2月

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木曜日が休みで、その日から咳が出始め、夜には熱も出始めたのか、とにかく、翌金曜日に起きるとしっかりと熱があるように感じられ、火曜から咳と熱の症状があった彼女と二人で病院に行き診察と検査を受けると彼女はインフルエンザの陽性反応が出、私は陽性反応は出なかったのだけど医師は検査で出ないからといって陽性でないとは限らない、なんせ症状が彼女とまるっきり同じじゃないか、とほとんど責めるような物言いで私に言い、だから同様に、タミフル5日分の効果があるイナビルをここで吸引してから帰るように、と指示を与えた。それに則り、口を用いて妙な味のする粉末を4度、吸い込んだ。家に帰り再度熱をはかると8度5分あり、それはインフルエンザであろうとなかろうと、働くものではなかったし、インフルエンザの薬を飲んだ以上、インフルエンザだと思ったらいいというところで、医師が言っていた解熱後2日間はウィルスを撒き散らすということを鑑み、ともかく金曜と、土日は店を閉めることにした。

 

二人とも、咳などは残りつつ、土曜からはだいたい元気になった。

 

ロバストでない。こういった乱れに対して、まったく安定をしていない。別段、体調不良になったのだからまあしょうがないし、ゆっくりできたしいいかという気持ちは確かにあるのだけれども、二人してこうやって風邪を引いたら3日も店を閉めることになるというこの状況はやはりおぼつかないという気がしてならない。3日、しかもそのうち2日は週末であり、それはウィークデイに比べれば稼ぎ時ということであるから、そんな2日も込みの3日だから、それなりの逸失利益があり、全体として暇な冬場だからまあ、みたいなところもあるし、暇な冬場からこそ、というところもあるし、このあたりはたいへんどっちつかずではあるけれども、うーん、脆弱だなあ、体がではなく仕組みが、と思わざるをえない。

 

そんなことを5分だけ考えてから、あとは3日間、ゆっくり本を読んだりして家にこもって過ごしていた。煙草を吸いに外に出るぐらいのものだった。ずーっと本を読みたい、みたいなことを思ってはいても、いざそんな環境に置かれてしまうとずっと本を読みたいなんてまるで思えなくて、それは体調のせいもあるのだろうけれども、そんなに読みたい気持ちというのは長続きしないもので、なので阿部和重の『Deluxe Edition』が読了され、それからカート・ヴォネガットの『スローターハウス5』が読了され、やっとこさ手に取った伊藤計劃と円城塔の『屍者の帝国』が200ページぐらいは進んだ。本を読むことはたいそう楽しいです。

今日の晩にはちょっと外に出ようというところで丸善に行き、レイ・オルデンバーグ『サードプレイス』を買ってきた。『屍者の帝国』を終えて、その次に今年の読書のルールであるところの「初めて読む本とかつて読んですごくよかった本を交互に読む」に則って阿部和重の『アメリカの夜』にするかゼーバルトの『移民たち』にするか、はたまた別のものか、を読んだら今日買ってきたやつを読もうと思っているのだけど、わりと「いま、読みたいぞ」みたいな気分でいたりするとそのルールが邪魔をしてくるところがあり、なんだかなあ、んもう、という、本当に、そのろくでもないルールを破ればいいだけだろう、定めたの自分なんだし、プレイヤーには裁量を持たせてやってもいいのではないか、ということを言いたくなるが、制定者もプレイヤーもそこは頑ななようで、その通りに行動するつもりのようだ。

 

そのようなわけで休暇中、私はわりと映画を見るよりも本を読みたいところだったのでよく本を読んでいたのだけど、彼女はどっちもしたいということで映画も見ていて、ちょうどツタヤディスカスの空白の期間と重なってしまったこともあり、家にあったアントワーヌ・ドワネル4部作のBOXを順繰りに見ていて、私もちらちらと見たのだけど、久しぶりにみるトリュフォーのそれというか、ジャン=ピエール・レオーのそれは、やはりあまりにチャーミングで、なんて素晴らしい瞬間がこんなにたくさん散りばめられているのだろうと、感嘆を禁じ得なかった。感嘆というか、つられた声をあげて笑っちゃうことを禁じ得なかった。お前らみんな最高だよ!と私は叫んだ。特に、というかたくさんあるけれど、印象に妙に残ったのは、というか今回私が通して見たのは一つだけでそれはしかも短編の『アントワーヌとコレット』だったのだけど、もう全体に本当にチャーミングだったけれど、食卓で、コレットが「クエスチョン」と言ってナイフをあげて、顎も上がり気味で、「家庭にまさる場所は?」という。レオーというかドワネルが笑って口からパンを吐きそうになる。アンサー:いたるところ。いっそうドワネルは笑って口からパンを吐きそうになる。なんて素晴らしいシーンなんだ!!!!!というところでした。

 

鍋食った。今晩は鍋食った。何か映画を見たいというので何がいいのか問うたところ「キートン」と言ったのでそれに類するものとしてとても久しぶりにTha Blue HerbのライブDVD『演武』を見て、やっぱり圧倒されたのだった。やっぱり、あの口をあんぐりあけた青年のように、ただただ圧倒されたのだった。

ニール・ヤングというか『デッドマン』の「AME NI MO MAKEZU」から宮沢賢治の「告別」になだれこむ最後は、やっぱりただごとではなかった。ただごとではないというかとんでもないことだった。相変わらず、馬鹿のひとつ覚えのように、このライブは私を勇気づける。勇気づけられるし、「野望をペラペラと口にする悲しき野郎の前で俺はいつ始めるんだろうと思ってる」というライン(ってこういう使い方で合ってるのかしら)には「わあ、マイッタ!」という感じだったし、とにかく、相変わらず、ただごとではないものを私は彼らから与えられた。

 

鍋のあと腹をくだした。彼女が昨日から『2666』を読み始めた。人が読んでいるのを見ると「そんな分厚い本よく読む気になるね!」と思う。鍋のあと腹をくだしてそれが激しかったのでそのあとに2度目のシャワーを浴びて今日ロフトで買ってきたローズマリーの香りのするボディソープで体を入念に洗って湯を止めるとタオルを取り体を吹き、シャワーから出ると脱ぎっぱなしのパンツと置きっぱなしのiPhoneを取りにトイレに戻り、そこに溜まっている水が透き通ったものかどうかを目視で確認するとトイレのドアを閉め電気を消し、腹痛がいまだに少しうごめいているのを知覚して「まだなのか、まだなのか」と困惑の声をあげた。


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