読書感想文 『疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話』(寺尾隆吉訳、水声社)

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疎外と叛逆ーーガルシア・マルケスとバルガス・ジョサの対話

鼻持ちならないガウチョ』所収の講演録の中でボラーニョに「老マッチョ二人組」と呼ばれているお二人だけど、今現在の僕にとってはどちらもそんなに積極的に読みたい作家ではない。

ガルシア・マルケスは『百年の孤独』は二度読むほどにはとても好きだし『コレラの時代の愛』や『わが悲しき娼婦たちの思い出』やノンフィクションの『誘拐の知らせ』とかも好きなんだけれども、いろいろとラテンアメリカの小説を読んでいく中で、今はマジックリアリズム的なものよりも正面から政治や歴史を書いているものの方が楽しいところがあるので当分はいいかなと思っているし、バルガス・ジョサ(リョサと言いたい!ジョサ慣れない!というかなんで今さらジョサなんだ水声社。正しいのはわかるけど、アマゾンとかでもいたずらに著者名が分かれちゃうしなんか色々な面でどうなんだろう水声社。今さら誰もカート・コベインなんて言わないだろう!)はこの一年ぐらいで4つ読んだのかな、『都会と犬ども』と『フリアとシナリオライター』と『アンデスのリトゥーマ』、『緑の家』、どれもそこそこに面白かったのだけど、まさにマッチョという印象で、すごい頑固そうというか、村上春樹とかリチャード・パワーズを読むときに感じるものだけど、作者の中に完全なる正解がありそうでそれが押しつけられている感じが息苦しい、みたいなところがあり、いつか『世界終末戦争に死を』とか読んでみたいものもあるけれど、よほど色々に余裕があるときだなと思っている、というそんな位置づけ。

 

そんな曖昧な位置づけならばなぜ手に取ったのかと問われても「なんとなく」か「水声社だし、応援したいし」ぐらいしか答えられないのだけど、対談およびインタビューはとても面白いものだった(バルガス・ジョサのガルシア・マルケス論はそう面白くなかった)。訳者解説で「ガルシア・マルケス研究でしばしば引用される文献」とあったけれど、そのせいか、節々で既視感のある発言に遭遇した。この対談がソースだったのか、みたいなところも含めて面白かった。

 

『百年の孤独』で一躍時の人となったタイミングのガルシア・マルケスにバルガス・ジョサがインタビューする体の対話。前書きで「対照的な気質」とあるけれど本当に温度感の違う二人で、エキサイティングともまた違う、微妙な噛み合わなさがとてもよかった。

 

「あの家では、ペトラ叔母が亡くなった部屋も、ラサロ叔父が亡くなった部屋も、空き部屋になっていました。そのせいか、夜になると、家には生きている人より死人の方が多くなって、普通に歩くことすらできなかったほどです」とか「叔母というのは(…)大変に活発な女で、ある時突然死衣を縫い始めたものですから、「ねえ、なぜ死衣なんか縫うの?」と私は訊きました。すると彼女は、「あのね、私もう死ぬのよ」と答えたのです。それで針仕事を続け、縫い終わると横になって本当に死にました」とか、さらっとこういう発言が出てくるのを見ているとガルシア・マルケスっていうのは本当にマコンドみたいな人なんだなあというのがわかってとてもいい。

また、そんな調子のガルシア・マルケスと、それを認めない感じのバルガス・ジョサのすれ違いというかほとんどガルシア・マルケスの発言全部無視、自説固持、みたいなところも面白い。

「簡単には信じられない非現実的な逸話が併存する小説が現れる…… ともかく、あなたの小説には、詩的、あるいは幻視的とでも言えばいいのか、一見ありえないような挿話が……」「いやいや、『百年の孤独』における私はリアリズム作家ですよ、だってラテンアメリカではすべてが起こりうるし……」「『百年の孤独』を読んでいて驚いたのは、多くの登場人物が同じ名前を持ち、何度も同じ名前が出てくること……」「父と同じ名前の人なんて、ここにだっていくらでもいるでしょう。(…)さっきも言ったとおり、物事は説明なしにそのまま受け入れないと……」「わかりました。(…)あなたの本には、空想や溢れんばかりの想像力……」

だから空想や想像力じゃないんだって!という感じがとにかくよかったです。ボルヘス批判も興味深かった。

 

また、「ラテンアメリカ文学のマドンナ的存在」だっというエレナ・ポニアトウスカによるバルガス・ジョサへのインタビュー、これもとてもよかった。

 

まずポニアトウスカによるインタビュー序文的なやつ。

「ある時ふと考えてみると、男であれ女であれ、真に興味をかきたてられる人物は、情熱をかけて仕事に打ち込んでいる者だけである、という事実に気づかされたことがある。(…)しっかり据えて仕事に臨まない者たち、広く浅くの態度を取る者たちは、遅かれ早かれ疲労と倦怠を免れず(自分でも満足できない仕事に他人が満足するはずはない)、すべてが徒労にすぎないような印象を与えることになる。」

いやーもうほんと、すいません、と思いました。いやーもうほんと、ほんとすいません、と思いました。

 

それからバルガス・ジョサの規律好きみたいなところ。

「僕はその時々のインスピレーションで執筆するようなタイプじゃないから、これは重要なんだ。性格の問題だろうね、銀行員と同じように、毎日決まった時間規則的に仕事をしないと僕はダメだね」

そしてその規則正しい日に立ちあがる美しい時間について。

「僕にとって美しい日と言うのか、素晴らしい日、わかるかな? 爽快な日とは、机に向かって座ったまま八時、九時までずっと書いていられる日さ。そういう時はすらすらと文章が出てくるからね……(…)そんな日はよく眠れるよ。気分がいいし、幸せとは少し違うけれど、ともかく、世界と仲直りしたような気持ちになる。(…)

和解したように気持ちがいいんだ、わかる?」

なんかこう、とても低い次元での共感だろうけれども、わかるなーとなりました。ノーベル賞作家に向かってこんなこと言うのもあれなんですけど、マリオ、その感じ、俺もわかるよ、わかる、と言いたいと思いました。

 

しかしこのインタビューの中で何よりもいいのはポニアトウスカのあれこれで、過剰な食い下がりと、意味というか意図不明のインタビュアー注。

食い下がりは「幸せ?」という問いから始まり、執筆している時間は幸せだし、それを中断されると不機嫌になる、と答えるバルガス・ジョサに対し、「でもね、マリオ、人間らしい生活というのも必要じゃない?」と食い下がり、家庭と子供の必要性を説く。「あなた、もう二十九歳でしょう、マリオ」「それじゃ、子供は欲しくないの?」「(いらないという答えに対し)そんなバカなことを!」と。

そして意図不明の注。「(微笑…… バルガス・ジョサの微笑は優しい…… 聞き手の唇、あるいは心に残りそうな微笑…… )」「(再び微笑。こんなふうに微笑むことのできる人はいつまでも歳を取らず、ずっと若いままだろう、そんな気がする)」こんなの初めて見たよ。

このときポニアトウスカは33歳。どんな人なのか、バルガス・ジョサとどんな関係だったのか、まるで知らないけれどもこれはもうエレナはマリオに首ったけだったのかな?とつい下世話な想像が膨らんでしまう、素晴らしいインタビューだと思う。

 

そうこうしていたらガルシア・マルケスが亡くなったとのこと。200歳ぐらいまでは平気で生きるのかと思っていたので驚いた。


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