1月、終わり

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金麦を飲んでいる。otogibanashi’sの「Pool」を聞いて、それからPeter BroderickとMachinefabriekのアルバムを聞いた。金麦の2本目を開けた。店の2階のコタツに入っている。閉店からは1時間半が経った。ここからは橋が見える。青信号がいくつかと、赤信号がいくつか見える。青信号のいくつかが点滅して、赤に変わった。車のヘッドライトがチカチカとまたたきながら移動していった。ピーター・ブロデリックの『How They Are』がすごく好きで一日中聞いていた。最後の曲の「Hello To Nils」のニルスはフラームのことなんだとは思うのだけど、あまりいいので改めて検索して歌詞を読んでみたところ、これがとてもよかった。さいしょ私はここにいて、それからあそこにいる、それから私はここにいて、それから私はあそこにいる、あそこから私はどこにでも行こう。そんな感じで歌い始められた。古いニュース:この場所はとてもいい。新しいニュース:再び去る時が来た。私はあまりに頻繁にグッド・バイを言う。こんにちわ、こんにちわ、こんにちわ。あまりいいので2往復ピーターと一緒になって歌った。歌い上げたといっても過言ではなかった。

 

先週の休みに大阪に出て、神戸に出て、映画を見た。12時に営業を終え、そのまま彼女と大阪まで車を走らせるという無謀な行程だった。朝10時半の上映に間に合わせるのに不安があったための措置だった。1時頃に出発した車は4時半ごろ、新大阪近くの漫画喫茶に着いた。4時間眠り、十三の第七藝術劇場に行った。新大阪から十三という、距離にすれば数キロの道を迷って、何度も川を越えるというようなことをしてしまったために時間がなくなり、朝は吉野家で済まされた。それがとても悔しかった。映画館ではロバート・アルドリッチの『合衆国最後の日』と『カリフォルニア・ドールズ』が見られた。いずれも度し難いよさだった。短い睡眠時間や溜まっているであろう疲労はそのときにはどこかに消えていた。特に後者については映画館で見られたことを感謝するしかないような素晴らしい上映だった。ゴー、ドールズ、ゴー、と心のなかで何度も何度も叫んだ。叫ぶ代わりにたくさんの涙を流した。歓喜だった。

 

それから神戸に移動し、旧居留地の銀行の建物を改装したカフェに入った。とても金の掛かっていそうな、豪奢な場所だった。

神戸でどこかカフェに行こうと思っていて、こういうときグーグル型の検索は極めて弱い、といつも思う。極めて個人的な趣味嗜好に合致したカフェを見つけるのはグーグルの仕事ではないらしい。フェイスブックとツイッターでこういう場所がいいんだけれどもどこか知りませんか、と募った。いくつかの回答をいただいた。それらは、グーグルで検索したときに簡単に出てくるものではいずれもなかった。フェイスブックがグラフ検索という機能を実装し始めたという話をどこかで見たけれども、それがどこまでグーグル的な検索を脅かすものになるのかはわからないけれども、先生に聞くより友だちの意見聞きたいな、というときには便利だろうなと思う。

神戸のゆるっとしたふわっとしたカフェを探していた私たちが行ったのは結局、そういうところとは正反対に位置しそうな金の掛かっていそうな豪奢なそのカフェだった。なんとなくそういう気分になったせいだった。コーヒーを飲んで出た。20分200円という停めたパーキングの料金が気になってお茶どころではなかった。今回の「大阪神戸映画の旅」全体に言えることだが、車で行くのは便利といえば便利だけれどもなにせ疲れる。その行動コストと高速料金やパーキング代のコストを加味すると、高速バスを使った方がいいのではないか、ということが思われた。一方、神戸までならば車でもいいかも、ということも思った。神戸から大阪までは一時間も掛からない。

 

移動した先にあった新開地という町は平日の夜にも関わらずかなりの数の警備員がいて交通整備をおこなっていた。何ごとなのかは最後までわからなかった。競艇の場外舟券販売所があり、何かを持て余しているような雰囲気の男性がたくさん見受けられた。目当ての神戸アートビレッジセンターに行き、チケット売り場で近くのごはん屋さんを尋ねた。知った人と会った。その方はそこで映写をしていた。

いくつかの勧められた店の中から定食屋を選び、入った。漫画がたくさん置いてあり、かなり雑然とした店内がとても好みだった。味はどうということのないものだった。置かれたテレビでニュースが流れていた。消費税について言われていた。消費税が上がることに対しては、端的に「やめてほしい」と飲食店を営む身としては思っている。

神戸アートビレッジセンターではホン・サンスの『次の朝は他人』を見た。次の一本も見るつもりだったが、ここに来て疲れがあらわになり、春になれば岡山でも見られるようだしここで無理をする理由がないということから帰ることにした。帰りはだいたい下道を通った。国道2号はほとんど高速のような流れ方をしていた。

岡山でなぜか道に迷い、一気に疲弊した。田んぼと住宅街のあいだを縫うように進んでいくと、埼玉の実家で誰かが嘔吐している様子が見えた。これからフジロックに行くところであり、車が苗場に向けて走らされていた。テントは例年に比べ奥の方に張られた。空はよく晴れていた。読みかけの本を三冊、持っていくのを忘れたことに気がついた。そのため実家に一度寄ることにした。入ってみると家は無人で、先ほど見たように誰かが嘔吐をしたあとだったので臭いがこもっていた。顔をしかめて居間に進むと電話台のところから火が上がっていた。本を取りに寄って本当によかったと思いながら鎮火した。本は和室に置かれていた。二冊はすぐに見つかったのだが最後の一冊が見つからず、母親に電話をすると「もしかしたら」というので天井の隠し戸の場所を教えてくれた。天井のある板を押すと浮き上がり、手を離すと板と数冊の本が一緒になって落ちてきた。いくらかの砂塵が舞った。落ちてきたものの中に私の読みかけの本があった。母親はときおり、この場所に本を隠すのだという。

 

2時半になった。書くことにはいつだって喜びがなくてはいけない。


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