7月、京都

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長い夏休みを作ったので京都に行ったのでその日記というか走り書き。日記とはそもそも走り書きみたいなものかもしれないけれど。

主な用事は濱口竜介の映画を見ることと牧野貴の映画を見ることだった。結果としては、映画を見ることと同じくらい、京都のよしとされるカフェに行ってみることに時間と労力が費やされた。カフェの名はすべて伏せた。なんとなく、そうしたかった。

写真は唯一の観光的な事柄となった下鴨神社の参道。この時期、京都では祇園祭というものが催されていたらしかったが、それは3晩目ぐらいまで知ることもなく、けっきょく行くこともなかった。

 

0708

9時頃起床。21日に閉店するためこれが最後の機会だとマチスタ納めに向かうも、月曜定休を忘れており果たせず。スターバックスでコーヒーを飲む。家に帰り荷物をまとめ、二人で駅まで歩く、20分。寄った好日山荘で、格好良かったのでパタゴニアのリュックを買う。駅の中のうどん屋で荷物を入れ替え、その途中で今読んでいたカサーレスの『パウリーナの思い出に』と間違えて『カフカと映画』を持ってきてしまったことに気が付き、歩いて家まで戻る。往復40分、汗だくになりながら歩く。

駅で彼女と別れ、岡山から京都まで新幹線。到着後、友人に教えてもらったゲストハウスに連絡し、そこにひとまず向かいチェックインをする。そこから立誠小学校に向かう前に本屋に寄りたいと思い、四条烏丸の方に出るも、本屋がどこかわからず、そして上映の時間が迫ってきていたため本屋は諦めて小学校に向かう。早歩きで、やはり汗だくになりながら向かう。上映ギリギリで間に合い、濱口竜介『親密さ』を、念願のそれを、見る。

節々に親密であり、苛烈である関係が捉えられ続け、私は、何にそう戸惑っているのか、焚きつけられているのかわからないまま、多くの涙を流す。汗が乾き、寒い。休憩の時間にTシャツを脱ぎ、裸の上に長袖のシャツ(着いた時には汗でびっしょりだったが、よく吹く冷風のおかげで2時間のうちに乾いていた)を着るというセクシーなスタイルを導入し、上映を乗り切る。空調が効きすぎていた。緊張感が張り詰めていた。私はその一言で、これからも生きていけるような気がします。洪水のような言葉を浴びながら、何が大切なのか、何がそうではないのか、私には何もわからず、電車がふた手に分かれていく瞬間に立ち現れる親密さを、どう捉えたらいいのか。強く、マッチョであることとはなんなのか。強さは人を傷つける。それは、岡田利規が『現在地』で描いたこととも通じ合っていた。受精。私とスクリーンのあいだに、いったいどんな親密な、intimateな関係が結ばれたのか。呆然としながら、私は映画館を出た。

そこからぐっと上がり、ジャポニカにて、牧野貴『The Intimate Stars』を目撃した。親密な、もっと言えば肉体関係のある星たち、というタイトルだった。素敵なカフェで、それはおこなわれた。その作品は、先の岡山での上映においても私の中でもっとも何かアクチュアルな作品だった。雲かと思っていたものが実は波しぶきであり、つまり波しぶきは雲であった。空中ブランコは、いつだって落下傘部隊のように座る人を落下させた。観覧車は、明滅する宇宙ステーションでしかなかった。イメージの奔流のなかで、ぼんやりと、色々を見過しながら、つかみながら、その時間は、夢のごとく過ぎていった。終映後、そこにいた人々と話した。相変わらず、知らない人とどういった関係を結んだらいいのか、何を話したらいいのか、私はわからなかった。ビールを飲むことにした。

歩いてゲストハウスに帰った。BGMはアンチコンで活躍していたsoleの最近の作品だった。まったく耳に入らなかった。ゲストハウスにおいても、私はどう振る舞ったらいいのかわからなかった。一人、煙草をのみ、そのあとに眠った。寝苦しかった。

 

0709

早い時間から目が覚め、もう少し寝よう、もう少し寝ようと粘りながらも、どこかのタイミングで諦めて起きた。他者がその場に介在することで、私は多分、リラックスとは別の睡眠を取ることになった。そう思いながら、2泊延長の手続きをした。

四条河原町からのバスに乗り、それは5系統だった。一乗寺の方に向かい、運転手の指示に従って一乗寺のあたりで降りた。iPhoneが朝のあるときから「simなし」の表示に固定されてしまい、難儀した。ここ数日ずっと起きていた現象だったが、再起動すれば治った。それが今日は一向に治らなかった。それはとても不便なことでありながら、一筋の快適さ、世界と接続されていない安心感を私にもたらした。恵文社は、以前行ったときには体調が悪くなったせいもあり、何も面白くない、と思っていたのだけど、今回はなぜかとても行きたく、行ってみたが、やはりそう刺激的なこともなかった。といっても、私の判断基準は結局、現代企画室だったかどこだったか忘れたが、ラテンアメリカ文学のコーナーにセルバンテス賞コレクションのものが置いていなかったからというだけであり、とても偏ったものだった。結局、そういう確たる欲しい本がある人はAmazonなりで買えばいいのであって、個性的な書店に行くことは不意の出会いのためだと、頭ではわかっているのだけど、なんだ、セルバンテス賞コレクション、ないじゃん、という短絡。

その中でも、ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』、バルガス=リョサ『アンデスのリトゥーマ』、ガルシア=マルケス『誘拐の知らせ』、そういったものを買った。それらは不意の出会いであり、満足な買い物だった。買ったあとに、店の人に勧められたカフェに行き、飯を食らった。美味かった。食べていると汗が噴出して、当初ホットコーヒーを頼んでいたところを、アイスコーヒーに変えてもらった。恐縮だった。

前日に人に勧められた萩書房は、前は通ったが、まだやっておらず、恵文社のあとに行こうかとも思ったが、これ以上本を買っても仕方がないのでやめた。そう言いながら、飯のあとに再び恵文社に行き、京都のカフェの本を2冊買った。それをレジに持っていくことは、恥ずべきことだった。ただ、映画以外に予定もないことだし、職業柄、いいとされているカフェを体験してみよう、ということだった。

再びバスで、四条河原町まで行った。迷いながらたどり着いたカフェでコーヒーを飲んだ。美味しかった。素敵な場所だった。店の方と常連らしき男性客がガルシア=マルケスと莫言の話をしていた。私は『パウリーナの思い出に』を読み終えたため、ソンタグとガルシア=マルケスを読んだ。

そこからは程近い、立誠小学校に再び行った。酒井耕/濱口竜介の『うたうひと』を見た。うたわれ続ける民話に最後の方はやや飽きを感じながら、随所で、なんだかすごい瞬間を目撃しているような感覚に陥った。語ること、真摯に聞くこと。すごい関係が、そこで結ばれていた。朗々と歌われる民話は、まさに歌以外なにものでもなかった。いくつもの、ハッとする、美しい顔の瞬間。

それは『親密さ』でもまったく同様で、パッと見たところそう印象的でもない女の顔が、まさにきらめき輝く瞬間をいくつも捉えている。冒頭の電車に乗り込んだ直後の、恋人の顔を見上げる表情。いくつものあまりに輝かしい瞬間。フィクションは俳優をめぐるドキュメンタリーであると、ジャン=ピエール・レオーを見るにつけ、大学時代から私は何かモットーのように掲げていたのだけれども、それが、この映画のなかにもずっとあった。苦り切った顔、怒った顔、よろこぶ顔、すべてが、俳優をめぐるドキュメントだった。それが映画内演劇の中で重なり、印象がぶれる時、私たちはいったいどの顔を信じたらいいのか。目の前のその顔を信じるしかなかった。演じること、その、とてつもない力。

時間的な逼迫と金銭的な余裕からタクシーで同志社大学寒梅館に向かい、早歩きでホールに向かった。小学校から大学へ、妙な流れだった。そのことには後で気がついた。

地下のホールに下りると、すらっとした女学生たちがすっと立ち、来る客、来る客に頭を下げていた。不思議で過剰な光景だった。

そこで[+]上映会と呼ばれる、何人もの実験映画作家の作品を目撃した。目眩のするような時間だった。牧野貴の『2012』は、先日見たときにはただ純粋に光の乱舞として私の目に映っていたのだけれども、今日はいくつものイメージが見えた。市民マラソンのような千人単位の人々の群れがぐるぐると、ロータリーを回るタクシーのように反時計回りで走っていた。牛か馬が、猛っていた。そういったイメージがどんどんと頭の中に生成された。そういったイメージを、頭は受精した。抽象的なものにあたった時、私たちはつい具象のきっかけをつかみたがって、それがつかめたら安心できる、ということがあるように思われ、牧野貴の映画に対して、これが見えた、あれが見えた、ということは果たして正当なのだろうかといったん考えていたが、作家本人が言うように、見る人各人の頭の中で異なるイメージが立ち上がることが大切ということであり、私が抵抗を覚えるのはたぶん、だから、「あれこれが映っていたよね」という正解を求める思想であり態度であり、そうでなく、ただ私は、そして今回は、これを目撃した、という、その表明である限り、それは暴力につながらない、ということだと思った。

上映後、友人と二人で大学の中を少し探検した。あとでわかったことだがそれは法科大学院の建物だった。リュックを背負った男が二人、のったりのったりと校舎の中を歩いていると、視界がふいに『エレファント』めいたものに変わり、私たちはこれから銃を取り出して乱射するのだと知った。大学という場所は、私にとっては極めて美しく感傷的な場所だった。友人は、そういった私の発言に驚いていた。

そのあと、今回の関西ツアーの打ち上げというところに参加した。知らない人たちの中に入ることに対して強い抵抗、逃げたいというような気持ちすらあったが、参加してみたところ、隣に座った方と話をさせてもらえて、それは貴重で有意義な時間だった。だから参加してよかったように思う。五条駅から歩いてゲストハウスに帰り、ビールを一杯飲み、そして、simの抜き差しを経てiPhoneの不能を脱することができた。

ゲストハウスのラウンジでiPhoneに四苦八苦していると、店にたまにバイトに入ってくれている方に出くわした。にわかには信じがたい顔の現れだったため、顔を見ても最初はそれが誰だったのか認識しなかった。それは確かに不思議な感覚で、笑いがこみあげた。全体に酩酊した。酔いながらこれを打った。寝ようとすると胃が強く痛み、態勢を何度か変えた。

 

0710

ゲストハウスでは十分に寝続けることができないのか、良くも悪くも早く起きられる感じがあり、8時台に勝手に目を覚ました。

シャワーを浴び、いただいたカフェフォレを飲むと外に出た。この日の予定は16時から立誠小学校で2本見ることだけだったため、時間がありあまるほどにあった。歩いた。たぶん三条とかそこらへんの古くからの喫茶店でトーストとコーヒーを飲みながら、なんとなく時間を過ごした。腹をくだした。11時過ぎに出、お腹がすいたので見かけたおばんざい屋的な場所で飯を食らった。うまかった。みなちゃきちゃきと働いていた。有線でボニー・ピンクの「ヘヴンズキッチン」が流れた。大好きな曲だった。

そのあともう少し上がったところにあるカフェに入り、スムージーを飲んだ。広々とした場所で、好ましい空間だった。厨房のわりと近くだったこともあり、洗い物の音がやたらにうるさかった。実際、あれだけ音が鳴るのならばその手つきはたぶん荒々しかったはずだ。また、店員の方が帰った客の皿なりを下げるときの様子もそれなりに賑やかだった。提供時にはそっと置こうとかそういう気が回るけれど、下げるときの音に注意できない人というのは多いように思われる。アルバイトの人にもよく注意をしている。客として実感してみるのが一番いい。スムージーはおいしく、過ごしやすいいい場所だった。

そのあともう一つ、今度は小さいカフェに入ってコーヒーを飲んだ。たまらない場所だった。私にとって理想的な空間だった。感動した。自分にとって本当に心地がいいという店に入ってそこで時間を過ごすと、なんというか、じわりと腹にとどまるような喜びとけっこう泣きそうな感動がある。たいへん好きだった。明日も行こうと思った。

立誠小学校に行き、酒井耕/濱口竜介『なみのこえ 新地町』『なみのこえ 気仙沼』の2本を続けて見た。どちらも入りは3人程度だった。『親密さ』を見るというか知る以前から、多分マイケル・マンの『コラテラル』を見てからずっと、私は何かを見るにつけ親密という言葉を考えていたのだけれども、この日何人ものインタビュー、対話を見ていると、何度も何度も、バカの一つ覚えのように親密ということを思った。どちらもひどく充実していたけれど、特に『気仙沼』の何組かの話がやたらによく、それは喫茶店をともに営む兄弟であったり、着物屋を長年一緒にやっている女性二人であったり、やはり長年一緒に会社をやっている夫婦であったり、そこここに、親密という言葉以外なにものでもない時間が流れ、なんで私は今、こんなに親密であけっぴろげな他人の会話を目撃することができているのだろうという不思議な感覚に襲われた。そして最後の若い夫婦のぎくしゃくとした、最後までうまくいかなかった時間の愛らしさ、緊張感。それにしてもいったいあれらの会話は、どのような拘束というか規則のもとにおこなわれているのだろうか、どのような下ごしらえをしたら、あれらのような瑞々しい会話がカメラの前で生み出されるのだろうか。

映画が終わり、またカフェに行った。毎日、本当によく歩いている。歩いてばかりいる。2分も歩けば汗が背中を濡らす。

入ったカフェはこれもまたとてもいいところだった。私が入ったときはそう多くはなかったが、食べログを見たところ大人気店のようだった。カフェというものについてそこのお店の人に話を聞いてみたいというような気持ちに駆られ、わざわざ席を移動させてもらってカウンターの席に移ったのだが、完全に慣れない、そして不得手なカウンターという席にいて、いったいどこに視線を向けたらいいのかもわからず、仕方がないので本を読みながらビールを飲んだ。やっている人の思想を感じるとてもいい場所だった。

それにしたって、話を聞いてみたいと思ってカウンターに座ったはいいものの、実際何か質問事項があるわけでもなかったし、なんせ、働いている人に話しかけるなんてしていいのだろうかとも思ったし、私みたいな若造がいったい何を、どんな顔をして、と思うと何も話を切り出せず、けっきょくなぜかカウンターに移ったうえに無言のまま帰っていった男、という謎の客として過ごすことになった。店の人に話しかけることなど、私にはできない。ときおり、よくこんな人見知りが店なんていうものをやっているなと思うのだけれども、本当になんなんだろうか。立誠小学校においても、一日目二日目ともに濱口監督がおられたので、以前共通の友人が運営している「Loadshow」というweb媒体に『何食わぬ顔』の感想めいたものを寄稿したことがあったこともあり挨拶をしたほうがいいかとも思いながら挨拶できず、三日目のこの日にやっと、「あの」と言うことができたほどだ。

いくつもの対話を見たあとの今となっては、自己紹介とは「阿久津隆、27歳、今年28になります。岡山でカフェをやっていて、だから今は岡山市に住んでいます。出身は埼玉県で、大学を出るまではずっと関東にいました」という形以外ないように思えてくる。

なか卯でご飯を食べてからゲストハウスに帰り、しばらく本を読んだあとに寝た。孤独だった。

 

0711

この日はよく眠れ、10時のアラームが鳴るまで起きなかった。シャワーを浴び、行く場所もないのでおすすめされた下鴨神社に行くことにして出町柳まで電車に乗った。カフェに行ってコーヒーを飲んだ。浅煎りをあっさりめで淹れてもらい、それはいい具合の酸味が口の中にずっと留まる、おいしいコーヒーだった。ネルドリップをずっと見ていた。格好良かった。

下鴨神社はそういえば行ったことがあったのだけど、覚えていたよりは小さく、ぐるっと一周、ゆっくり歩いて1時間も掛からなかった。参道で多くの人たちがスケッチをしていた。木漏れ日でゆれる地面を見ていると、なぜかフアン・ホセ・サエールの『孤児』の集落を考えた。

再び四条に戻り、昼飯を食いにカフェに入った。ヘルシーなご飯で、それなりに美味しかった。一定以上の広さを持つカフェに、ある種の知性や品性をインストールすることは可能なのだろうか。これは多分、私にとってとても重要な課題だ。

時間が余っていたのでもう一つカフェに行こうかと思ったのだけど、店の前に来るととても大げさな看板が出ていたのでこれは間違えた時間を過ごすことになるだろうと思い、結局タリーズに入って本を読む。

この日も立誠小学校へ。『なみのおと』。上映前に映画館のスタッフの方に、あの正面のカメラはどうやって撮影されているのですかと尋ねてみると、先日おこなわれた監督のトークの時にも同じ質問があったそうで、そこで答えられていたものを教えていただく。「なんとそんな!」という方法で、愕然とする。

『なみのおと』は、やはりとてもすごくて、凄くて、特に夫婦の対話に感動した。その手には助けられたね、もう大丈夫だって安心した、という妻の発言に私はボロボロと涙を流した。最後の姉妹もよかった。なんであそこまで、カメラの前で、しかも真正面にすえられたカメラの前で、あんなにも笑顔をはじけさせ、率直な言葉を放つことができるのだろうか。もうほんと、なんだかわけがわからない。

上映後、この日もこの日とて時間が有り余っているため前日に行ったカフェに行き本を読んだ。サンドイッチを食らった。美味しかった。やはり、最高に素晴らしい空間だった。京都に行くたびに行きたい。

閉店が早い店だったのでそのあと、これもまた前日に行った、洗い物がやたらにうるさかったカフェに行ってビール等を飲みながらガルシア=マルケスの『誘拐の知らせ』を読み終えた。夜に行ってみると、それなりに賑やかながらも席の配置がちょうどいいのか、快適に過ごすことができた。この店が岡山にあったら私はけっこうな頻度で行くだろうなとも思った。よかった。

ふらふらと歩いて帰る。毎日3時間4時間は歩いたような気がする。健康的でいいことだった。

リュックを背負ったままゲストハウスのバーに入ると人々が名刺交換的な催しをおこなっていて、とても盛り上がっていたので、ビールを頼んで誰もいないいちばん奥の暗いところにいく。明朗さ、健全さ、そういうものに対する苦手意識がどうやったって拭えない。

ビールを2杯飲みながら、宿の人とお客さんとしばらく話をして、その人は芸能事務所のマネージャー的なことをやっているということで、全然知らない仕事なので何かと「へー、そういう」と思いながら面白かった。こうやって静かに、笑いのようなものが必要とされない条件下でおこなわれるならば、会話は私にとって愉快なものとなった。

話が終わって遅い時間で腹が減ったのでなか卯に行って飯を食った。けっきょく三晩連続でなか卯に行った。カツ丼とすだちおろしうどん、親子丼とすだちおろしうどん、衣笠丼とすだちおろしうどん。

ゲストハウスに戻り、ソンタグを読みながら寝た。他者の苦痛。自らの苦痛。

 

0712

4時過ぎに目が覚めると、空は白み始めていた。こんな時間に起きてもどうしようもないため薄い睡眠を9時まで取った。

チェックアウトをし、京都駅へ。前夜までは鈍行で名古屋か滋賀あがりまで行って何かとか思っていたのだけど、お金の減りも激しかったし、そもそも私には旅行者の素質めいたものがないというか、どうやって過ごしたらいいのかがやっぱり結局わからなかったこともあり、東京まで出、今晩栃木の田舎に帰るという両親たちとそっちに行って週末を過ごすことにした。世間は3連休ということだし、そういう賑わいの中から身を離すにはとてもいい方法だと思ったことも一因だった。

そう思って京都駅からどうしようかと考えてみたが、昼の高速バスで行くと親たちが出る時間には間に合わず、東京からさらに3000円ぐらいかけて栃木まで行かなければいけないし、そうなればまた夕飯を一人で食べたりするためにお金を使わなければいけないし、何かと出費がかさむだろうし、それならいっそ新幹線で帰って、両親の車で栃木に行くのがいろいろなコストが減るような気がしたのでそうしようかと思ったが、どうやらニコラス・レイの『We Can’t Go Home Again』が今日までで、そしてそれは21時からで、ということで、バスで東京に戻り、映画を見て埼玉の実家に一泊して電車で明朝栃木、というコースがにわかに妥当性を獲得した。そのためバスを取ろうとバスセンターに行くとバスは12時ではなく10分前の11時半に出ました、と知らされ(iPhoneで調べていたときは12時という便があったが古い情報だったようだ)、方法が新幹線しかなくなったので新幹線に乗った。けっきょく一番金が使われる動きになってしまった。

本を読む気にもなれず、ぼんやりと『親密さ』のことを思い出していると涙があふれてこぼれ、何が私をそう刺激するのかわからないまま目を拭くために眼鏡を取ると、ゆるんでいたネジが外れたらしく、眼鏡の耳にあたるところが外れた。小さなネジを入れようと一生懸命しているとそれが床に落ち、探すのに一苦労した。ゆるい状態のままはめて品川から新宿に出、メガネ屋でネジをちゃんと入れてもらった。ベルクに行き、ジャーマンブランチを食べた。ビールを飲んだ。これからシネマート新宿でホン・サンスを見る。


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