フアン・ホセ・サエール/孤児

book

日曜の閉店後、月1回と定めているグリスト清掃作業をする折りに、音楽でも聞かなければやっていられない単調な作業であるためiPhoneで5lackとolive oil、Otogibanashi’s、Fla$hBackSの、つまりここ最近買ったヒップホップを詰め込んだプレイリストを作り、そのプレイリスト名を「グリスト」としたことは記憶に新しいが、例えばいつの間にかグラビアアイドルが自分よりも年下になっていくことの驚き、いつの間にか一線で活躍するスポーツ選手が年下になっていくことの驚き、それらに似たものとして、私の耳を格好良く刺激する音楽家たちが自分よりも年下になっていくことに対して驚き、一抹の羨望のようなものを抱きながら賞賛している。生き続けていると、こんなことがあるのだ、という思いにとらわれる。だけどどれだけ格好のいい音楽であっても、私を見舞ういささか度を越した疲労を、休めども休めども消えない慢性的な倦怠を、慰め和らげてくれるわけではまるでなかった。

 

孤児―フィクションのエル・ドラード

本を読む時間と気力を取り戻せないままにちまちまと読んだフアン・ホセ・サエールの『孤児』は、勝手に設定していた低い期待を軽々と越える、実にいい小説だった。

帯に「アルゼンチン文学の巨星が放つ幻想譚」と書かれていることもあり、幻想譚なら別段、どうでもいいんだろうな、マジックなリアリズムの変奏だろうかな、と高をくくっていたのだけれども、これも帯にあるロブ=グリエの「現実世界の強烈な存在感」という評価の方がずっと実情にそぐうものだった。実に、存在だった。現実がただ、そう、ある、という強さが充溢していて、それがそのまま小説としての強度につながっていた。

 

走り出すと、二人のインディオはまた同じように私を丁重に扱った。二人は、黙ったまま両側からそっと私の肘を掴むと、両足が地面から数寸離れるようにして体を持ち上げ、私が走らなくてもすむようにしてくれたのだ。最初はわけがわからず足をばたつかせていたが、やがて彼らの意図を飲み込むと、少し前腕を上げて指を丸め、宙ぶらりになった両脚を揃えて、両腕を少し体から離した状態で正面を向いていれば、両肘に大きな負担をかけることもなく、言ってみれば自然に、二人の手が私の体を前へ押しやってくれる。担ぎ方も手慣れたもので、裸足の足で地面を踏みつける震動が私の体にまったく伝わってこない瞬間するあり、そんな時には、凸凹のない平らな地表を滑ってでもいるように、両側の景色が静かに後ろへ流れ去っていった。震動がある時には、私の肘を掴む鋼鉄のような手が動いて位置を修正し、できるだけ私の体に揺れが伝わらないようにしているのがわかったが、いずれにしても、彼らは、そのぐらいの揺れにはまったく動じていないようだった。インディオたちは、そのまま休みなく丸一日小走りで進み続けた。それでいて、経験の成せる業なのか、以外なほど静かな行進であり、誰一人として隊列を乱す者はいなかった。あまりにも整然と事が進んでいくので数時間後にはすっかり単調になり、私はとうとう眠り込んでしまったほどだ。(P34-35)

運動の細かい描写がとてもいい。休みなく小走りで丸一日というのがとてもいい。両脇を掴まれて運ばれながらスムースすぎて眠り込んでしまうというあたりがとてもいい。

ただそれも終始こんな具合というわけではなく、インディオに誘拐され十年以上彼らと生活をともにしたという経歴を持つ語り手の、常に記憶を疑いながらおこなわれる語りの中に紛れ込む思弁的な言葉はそう刺激的なものではなかったのだけど、思弁者としてではなく観察者としておこなわれる語りはけっこうどこまで行っても十二分に読んでいてワクワクさせられるものだった。

 

観察される子供たちの遊戯の様子は、レーモン・ルーセルの『アフリカの印象』を思い起こさせるものだった。(ソローキンの『青い脂』の松明人文字のときも同じことを感じたが、私は一様に、奇異な運動が細かく描写されているところを読むと『アフリカの印象』を思い出すようになっているのかもしれない。それは多分、保坂和志の『小説の自由』シリーズのどれかでけっこう細かく言及されていたこともあり、記憶の上っ面にこびりついているせいだろう。それにしても今日、暇な時間になんとなく本棚にあった『この人の閾』を読んでいたら、私はこの短編集がひどく好きなのだけど、やはり以前と同様にすっとその場所に入っていけるような感覚があった。今日は十数ページを読んだだけだったが、一瞬にして、人と場所が目の前というか頭の中に見事なまでに、奥行きのある時間をともなって立ち現れてくる。これってやっぱりすごいことだよなと、改めて感じ入った)

男女混ざった二十人ほどの子供がそこに集まっており、年長者でも十歳ぐらい、年少者は三、四歳ぐらいだろうか。皆裸で、明るく健康的に岸辺で遊んでいた。遊びといっても、単純、奇妙なもので、まず、川に沿うようにして全員が縦一列に並んだかと思えば、一人また一人と地面へ倒れ込み、そこで死んだふりだか寝たふりだかをして、そのままじっとしているだけだった。列の最後尾が倒れると、他の者たちが走ってその後ろへつき、最後尾にいた子が立ち上がると、また最初から同じことが始まる。やがて、列は輪になったが、私が子供の頃よく目にしていた輪とは違って、全員が横並びになって中央を向くのではなく、相変わらず横並びのまま、前の子の肩に両手を掛けて繋がっているので、先頭の子が最後尾の子の肩に手を掛けた時、ようやく輪が完成する。時には、誰も倒れることなく真っ直ぐ長い距離を進んだ後、ある者は手を打ち鳴らして笑い、ある者は何か話しながら、まるで遊びの第一部が終了して再開前に束の間の休息でも取るように、皆一目散に消えていくこともあった。(P44)

こうやって書きだしてみると、そう細かいわけでもなく、そう面白いわけでもないような気がしてきた。ただ、子供たちのこの後もまたいい。

やがて全員川縁の草地に倒れ込み、息の上がった体を静かに休め始めた。直後に、七歳にもならないだろうという男の子が立ち上がり、一団から離れて何か物思いに耽り始めたかと思えば、すぐにまた仲間のもとへ戻り、演技でもしているように、妙な仕草と歩き方をしてみせた。他の子供たちから笑いと喝采で迎えられて気をよくしたのか、その子は、一段と大げさな仕草と歩き方を繰り返し、ある時から言葉を交え始めたが、これがまた大いに受けて、仲間たちが頭を振りながら叫び声を上げて囃し立てるので、私のいるところまでその騒ぎが聞こえてきたほどだった。(P44)

 

そもそも語り手は、15の年のころに探検隊の一人としてインディアスにおもむき、上陸中、仲間全員が矢で貫かれて死ぬなか、一人誘拐されたのだった。死体はすべて部族の集落へ持ち帰られ、見事な手捌きで切り分けられ、香草を振りかけられ、バーベキューにされる。溢れ出る唾液を飲み込みながらその様を凝視し待望する人々へ、調理人から切り分けられた肉片が手渡される。人々はそれを一心不乱に貪り食う。しかし、そこにあるのは狂喜だけではなく、むしろこの部族は先ほどの子供がそうであったのと同様に、何かと物思いに耽る。

どのインディオを見ても、過度な熱狂に食事の楽しみを妨げられるのは同じらしく、彼らの内部では、欲望の殻をかぶった責任感が、常に罪悪感と手を携えているようだ。食べれば食べるほど。朝彼らが見せていた陽気な表情は消え、次第に重々しい沈黙と、沈鬱な敵意に取って代わられた。思いつめでもするように、咀嚼の速度も緩慢になり、不機嫌な物思いに沈んでいくのだ。時々噛むのを止めることもあるが、そんな時には、食べかけの肉片を口に入れて、頬を膨らませたまま、背中を木の幹に預けた同じ姿勢で、長い間、虚空をじっと見つめている。(P54)

 

人肉食の宴、喜悦からの沈鬱のあとには酒宴が始まり、息を吹き返した彼らは性的な狂乱を繰り広げる(ただ部族全員がそこに参加するわけではなく、人間狩りに参加したもの、それから人肉の調理にあたるものは一切に加わらない。離れたところでいつも通りに魚を焼いて食う。語り手もそこに招かれ魚を食う。とても静かに)。そしてその後に待つのは意味に回収されないいくつもの死だ。

このあたりの過程がとても、「現実世界の強烈な存在感」という感じで、理由とかわからないけど、もう、それでしかないんだよね、という強い、読むものをねじ伏せる説得力を獲得している。

夜も更ける頃になると、辺りの砂地や空き地には、重い灰や焼けた草、火で黒くなった棒などに混ざって、生気のなくなった体が散乱していた。まだ機械的な抱擁に体を絡ませて動いている体もあれば、時々しか動かなくなった体もあり、苦痛に低い声で呻く体、ぴくりとも動かなくなった体もある。(…)七人か八人の体は、どうやらこのまま永眠してしまうようだ。一人が起き上がり、数分間、何か考え事でもしているようにじっとためらっていたが、いきなり踵を返して頭を木の幹に打ちつけたかと思うと、続けてますます激しく何度も頭を打ちつけ、ついには口と耳から血を流しながらその場に倒れ込んだ。(P69-70)

 

この部族は一年に一度、人肉食の饗宴から始まる一連のダウナーを経験するが、それ以外の日々はとても慎み深く、礼儀正しく、清潔好きで、おとなしい。

 

また、言語をめぐる観察も面白かった。

エン・ギという言葉は、人間、人々、我々、私、食事、ここ、見る、内部、一つ、目覚め、その他多様な意味を持つ。(P139-140)

多様すぎでしょ、という喜び。

「いる」や「である」に相当する言葉は、彼らの言語には存在しない。あるのは「ようだ」に類する言葉だけなのだ。冠詞や助詞に当たる言葉も存在しないから、「木がある」とか「木である」とか言おうとすれば、「木、ようだ」と言うしかない。だが、実際には「ようだ」は、類似よりも不信感を表す。つまり、肯定というより否定であり、比較であるより反駁なのだ。すでに知られた内容に言及するというより、知覚を欺き、確実性を減じるような表現に用いられる。つまり、同じ一つの言葉が、見かけであり、外観であり、嘘にも、日食・月食にも、敵にもなる。(P140)

ちょうど、先日彼女が買ってきた『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化と世界観』を少し読んでいたところだったというのもあって、このあたりの言語の構造の話はエキサイティングだった。

 

それにしても、徐々に彼らの持つ世界観の途方もない脆弱性が語られる時、読んでいる者はけっこうなところ、「うわー…」という気分にさせられる。彼らから間断なくデフ・ギーと呼ばれる語り手は、まさしく彼らがそう望んだ通りに観察者に徹し、そして語り手になった。いや、でも、それは本当に悲しいことなのか、私にはよくわからない。

訳者解説を読むとこの話は実際にインディオたちに誘拐され12年のあいだそこで暮らし帰還したものがいた、という史実にインスピレーションを得て書かれたものの、その他のところは作者の想像力の飛翔以外なにものでもないらしいのだけれども、観察部分を読んでいるときに起こる感覚は、ものすごい面白いルポタージュを読んでいるというものだった。ただ、そうは言え、やはり、運動や身体の描写が強度のあるリアリティをもたらしていることは間違いないので、やはり、小説として、この作品は私を圧倒したのだろう。風景描写も充実していて、特に月の光に照らされた集落の美しさは格別のものだった。大満足です。『ピダハン』もぜひとも読んでみよう。と思いながら、なぜだろうか、今は波瀾万丈な人の自伝、それもラテンアメリカの歴史に存分に翻弄された、という観点からなのか、よくわからないけれどもレイナルド・アレナスの『夜になるまえに』を買ってきて読み始めた。雨の匂いがする。そう思ってから一分ぐらいで、雨音が耳に届いてきた。


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