2月

book cinema text

コンラッドの『密偵』を読んでいる。秋ごろに買って、スパイとかって、楽しいよね、と阿部和重の『インディヴィジュアル・プロジェクション』を読み思ったため、手に取った。これがなかなか進まない。コンラッドというか語り手の評論家気質が邪魔で、私は行為を読みたい。行為を見たい。読書が停滞する。そうやって2月が終わろうとしている。停滞の2月が終わろうとしている。何もかもが停滞している。

 

先ほど今月読んだ本の感想をまとめてアップした。

 

読書感想文 カート・ヴォネガット/スローターハウス5

読書感想文 伊藤計劃、円城塔/屍者の帝国

読書感想文 W.G.ゼーバルト/移民たち

読書感想文 阿部和重/インディヴィジュアル・プロジェクション

 

読書も停滞しているし、書くことも停滞している。ここでもまったく書いていなかったし、店のブログも今月は書いていない。「今月は書いていない」。書かない月など始めてから今までなかったのに、とうとう書かない月ができてしまおうとしている。今更あせって何かを更新する気にもなれない。何もかもが停滞している。

 

映画を見ることも停滞している。ここ1ヶ月ほどで見た映画。

 

スローターハウス5(ジョージ・ロイ・ヒル)

なみのこえ 新地町(濱口竜介、酒井耕)@moyau

うたうひと(濱口竜介、酒井耕)@moyau

横道世之介(沖田修一)

ウルフ・オブ・ウォールストリート(マーティン・スコセッシ)@TOHO岡南

ザ・フューチャー(ミランダ・ジュライ)

君と歩く世界(ジャック・オディアール)

殺し(ベルナルド・ベルトルッチ)

夜の人々(ニコラス・レイ)

アントワーヌとコレット(フランソワ・トリュフォー)

刑事ベラミー(クロード・シャブロル)

 

先月に比べるとツタヤディスカスの回転が明らかに悪くなっていて、こんなようでは月額1980円を払っていられないことになる。その中で映画館で見た『ウルフ・オブ・ウォールストリート』は抜群に素晴らしく、ディカプリオを筆頭とした人々の熱演というか怪演というか力演というか、本当に素晴らしい熱量を感じさせる映画だった。これを見てからときおり胸をこぶしで叩いて「オッオッ」とやって鼓舞することにしている。たいへん鼓舞された素晴らしいハイテンション映画だった。それを見た同じ夜、『横道世之介』を見た。これもまたものすごく素晴らしかった。世之介役の方ももちろん素晴らしかったのだけど、大学の入学式で知り合ったなんとかという男の彼の節々がまったくたまらなく、合宿の夜の風呂の場面なんかは3度ぐらいくり返し見て、そのたびに笑った。このあたりは脚本を書いている前田司郎の力量なのだろうか。とてもよかった。セリフに限らず、コスチュームプレイものとしてもとてもいいものだと思った。ちゃんと映画館で見ればよかった。しかし映画館で見る理由はその時は見つけられなかった。それは残念なことだった。

週末は店で濱口竜介/酒井耕の東北記録映画三部作の上映会第一週があり、『うたうひと』は忙しい週末の閉店後の疲れがどっと来たのかうとうとしてしまい、節々で見るおばあちゃんたちの素晴らしい顔つきやなめらかな唄い口に感動しながら、うとうとしてしまった。一方、そのあとの『なみのこえ』は度し難く面白いというか、非の打ち所の見つからない面白さというか、途方もなく面白くて、終わったあとに彼女と一風堂に行ってラーメンを食いながらあれこれと話した。どの対話をとっても抜群に面白い。

役場の元上司と部下の役場的紋切り型にほとんど終始するような対話ですら、あそこで与えられた枠組みの中においてはとてつもなく面白いものになるから不思議だ。最後の図書館での対話は、最初に見た時は、聞き手の濱口監督の存在が威圧的というか、ものすごい暴力装置として機能していそうな気がして、そればかりに気を取られていたのだけど、今回見たら、やっぱりどうしても暴力装置だよなという印象の中で、むしろそこで追い詰められていく話し手が、ある瞬間からグルーヴを獲得する、ある瞬間でほとんど女優として生まれ変わる、そんな変異の対話としてものすごいエキサイティングなものに見え、その見え方が作り手にとって本意かどうかはわからないのだけれども、ものすごいエキサイティングなものに見えた。それはもう、すごかった。すごみを獲得していた。

 

月の初め頃だったか、もう忘れた、N’夙川BOYSのライブを見にペッパーランドに行った。特別に好きなバンドではないし、ツイッターでフォローしている方がつい最近「高校生の時だったら熱狂していたのだろう」みたいなことを、好意的な書き方で言っていて、まったく、その通り、と思ったのだけど、でも好きなバンドではあるし、好きな曲はいくつもあるしというのでライブを見に行ったのだけど、いいライブだったし、いいライブだったとどれだけでも思いたいのだけれども、そこでライブを見る私はずっと苦しかった。上着を脱ぎもせず、壁にもたれ、前方の少年少女たちがワイワイと手をあげ声をあげる様子とともにステージを見、どこか遠い出来事を見るような感じ。昔、高校生の頃、ナンバーガールのライブを見ながら、自分もそうだったのだけれども、と思いながらも、もう自分にはあんなふうに楽しむことはできないという諦めもあり、でも今の見方こそが自分にとってはナチュラルなものなのではないかという気持ちもありながら、でも、場は圧倒的に楽しさの中にあり、その楽しさと相容れない私の狭さを、どのように扱ったらいいのか考えあぐね、苦しい。

 

それから数週間がたっただろうか。店の本棚に置いている蓮實重彦の『映画時評』を高校生のお客さんが借りて行った。映画好きなんです、大学、東京、比較芸術学を学びます、映画、たくさん見ます、蓮實重彦、数冊しか読んだことないです。

がんばれ、楽しめ、途方もなく楽しめ、美しい、青年よ、君はうつくしい、僕は君を本当に応援する、君が味わうであろう虚しさも苦しみも含め全部肯定して全部応援したいなぜならその振る舞いが僕自身を僕自身の人生を慰めることにもつながるだろうから、というスタンス自体が打算の産物でありでも賢くあろうとしたら打算とはどうしたって付き合うことになろうから、それもまた仕方がないことだよ、仕方がない、そろそろ30になろうとしているうだつのあがらない男など、仕方がないなどと言う以外に脳のない男など、死んだほうがいいのだろうか、少なくとも17か18の君から見たら死んだほうがいいように映るだろうしわりとその意見には賛成だしこんなふうな虚しさが仮に続くのであるならばそれを選ぶことはしかし、しかし僕のような勇気のかけらも持ち合わせない人間には決して出来ないということだけはわかっているビールを、ビールをといっても金麦を3本飲み、コンラッドを読み進める気にもなれず今月の読了本は4冊か、ひどい、などとくだらないことを言い捨てるしか私にはできないし柿の種がどんどんなくなろうが、休日は本当にあっという間に過ぎ去って何も今日もできなかったという後悔を残すため、私に与えるためだけに休日というものはそもそも存在しているのだろうかと疑い出したらキリはないかもしれないがそう思いたくもなるようなこの体たらくであり、何もかも進まない、停滞し続ける2月、それが2月で終わるとは到底思えない、絶対にこの状態は続くしそれは大いに私を参らせることは今の今からどれだけわかっていようが外を音を立てて雨が降ろうが明日は仕事であり、仕事は大切であり、つまらない悩み事しか私にはないのだから、つまらなく生きることしかどうやらできない。いかなる笑顔にも応じる気はない。


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