだ全然死にたくないな、死んでも死に切れない場所でまだ生きているな、と思っていた。なんとなく、健康診断を受けたい(何か致命的に健康を損ねているわけではなく、ちょっと胃が痛くなったり、ちょっと前立腺がおかしいぞとか思ったりするたびにこれが癌だったらどうしようと思って強い不安に陥るだけで、まるで「これはまずいんじゃないか」みたいな症状があるわけではない。誰に向けてかはわからないけれども念のため)。

 

田舎滞在二日目に、私は近くで、といっても車で30分40分だったが、近くで行ってみたいカフェがあったのでそこになぜか母と伯母と出かけ(そのあいだ父は車で30分40分のアウトレットに何かを買いに行っていた)、そこは食べログを見たところものすごい人気を誇るカフェであり、駐車場もやたらに広く、店もやっぱり広かった。気持ちのいい緑に囲まれたその店のテラス席で私たちは時間を過ごした。

そこではいくつかの、先日も書いた、一定以上の広さを持つカフェが知性や品性を持つにはどうしたら、ということの処方箋になるような状況が見られ、私は気がついたところをメモしながら、なるほど、こういう形が、形というかあり方があるのかと、嬉しいような気分になった。

そこがとてもいい場所だと思えたため、その午後に父親の腰痛か足の関節痛の湯治という名目でやはり車で30分40分の場所にある温泉に行って、私もしばらく浸かったあとに先に一人で出、そのカフェの本店という場所にやはり30分ほどを掛けて行った。そこではウェイティングが4組ぐらいあり、私も名前を書いて待っていたのだけど、湯治の父との待ち合わせの時間が迫ってきたこともあり、諦めてドリンクをテイクアウトだけして帰ることになってしまった。それでも、そこで見られたいくつかのスタッフの対応は心のあるもので、心とか、アホらしくて使いたくない言葉ではあるのだけど、やはり心としか言いようのない、悪くない気分にさせてくれる空気があった。けっきょく入れなかったにも関わらず、私はまったく嫌な心地をせずに帰ることができたのだった。ネガティブなところから反面的に学ぶことも、最低限のクオリティの醸成という面では重要だけれども、やはり、どうせなら、これは学びたいですな、というポジティブな学び方を私だってしたいわけで、その店は何か、そういうものを見せてくれたような気がした。

 

それにしても驚いたのは、その本店がある場所は駅からたぶん歩いたら10分15分程度の場所ではあるけれども、まったく過疎っている土地で、鄙びた、という描写以外に受け付けないような雰囲気になっている。それにも関わらず、そのカフェをたぶん完全に起点にして、本当に狭い範囲にいくつかの古着屋やバーや、何かそういった若者スポットめいたものが連なっている。一つのカフェが町の文化のはじまりとなるその光景は、「すごいなー」というものだった。ただ一方で疑問もあって、あそこで働いて、あの場所で薫陶を受けた人間は、そのあとどういうキャリアを踏むのだろうか、ということだ。わかりやすい出口は独立しかなくて、独立を果たせない場合、その若者たちを受け入れる経済は、恐らくあの土地にはない。総じて、がんばれ若者、よいしょ、よいしょ、というところだった。

だけど本当に、どん詰まったかに見える地方の本当に地方の場所で、ああいう空間が存在し、多くの人に支持され続けているということは、きっとすごいことだった。端的に言って感動しました。

 

帰りの車でもたくさん眠り、私は実家に帰ってきた。

幼馴染と言っていい友人たちと飲みに出た。気のおけない、というのはこういうことだろうなといつだってそれは実感できる時間になった。随所で私は『親密さ』の話を出しながら、そこを起点に話や質問をおこなった。こういうことが起きるということは、『親密さ』はやはり、というかもはや、一つの映画という枠を軽々と越えて、人生や生き方を考えるうえでの一つの教材となっているらしかった。それはフェアな言い方ではないかもしれなくて、映画という枠を小さいものに貶める気はないのだけど、いずれにせよ、私にとってはあまりにアクチュアルな様々だったのだろう。強さとはどういったたぐいのもので、それはどう用いられるべきなのか、信頼とはなんなのか、他者をありのままを受け入れてみることとは何か、書き言葉的な硬さを帯びる言葉が強固なリアリティを獲得するのは映画に限った話ではなく、私たちの対話においてもまた、書き言葉的なものが求められているのではないか、それこそが実は円滑というか、いや、円滑とは程遠い、ギシギシとした、絶えず摩擦を意識させるような、芯のあるコミュニケーションをもたらすのではないか、それを軽視し抑圧しようとするこの空気にいかに対抗するべきなのか、対抗の端緒は、規則が設けられたゲーム的な状況を作ることなのではないか、それは東北の三部作で前面に出ているものであり、『親密さ』のいくつもの箇所で、あるいは『PASSION』でもえげつない形で採用されているもので、あのえげつなさ、面と向かわせられる緊迫、それこそが、いま私たちに必要なことなのではないか。親密さとは、その絶え間ない、やたらに暴力的で気まずい、多くの負荷を与えられた状況を通して初めて、生まれうるものなのではないか。そうやって生成されるからこそ、その親密さは大切で、代えがたいものになるのではないか。

 

前を向く。私は今、少しだけ前を向く。


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