6月、ベルトルッチ、5lack、ガルシア=マルケス

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先日見たベルトルッチの『孤独な天使たち』がけっこうのところ、期待をはるかに上回る感動を与えてくれて、期待をはるかに上回る感動というか、ここのところの映画不感症を脱却するきっかけとなるものを与えてくれたような感覚があって、私はやはり、そこに人がいて、いい顔を持っていて、それを照らす光があって、そして素晴らしい音楽が鳴り響けば、それでいいんだって、それがいいんだって改めて思ったのだった。なんといっても闖入者たるオリヴィアの存在感が素晴らしく、ソファに寝そべったときに伸びる首のラインが素晴らしいし、ロレンツォのかざす懐中電灯に照らされて揺れ踊るその姿形がまた、とてもいい。デヴィッド・ボウイを地声でがなるように歌いながら、くるり、くるりと回る、二人のあの時間以上に親密な時間など、きっとこの世界には存在しないのだと、そんな無責任な言葉すら吐きたくなるあの、あの感じ、と思い出すだけでもけっこうのところ、ぐっとこみ上げるものがある。本当にとてもよかった。この映画はきっと再び見ることになる。

 

思えばベルトルッチ10年ぶりの新作は『ドリーマーズ』以来というわけで、あれからもう10年も経ってしまったのかというショックはさておき、私は『ドリーマーズ』に対してはずっととても好意的に捉えていて、厨二病と謗られてもしかたのないような、あまりに青臭いのあの青臭さがたまらなく好ましいものに思えていたので、この監督にはきっと成熟などというものはないんだととてもいいものとして思っていたので、あれから10年してベルトルッチは何を見せてくれるのだろうと、わりと青臭さであるとか、初期衝動的なものを期待していったのだけれども、まあ、期待のベクトルとしてはまるで間違っていなかった。

やはり青臭く、そしてどん詰まっていた。吐き気を催させる重く圧倒的な強さの現実の中でロレンツォが逃避できるのはヘッドホンの中だけで、カウンセリングやクラスが終わればいの一番にヘッドホンで耳を塞ぎ、ザ・キュアーなりミューズなりの音楽に逃げ込むだろう。人生にとって音楽が大きな意味を持つ人間であれば誰しもが共感できるであろうこの行動はまた、昨今の私にも当てはまるところがあり、週末の忙しい日や疲れた日など、休憩でちょっと店を離れる、あるいは地下室にこもるときにはすぐさまイヤホンを耳にぶっさし、たいがい、スラックを流す。適当に、適当に、適当に、と私をなだめるその声を聞きながら、私の暮らしは、これからいったいどのようなものになっていくのだろう。

『この島の上で』以来、いつ新譜が出るのかなと思っていたら、この1月に出ていたことを最近知って買った5lackとOlive Oilの『50』を、そしてそのリミックスを、ヘビーなローテーションで聞き続けている。『早朝の戦士』等、ものすごくフィットする。後半の何かの曲で「親の分まで稼ぐぜメイクマネー」みたいな歌詞があり、たまらないですよねと。

 

と思ってふとインターネット上で何かをおこなったところFLA$HBACKSという方々の音がものすごく格好よく耳に響いたので購入した。otogibanashi’sも先日買ってたくさん聞いているところなんだけど、若い人たちが勢いよくがんばっていらしてすごいなあと思う。明日は土曜だ。早く帰らないとしんどい。27歳、夏。夏?梅雨。

 

己れの肉体の裏切りくらい人間にとって屈辱的な、不当な罰はないと、しみじみ思わないわけにはいかなかったが、そんなふうに思いはじめたのは、じつは、ホセ・イグナシオ・サエンス=デ=ラ=バラがまだ生きていた遠い昔よりさらに遠い昔のことだった。

この一節がやけに、なぜか印象に残ったガルシア=マルケスの『族長の秋』は全体を通してはやっぱり最後までしんどい読書で、迷宮のような、と解説にもあったけれど螺旋状めいたいつまで経っても死なない(あるいはとっくに死んだ)独裁者の果てることのない孤独なありようと、悲しみに、やはりこれは悲しみだったと、最後になれば私は思うわけだったけれども、それにどういう気分で付き合っていけばいいのか、けっきょく最後まで判じ切れずに終わってしまった。読んだのが忙しく余裕のない今月だったからいけなかったのかもしれないけれども、それは一つの可能性でしかない。独裁者の悲しみと、滑稽さを見るにつけ、なぜか昨今問題となっている加藤コミッショナーの裸の王様っぷりを思い起こした。危機管理能力低すぎ、というので唖然。知らなかった発言とか、もうどれだけ考えが浅薄なんだろうと驚愕。スピーチライターとかこういう人には必要そう。

 

で、族長やっと読み終えたため今は『カフカと映画』を読み始めたけれども、これもどうも今のところはそうドライブが掛からないでいる。「え、それ、そんなに映画的!?話こじつけてない?」という印象がまだ第3章だけどある。要は全然エキサイティングじゃない、ということだった。

ガルシア=マルケスを経て、水声社のフィクションのエル・ドラード第2弾であるフアン・ホセ・サエール『孤児』を読もうとしている。気分的には、「そんなトンデモ話!?』というものよりは、大変だねえ傀儡政権とかクーデターとかなんやかんや、みたいなものがわりと読みたい。『孤児』は面白く読めるだろうか。はなはだ不安だ。

 

マイケル・マン『ヒート』、ジャン=リュック・ゴダール『映画史1B』その他を最近見た。

 

河井青葉の異様な、幽霊めいた強烈な存在感。それを思い出しながら、歯を食いしばりながら今日は寝る。濱口竜介プロスペクティブ、度し難く行きたいな。行けるかな。行かないとな。『親密さ』をやっぱりどうしても見たいな。


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