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2012年7月26日
夏がむなしいのか人生がむなしいのかあるいはその二つにさしたる違いはないのか、むなしさが耳の奥で鳴り響くからそれを打ち消すために必要なのはヒップホップなのかノイズなのか、即座には判じかねてatmosphereを久しぶりに聞く。いい具合に賑やかになる。
7月が終わろうとしている。7月の最後の週末が訪れる。私は今年も岡山を離れずにいる。それは自分が選んだことであって、今このとき、ここではない場所に行っていてもよかった。それを制約するものは何もなかった。けれどけっきょく岡山にいる。それは自分が選んだことであって、今このとき、私は、だから、後悔をすることは何もなくて、だけどどうしたってインターネットを開けば目にチラチラと、これでもかと、キャンプの、見慣れた山の、歩きなれた砂利道の、あるいは入り口のゲートの、何杯ものビールの、笑顔の友人たちの画像がアップされていくのが否応なく入り込む。羨ましいなんてこれっぽっちも思いたくないけれど、否応なく、何かしらの感情が押し寄せてくる。なんでいま私はそこにおらずここにいるのか。その判断は、いや、後悔なんてこれっぽっちもしていないんだけど、だけど、あの、毎年の、盆暮れよりも、その、選択してきた、いやこれも選択であり、何も後悔なんて、笑顔なんて、知ったことではなければ触れたこともないその、いやだけどもしかしたら、など思うわけではこれっぽっちもないのだけどそれでもなお、だけど結局(「設営完了!」)、結局、私がここを選んだその選択を果たして、なんてことはこれっぽっちも、2年、その前の10年、10年と言えば長い時間で、だけどだからなんだっていうのか私にはわからないなんてことは決して言わせないなんて、何を、何を言っているのか打鍵しているのか(今年一杯目はもちろんハイネケン!)、なぜ私はこの日に打鍵しなければいけないのか、打鍵などせず、この足であの土地を踏み鳴らし、杯を交わし、酔いつぶれ踊れ疲れ、とぼとぼとした足取りでテントに戻り明日から3日間、ずっと天気がいいといいけれどそんな上手にいくわけはないってのは知っているよ、覚悟はできているよ、だからこそのゴアテックスだよ、など、外に出した椅子で夜更けの空気と煙草の煙を一緒に吸い込んで小さな声でそこにいる友人と何かしらの話をして、明日はまずは風呂、行こう風呂(xxxと合流。再会の杯!)、午後からでいいよ、特別見たいのないし、なんでもいいし、なんでも楽しいし、なんだって気持ちいいし、なんて、そんな話をしてから寝袋に入ってケータイの充電、明日風呂、すれば問題なし、怪我病気なく元気で、楽しく、過ごせますようにって、美味しいものたくさん食べて水分はビール、昼からビール、最高の5日間の幕が今年もなんて、そんなことを
来年こそ苗場に帰ろう。
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2012年7月20日
「何かいるって感じるってことは間違いなく何かいるってことでしょ」
次の日の夜、アンゴーで会った鹿田祐樹はそう言った。彼は潤沢な手持ち札からスペードの2を出してその場をいったん回収するとクラブとハートの4を置いた。しかし「あ、ちょい待ち、スペ3あるけ」と早島朝子が慌てた声を出し、鹿田は「おせーよ」と言いながらも素直に二枚の4を手札に戻して朝子に譲る。朝子は「ごめんちゃーい」と言って反省の色は見せずにエースを二枚出し、それは全体にある予感を与えた。「おいおい」国枝恒太はそれを口に出し、浮かべた笑みは全員の気持ちを代弁している。朝子は得意そうな顔をして「ジャジャン」と言いながら6を三枚出した。予想を覆された文箭あかねは「逆じゃろ順番」と笑い、朝子は「切れりゃ何でもええんよ」と言って、誰も出さないことがわかると「かくめーい」と、満を持して10を三枚とジョーカーを出して嬉々とした。「はよ捨て」諦めた顔で国枝が朝子にうながし、朝子は自分の番が続いていることを忘れていたらしく、「あ、そうか」と言ってから最後の一枚を出して「大富豪」と言った。「こりゃ勝てないよ」と藤中が言って、それから「あれ、恒太さん、10捨てで上がるのってオッケーでしたっけ?」と質問を行ってそれが構わないことを確認すると「てか10って三枚ってそれだけで六枚消化できるわけじゃからすごいよなあ」と改めて感心した。「ええからはよ出せや」と国枝は苦笑しながら促し、「ああすいません」と言ってからも藤中は何を出すか迷った。
「ふじっこさあ、それは女っぽい感じなの?」鹿田が話を戻して、ゲームに気を取られていた藤中は最初何を聞かれているのかわからず「え」と言っただけで、それからやっと決めたキングを二枚置き、「なんで長考必要だったん」と国枝に突っ込まれたのちに「女の人っていう感じじゃな。あれは女性じゃ」と鹿田の問いに答えた。「呪縛霊じゃろうか」あかねはスペードのジャックを出しながらつぶやく。「ジュじゃなくてジ。地縛霊」と鹿田はスペードのクイーンを出すと場を切り、「えなんで」と言う朝子に「Jバックアンド激シバ」と返しながらハートのエースを置いて、あかねが「どっちでもええんじゃっ」と口をふくらました。国枝はクラブの3を置く。「呪縛じゃね?」と言い、ダイヤのジャックを置いて上がった。「え、地縛ですよ」鹿田は煙草を抜いて火をつけて反論するが「呪縛じゃろ」と言われ、あかねは「ほらアキラ」と国枝に便乗した。「呪縛なんじゃって。間違いも認めないとな」「いやいや地縛だって」「だって霊が自爆っておかしかろう」「そうじゃそうじゃ」「いやジバクって自分で爆発じゃなくて自分で縛るですよ」「言い訳ばあしよって」「セルフSM」「いや言い訳って」「てかどっちでもえかろう」「当事者がそう言うのであるならば」「あ間違えた。自分で縛るじゃなくて地に縛られるだ」「チって?」「地上波のチ」「どっちでもえかろうどのみち間違っとるんじゃから」「いやいや地縛で合ってるって」「少しは人のことを信じなくっちゃね」ゲームに負けたのは鹿田だった。あかねは「バチが当たったんじゃー」と追い打ちを掛けるように言ってきて、鹿田は笑って対応しながらも自分がいじられている状態が珍しく、それを新鮮に感じていた。新たな客が来たのであかねは仕事に戻っていって、代わりにカウンター席で漫画を読んでいた大学生の千葉悟が入って「俺平民っすか?」というのが最初の一言となった。
「前に話したじゃろ、工場みたいなとこにカズマ入っとった話」と配られた手札を見ながら国枝は鹿田に向けて発言した。「カズマ入っとったじゃのうてカズマと入ったじゃ」「ああ、あれっすよね。図書館というか膨大な本があったやつっすよね」目元に笑みを浮かべながら応じる鹿田に朝子は「なんでニヤニヤしよるん」と言い、鹿田は「勝てそう」と表情をさらにゆるませ、千葉が「また革命起こせばいいんですよ」と朝子に対策を伝えると「盗聴?」と言われるので「あんだけ騒いでたら嫌でも聞こえますって」と無精ひげをなでた。「ああ、で、またなんかあったんすか? 死体見つかったとか?」鹿田が言う。ゲームはなだらかに始められ、今度は穏やかに進行した。
「もっかい入ってみたんよ。前行ったときは一つしか部屋入らんかったって言ったじゃろ。じゃから他の部屋も見てみよう思ってな」と国枝が言い、藤中が出したスペードの9のあとに千葉がカードを出そうとしたのを見て「9リバじゃからピョコの番じゃ」と注意をした。朝子もそれで自分の番であることに気づいて「複雑すぎてわからんよなあ」と千葉に同情を寄せ、千葉は千葉で「9リバってのは初めて聞きました」と素直にうなずいた。「そんで今度は何があったんすか?」鹿田が煙を上方に吐き出して言って、すると携帯電話がポケットの中で震えたらしく取りだしてディスプレイを見ると「やべ」と立ち上がり灰皿で煙草を揉み消すと「すいませんちょっと仕事の電話。ちょっと待ってて」と言って店の隅に行って快活な通話をおこなった。
一時中断となり、喫煙者たちは煙草に火をつけ、藤中は水で口を湿らせた。「アキラってサラリーマンなんじゃなあ」と国枝は改めて知ったという口ぶりで言い、それに対して千葉が「アキラさんて何の仕事してるんですか?」と質問し、「なんか人材サービス系? とか言いよったな」と答えるとそれまで掛かっていたフェネスの『Endless Summer』が終わって新たにトークデモニックの『Eyes at Half Mast』が流れ出し、それを契機にして店の扉があき、若いカップル客が入ってきた。二人はトランプを持って煙を吐き出している国枝たちのテーブルに一瞥をくれてから奥まったところにあるソファ席に座った。
鹿田が「いやーすいませんお待たせしました」と言って戻ってきて、朝子が「受注した?」と聞くと「そういうんじゃない」と真顔で答えたので朝子は少し失敗したと感じた。「そんで何かあったんすか? 話戻しますけど」と言ったのは藤中で、「そうじゃそうじゃ、そうなんよ」そう言ってから国枝は情景の描写を始めた。それによれば残り三室のうち二つに入ることができ、一つは音楽スタジオ、一つは逢引き部屋ということらしかった。スタジオには広くない空間の中にところ狭しと多彩な楽器や録音機器が設置されており、ギター、ベース、ドラム、シンセサイザーはもちろんのこと、タブラとシタールとディジュリドゥ以外はわからなかったのだが普段はあまり見慣れないような民族楽器も多く置かれており、半ば楽器の博覧会の様相を呈してさえいた。入り口近くには図書館部屋と同じようにノートが一つ置かれて利用状況が記録されていて、週に二から三ほどの利用があるようだった。一方で逢引き部屋の方は中央にダブルベッドが一つ置かれているだけの簡素な作りで、他にあるものといえばティッシュボックスとゴミ箱と灰皿だけで、プライバシー保護の観点からか記録用のノートなどはなく、それでもなお、多くの二人組が演じた睦み合いを想起させる何ものかがそこには強くたちこめていた。 「それ匂いとかこもらないんすか?」と鹿田が尋ねたし国枝もそれについては疑問に思っていたのだが、閉め切られて光も入らない部屋であるにも関わらず不思議と汗や体液の香りが充満しているとうことはなく、薄いエメラルドグリーンのシーツも枕も皺一つない状態に保たれてむしろ清潔な印象を与え、国枝自身、これは非常に快適にセックスすることができるだろうなと思ったほどだったのだが、営みの痕跡と呼べるものの消えた部屋の中にあり、踏み入れた瞬間、このベッドの上で無数の人々が絡み合っているということが確かな強い感触として国枝にはわかったのだった。それは「なんでかようわからんけどどっと押し寄せてきたんよな、何か実態とかないんじゃけど、どーっとこれはなんか知らんがそれじゃっていう」という、説明する言葉を見出しきれない感覚らしかった。話しているあいだにまた一ゲーム終わった。今度は藤中が大貧民となり千葉が大富豪へと成り上がり、「出世しました」と発言した。
それからまた鹿田が「掃除したりしてるのって片目の女なんじゃないですか? 前言ってたドアちょっと開いたっていう部屋の」と思いついたことを話して、「え、片目じゃったっけ?」と朝子が裏返った声を出したのでみな笑ったし朝子も恥ずかしそうに顔をしかめて笑う。カードを切って配る役割の藤中の手は止まったままだが周りもトランプ遊びにひと心地ついたらしく、誰も早く配れとは突っ込まなかった。
今日、ほったらかしにしていた「私たちの音楽(仮)」という小説の手直しを数カ月ぶりに再開したのだけど、久しぶりにかつて自分が書いたものと対峙してみたら存外に面白かった。命名の儀など馬鹿らしいと昨日書いたばかりにも関わらず、命名されまくった人物たちが好き勝手に話している様子は活き活きとして、私にとっては読んでいてエキサイティングなものだった。私にとっては、というエクスキューズが他人の視線を考慮してのものであることは自明のことだけれども、そもそも、何をもって小説を書くのかといえば、自分が面白いと思える小説を作り出すためなのだから、そんなエクスキューズは本当は要らない。私が面白ければそれでいい。
とは言いながら、できれば人にとっても面白いといいなというのはやっぱりこれも正直なところで、だから多分貼り付けてみたんだろうし、何か、ジャッジらしきものが発生すればなおのこといいと思っているのは間違いない。
ところで、この小説が書きだされたのは2010年の2月のことで、500枚ほど(原稿用紙換算。一般的な単行本だったら300ページぐらいじゃないかと)を1年とちょっとで書き終えてから、店を始めたこともあり、それを言い訳にしていたこともあり、友人の手を借りて修正をし始めてから優に1年が過ぎ、いまだ終わっておらず、情けない限りなのだけど、舞台となっているのは2009年の夏からの岡山で、そのころと今とで大きく変わってしまったことがある。それはスマートフォンの普及で、2009年の夏は私がスマホを買った年で、その頃の岡山においてはスマホを持っている人なんて周囲にほぼいなかった。当然ながら今はほぼスマホという状態なので、カチカチとガラケーのボタンを押すくだりについては大きな違和を覚えるし、いっそスマホに書き換えてしまおうかとも思ったのだけれども、まあいいやとなっている。なんの話をしたかったんだっけか。
cinema
2012年7月20日
「取り返しのつかなさ」という言葉をどこで見たのか、たぶん1年以内でRSSに登録してたまに読んでいる映画関係の何かのブログだったんじゃないかと思うのだけど、なんでだか印象にずっと残っていて、映画を見ながらずっとそれを考えていた。
てっきりシリーズの4作目で監督も変わらずサム・ライミだと思って見に行ったのだけど、監督が替わってマーク・ウェブとなり、シリーズとしても最初からやり直し、という運びだったらしい。マーク・ウェブの名前を見たときなぜかミッション・インポッシブルのどれかの人かと思っていたのだが、そうではなくて『(500)日のサマー』の人だった。
それを踏まえると、あれはなんだったんだろうなと思っていた、ちょっと過剰なぐらいに切り返しまくるアメフトコートのスタンドでの二人の会話のシーンがなんとなく腑に落ちて、『(500)日のサマー』のラスト間近の、もう誰かと結婚したのかするのかのヒロインと主人公の男の会話の、取り返しのつかないシーンと酷似しているような気がしてくるし、ピーターとグウェンが決定的に近づきになる、ぎこちなく初々しくキュンスカする学校の廊下でのやり取りを捉える距離感にも、そんなの絶対あったよね、500日、という気がしてくる、不思議なもので。
それにしても家族や大切な人はちゃんと大切にしなきゃだめだよな、弔いは、しっかり済ませたのか? アンクルベンを死に向かわせる揉め事のくだりには、なんでだかものすごく泣いてしまって、なんて取り返しのつかないことをしてしまったんだ、取り返しがつかなくなる前に、ちゃんと、あれしなきゃ、本当にいけない、という、なんだか、深く、ぐさりと、どうにもならない辛い気持ちになった。
しかし全編よく泣いた。バカみたいに涙腺を刺激され続けた。たぶんスローモーションの感じがそれを思い出させたのだろうけど清涼飲料水のマッチのCMを彷彿とさせる、まさに初々しい二人のやり取りとアンクルベンの死の間に挟まれたスパイダーマンになっちゃうぜヒャッハーというスパイダーマン的運動の練習シーンとか、キスしているところを母親に見られて照れてそれから仕事だ行ってくるとピータービルから飛び降りとか、子供を助けるくだりとか、子供の父親が今度はスパイダーマンを助けるくだりとか、怪我して弱ったスパイダーマンが一生懸命に飛翔を続ける姿とか、グウェンの父親で偉い刑事の方がグウェンに最後に語りかけるところとか、私はボロボロに泣きながら、なんでこんなに映画って素晴らしいんだろうと思った。こんな紋切り型が、なんでこんなに力を持つのだろうと。ただし、その力に、この作品に関しては3Dはぜんぜん与していないように感じた。もっと飛ぶところとかぐわーって「わー3D」という感じになるのかと思っていたけれど、驚くほどに3Dである必然性というか、3Dパワーのようなものを感じなかった。ただ単に視界が一段暗くなって、メガネonメガネがすごくずれやすくて、たまにちょっと立体的、というぐらいだった。
ウィキペディアを見ていたら、ピーターのアンドリュー・ガーフィールドとグウェンのエマ・ストーンが交際をしているとのことで嬉しいです。
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2012年7月18日
なんとなく参照し合う感じ、という懐かしさ。それぞれがそれぞれに特に言及したりリンクを貼ったりするわけでもなく勝手に、そこだけを見れば文脈なんてさっぱりわからない形で参照し合うような、奇妙な連携というと青臭いし気持ち悪いしすごく気持ち悪い。変にそういうことばかりがされるならば不健全な循環ができてしまうような気がするのでうまく自制するべきだという主張が採用された。喝采、拍手、足踏み、野次、エアコンの風に舞う何十枚もの書類…… 議会は踊り、紛糾した。
そういった流れの中で昨日本屋に行って『思想地図β3』とロベルト・ボニャーロ『野生の探偵たち』、デニス・レヘイン『ムーンライト・マイル』を買ってきた。
ここ何日かはドミニク・チェンを読み終えて次は何を読もうかと思いながら保坂和志×青木淳悟、柴田元幸×都甲幸治の対談になんとなく惹かれて先日買った『新潮』から新人で600枚とかで巻頭に掲載されている松屋仁之の「火山のふもとで」を夜な夜なぽつぽつと読んでいたのだけど、なんというか、1980年代の建築事務所の話で面白いような感じもあったけれど書かれている建築的なあれこれが面白いというだけで、刺激的とは言いかねる文章が続いて気分も高揚しないので、やはりここは探偵でしょう、というところで海外の小説に手を出してしまう。『逆光』でしばらく長い小説はいいやと思っていたのに、『野生の探偵たち』は厚めの上下だし、デニス・レヘインはシリーズ5作目だか6作目だかで、また長い旅行に出かけるような気分になる。なんでだろうと思うのは思って、なんで日本の小説と海外の小説で、漠然と感じるスケールみたいなものがこんなに違うのか。日本の小説の多くが、映画も然りだけど、せせこましくて下向きでうだうだとしているように見えてしまうこの感じはなんなのか。私は冒険が読みたいし見たいし冒険をしたいらしい。下を向くのは地図を見るときだけ、みたいな規模を感じるものを読みたい。日本の小説で面白いと思えるものは、もはや、柴崎友香や綿矢りさがそこに入ってくるのかはわからないけれど、保坂和志であれ青木淳悟であれ磯崎憲一郎であれ岡田利規であれ、何かしら「奇妙」で、体裁がもうおかしい、いわゆる小説らしさを放棄している、みたいなものに限られてしまうような感があって、いや、まあ、そんなこともないか、米澤穂信とかはただ単に冒険であり、というか探偵だから面白いのか。わからないけれど、少なくとも「火山のふもとで」は私を冒険させる小説ではどうもなさそうだし時間は限られているので次にいくことにした。せせこましい文学なんて人生に何ももたらさない。松屋仁之の作品と同じようなタイトルで、『野生の探偵たち』と同じ白水社エクス・リブリスから出ている『火山の下』はなんでこんなに大きそうに見えるのか。
名前が悪いのだろうか。登場人物の名前が山田とかの時点でなんかアウトなんだろうか。登場人物はスティーブとかじゃなきゃワクワクできないんだろうか。アレックスとか。なんかそんな気もしてくるけど全然関係ないような気もする。だけど命名の儀式が、今の私には馬鹿げて見えている。なぜ登場人物には名前が与えられなければいけないのか。スティーブやアレックスならオーケーなんだけど山田はアウト。なんか今はそんな感じ。
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2012年7月17日
三宅唱の新作『PLAYBACK』がロカルノ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門に正式出品、というニュースが私のニュースフィードないしタイムラインをかけめぐって、それは私にとっても大きなニュースだった。
今秋オーディトリウム渋谷にてロードショーとのことで、私はきっと夜行バスか時間がなければ新幹線にでも乗って、それを目撃しに向かう。
友人のタンブラーを見て、ちょっとした親密さ、そんないくつかの時間を思い出す。私はいまどこに立っているのか。何か、何か、なんだろうか、何かというかなんというか全然、私は何も歩を進められていない、怠惰さ故に、ということを再確認する。私はもっと何か、やらなければいけない。たとえばこうやってPCに向かってカタカタと打鍵を、違うところでしなければいけない。それをより鮮明に思い起こさせられた。ちょっとがんばろうかなというかもっと楽しもうかなと、私は今なぜかPCの前で顔をニヤつかせた。青臭い感じがよいと思います。
三宅唱のそれや、保坂和志の小説を読んで、あるいはドミニク・チェンのそれらに刺激を受けたのか、いま、また、何か自分の中のエンジンが、長いこと錆び付いていたそれが弱々しく音を立て始めたような気がした。私はもっと何か、それらや彼らに見合う何かをしないといけないというか単純にしたいんだよねと、それを体が言い始めた。憧れてみたり、手を叩いて喜んでいたりするだけでは全然足りない。全然足りない。
book
2012年7月14日
【インタヴュー】フリーカルチャーという思想をめぐって:ドミニク・チェンとの対話
こちらのインタビューを読んで面白そうだったので読んでみた。
フリーカルチャーをつくるためのガイドブック クリエイティブ・コモンズによる創造の循環
本を買うとPDF版ダウンロードのシリアルキーが書かれていて、「表示 – 非営利 – 継承」というラインセスが付されており自由に共有できるとのことなのでリンクを貼ってみる。→PDF版ダウンロード
っていう表示の仕方で法的には十分なんだろうか。
最初にフリーカルチャーという言葉を見た時に連想したのはクリス・アンダーソンが言っているフリーだったのだけど、インタビューでも違いますと述べているようにこちらのフリーは無料のフリーやレッチリのフリーではなく自由のフリーということで、基本的には
自由に過去の作品を参照、引用、改変することが阻害され続ければ、現在作られようとしている作品が貧しくなるばかりか、未来の時点で作られるであろう作品もまた、その貧しさに甘んじなければならなくなります。(P34)
他者の作品を利用することが違法となる可能性が高いという固定観念が社会に広がれば、新しい文化の創造を多大に萎縮させるという影響が生まれてしまいます。(P38)
という不自由な状況に対するオルタナティブとして提唱されているものらしい。ただ、著作権という存在を全否定するわけではなく、
フリーカルチャーの擁護者は、著作権という作者に利益を還元するシステムの意義を肯定します。金銭的な利益も、社会的な価値に含まれるのであり、作者が正当な価値を受け取ることによって文化が活性化すると考えるからです。その意味でフリーカルチャーは、著作権そのものを否定する動きとは同調しません。
フリーカルチャーの運動は、インターネットが生まれる以前に制定された著作権の国際的なルールが、インターネット技術に基づく現代的な文化の力学に対応できていないことを指摘し、保護期間の延長を止めたり適切な改正を求めるとともに、現行の著作権に従いながらも、より柔軟で開かれた作品の共有のルールを自生的に作り出し、広めようとするものです。(P35)
ということで、要はいろいろなことが後ろめたさゼロの公明正大な状況でできるようになったらいいよね、という考え方らしい。そのためにクリエイティブ・コモンズでは、オールライツはリザーブドですよの©とまったく自由に使っていいですよのパブリックドメインのあいだに段階的なライセンスを付与するという方法を取っている。
こうした状況に対してフリーカルチャーのさまざまなプロジェクトが提案してきたことは、作者がみずから作品に「ライセンス」を付して公開することによって、この著作権が禁止してしまう事柄を他者に対して許可するということです。こうすることによって作者は、自分の作品に出会う人々が作品を広めてくれたり、さまざまな形でフィードバックを送ってくれたりすることを期待することができます。作者がどのようなことを許可するかということはライセンスの種類に応じて異なりますが、ほとんどのライセンスは誰でも無償で作品のデータを入手し、それを複製し、ほかの人と共有する自由を与えています。より自由度の高いライセンスは、さらに作品を使って金銭的な利益を得ることを許容し、より厳しいライセンスは作品を改変してはならなかったり、作品の利用を通して利益を得ることを禁じたりします。作者は作品の置かれた文脈や状況に応じて、自分が最も臨む形で作品を世に広めるために適したライセンスを選ぶのです。
このフリーカルチャーの基本戦略としてのライセンスとは、個々人の作品が法律によってトップダウンに「管理」されるという既存の著作権のルールに対して、個々人が自主的に各々の作品の自由度を「表現」するという方法を追加し、創造の秩序構築のシステムを保管するための道具なのだといえます。この考え方は、作者がみずからの作品がたどるであろう未来の軌跡をデザインし、その責任を持つということを意味すると同時に、作品はそれ自体として完結する存在ではなく、他者がそれを受け継いで新しい未知の作品を作るための材料としても機能するという認識によって支えられています。そしてこの認識に従うということは、今存在するすべての作品も、過去の他の作品を材料にして作られていると認めることにほかなりません。言い換えれば、作品は固定物ではなく、過去から未来への時間的な流れの中で作動するものとしてとらえられているということです。
このように、インターネットが可能にしたこの新しい認識論は、「何が違法で合法か」、「作者の利益を守るために違法な行為を撲滅させるためにはどうするべきか」などといった近視眼的な議論から離れ、改めて「創造とは何か」、「文化が活性化するためには何が必要か」という本質的な問題を再考する機会を与えていると考えられます。(P38〜40)
基本的にはなんだかワクワクするような感じでいいなあと思いながら読んだ。特に音楽なんかは、DJがクラブで好きな曲を流すこととか、あるいはミックスCDを作ることとか、あるいは飲食店等で好きなBGMを流すこととかがよく知らないけどグレーあるいはブラックなものであるならば、作り手側がコントロールして僕のはオッケーですよ好きに流してくれてとか宣言してくれる文化や風土ができていくならばら、それはたぶん、とてもいいことだろうなと思った。
実際、本の中にも、これはSF作家のコリー・ドクトローの「作家としての私にとって、作品を盗まれることより、作品が誰にも知られないということの方が大きな問題です」(P209)という発言が紹介されているけれども、権利を固めることはいいけれど、権利を固めることで仮にリーチするべき人にまでリーチしないのであるならば、それは作品にとっては生かされているというよりは緩慢に死なされているという状況になっちゃうような気がして、だからそういった権利的な問題を、ライセンスを付与することで法的にクリアにすることが流通の助けになるならば、すごくいいことだと思う。
「ウェブ2.0」を提唱してオライリー・メディアを率いていてCCライセンス付きPDF無償配布付き出版を実践してきたオライリーさんはこういうことを言っているとのこと。
教訓その1:読者に発見されないことは作者やアーティストにとって海賊版以上の脅威である。(…)
教訓その3:読者は方法さえ提供されていれば正しいことをしたいと思っている。(…)
教訓その5:ファイル共有は書籍、音楽、映画を脅威にさらすものではなく、既存の出版社に変化を求めるものである。
ケーススタディのところがいろいろと面白かったのだけど、全然知らず、へーと思ったのは美術館の取り組みで、森美術館や東京都現代美術館の何かの展示において撮影した作品の作者の名前を表示することを条件にして撮影を許可したという。それによって情報が拡散されて集客につなげる、みたいな狙いらしいのだけど、たぶん私も、信頼している人がツイッターなりフェイスブックなりで展示作品の写真をあげてこれが大変よかったみたいなことを言っているのを見たら、写真がないときよりもいっそう興味を掻き立てられ、結果として美術館にお金を落としに行く可能性がとても高まるだろうと思う。とても健全で清々しいやり口だと思う。
ただ、いまいちピンとこなかったのは継承性とか学習とかのところで、フリーカルチャーが前提としている創造性の基本原理がうんぬんというところでこう書いてある。
創造を行うということは他者(や自分の外部にある存在)の創造に刺激を受け、その模倣や改変を繰り返すことによって成立する行為です。すると、他者の知識や経験を継承するという意味において創造とは学習という概念と不可分な関係にあるといえます。より正確にいえば、学習が可能でなければ創造は行えません。それと同時に、創造が行われなければ、学習も停滞してしまいます。
著作権を強化しすぎることの弊害とは法学的にいえば「著作物の二次利用の萎縮効果」と表現されます。それはつまり個々人が自由に相互の創造物にアクセスし、学習しながら想像することを妨げることによって、結果的に文化全体の作動を不健全なものにしてしまうことを意味しています。(P246)
何かを作るにあたって影響や継承や学習があることは多分そうなんだろうとは思うのだけど、だからといってその影響や継承や学習が法的な問題がクリアにされなければできない、息が詰まってしまう、というのは本当なんだろうか。何かを作るということはそんなやわなものなのだろうか。継承関係が明示される必然はあるのだろうか。
様々な制作のプロセス(音楽でいえば楽譜とか、絵画でいえばレイヤーごとのなんやかんやとか、映像でいえば素材とか)がオープンにされていくことで、より学習しやすくなる、みたいなことが書かれていたけれど、そこまでしないと何かを作る人は学習できないのだろうか。なんか、そこまで甘やかす必要はあるんだろうか、というような感覚で読んだ。というか、そういうパーツパーツがオープンにされて継承や学習がされてそれがコンテンツツリーみたいな形で明示された何か新しい作品ができて、という新しい一つの形態が現れること自体は面白いし見てみたいとも思うけれど、それは新奇なものに対する興味というぐらいで、そんなのは出現しなくても何も問題ないよな、という感覚だった。それがとても重大で必要なことだ、とフリーカルチャーの人たちが思っているなら、あまりそこには興味が持てないなと思った。
この本を読んで調子にのってブログにクリエイティブ・コモンズのライセンスを付けてみようかな、とか思って検索していたらそれは何か安易にするべきことではないみたいな記事が見つかったのでよしたのだけど、気になったのは「クリエイティブ・コモンズ ○○」みたいな形でいくつか検索したところなぜか00年台の古い記事が多くヒットしたことで、今のところ日本ではそこまで言及されていないものなんだろうか。
いずれにせよ、いろいろとへーとかふむふむとか思うところの多い本だったので面白かった。
本文とは関係ないけど、今回PDFがついているので引用したい箇所コピペできて便利と思ったのだけど、私の環境というかPDFビューアーがいけないのか、PDFの文章のコピペって普通にはできないんだっけ。なんか変な感じでコピーしてまったく用をなさず、けっきょく開いた本を見ながらカタカタやっていったのだけど、そういうもんだっけ。
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2012年7月10日
9月から岡山シネマ・クレールでアンゲロプロスの特集があるとさっき上映予定見てて知り気分高まる。ちょうど昨日、蓮實重彦の『光をめぐって』のアンゲロプロスインタビューを読んでいて、ああまた見たいなあ、『霧の中の風景』見たいなあ、どうしようかな、DVD買おうかな、しかしDVDのリッピングが違法になったとかで、そうなるとDVDというメディアが死んだあと、つまり今のVHS状態になったあと、PCにデータを、と思ってもやりようがなくなるわけで、とかそういうことを考えるともはやDVDを買う気が起きなくなるのが今のところで、だけどよくわかっていないのはリッピングしちゃいけないのはどういうDVDなんだろうというところで、ネットでリッピング違法化の記事を見るとCSSとかいう暗号技術の技術的保護手段を回避しておこなわれる私的複製は違法、とあったのだけど、買ったやつはそういう暗号化がされているのだろうか、それともレンタルのだけとかだったりするのだろうか、何を見たらわかるのか、というところで、とにかくよくわからないのでDVDを買う気になれない、そもそもブルーレイになっていくのが世の趨勢らしいし、だけどどうせ物理ディスクなんて何年かしたら廃れていく運命なのだろうから、だからもはやDVDを買う気にはなれない、そういうあれやこれやがクリアされれば私はアンゲロプロスの『霧の中の風景』が入っているボックスを買うよ、と思うのだけど、よくわからないので買わない、と思っていて、こうやって消費が冷え込んでいきます。だから、すでに『永遠と一日』が入っているやつや『旅芸人の記録』が入っているボックスは所有していて、それらは数年後、あるいは十数年後、どういった状況にあるのだろうか、と今は案じている。一時期なんでだかリヴェットとかトリュフォーとかゴダールとかヴィゴとかデプレシャンとか、驚いた、全部フランス映画じゃないか、そういったあたりのボックスを購入する時期があって、繰り返しになるがリッピングダメってなった今、それらはいったいどうなるのか。
微笑ましい挿話。
あの少年(『霧の中の風景』の主役の男の子)はかなり面白い子で、クラスで一番という頭の良さに加えて、すでに15歳のIQに達していました(笑)。だから多くの知識があったわけですが、撮影の第一日めが終ると、いつものおしゃべりが急に無口になって、スタッフの車に乗り込み、そこにあったマイクを使って、「スタッフのみんなは僕なんかよりずっと頭がいいし、経験も豊かだ。それがどうして、僕も含めて、たった一人の人間の命令に従わなければならないんだ」とたずねたそうです(笑)。(蓮實重彦『光をめぐって』リュミエール叢書、1991年、以下同)
厳粛さ。
たとえば『一九三六年の日々』のかなりの部分は、いまでは使われていない監獄を使って撮影されましたが、その壁は白く、窓ガラスが緑色で、中庭には樹々が生い茂っていた。まず、一週間かけて中庭の植物をすっかりとることからはじめ、そして天井の梁をすべて黄土色に塗り、窓は黒くした。そうした塗り替えは、サルーヒスという画家の指示によって、当時の色彩に近づけるためです。しかしそれは再現ではなく、色彩的な歴史の解釈というべきものです。
『旅芸人の記録』の場合、出てきた家はそうした方向にそって、すべて塗り替えました。ときには木の葉も塗り替えた。私には木々の緑が派手すぎたので、それを黄色っぽくさせたのです。
本物の雪であることは確かなんですが、撮影当日に降ったものではありません。あの地方には雪がなかったので、雪のある山岳地帯から六十台のトラックを使って運ばせたものです(笑)。
(…) 私は、天候が気に入らなければ、一ヶ月だってキャメラをまわしません。『シテール島への船出』のときなど、ロケ地で一ヶ月間曇りの日がなかった。私はどうしても曇天が必要でしたから、その間天候が悪化するのを待つんだといったのですが、あのオーストラリアの監督、本気にしていなかったようです。でも、本物の雪が必要なら、トラック何十台であろうと運ばせなければ気が済まない。
日々金勘定をしていると、人が一人動くということはそれだけでお金が掛かる、ということがなんとなくよくわかってきたような気がしていて、いろいろな話を見聞きしながらも、そこではどういう金が発生しているんだろう、とよく考える。アンゲロプロスはめぐまれた環境で映画を撮っているんだなと感じる。厳粛さと、それを実現させるだけの予算。
今日、開店前に突如「カタログの撮影場所として使わせてくれ」と言われてなんとなくオーケーしたら、十名もの撮影隊が来てびっくりした。ものすごい暇な日だったのでそのあとご飯も食べてくださったので「救世主だったね」と彼女と笑っていたのだけど、それにしても、あれだけの人員を動かすのにどれだけの金が掛かるのか、と思うと気が遠くなる。カメラマン、カメアシ、ディレクター、スタイリスト、ブランドの人、モデル二人、というあたりまではわかったのだけど、あとはどういう役柄なんだろうねと話していて、伝記作者とかどうだろう、という彼女の発言が素晴らしいと思った。私はそれに影響される形で肖像画家とか、と言った。
思えば、先日見た『私が、生きる肌』が失敗だったのは、見る前に『装苑』で作品紹介を読んでしまったのが一因で、そこには天才の外科医の方が娘を暴行した男を拉致監禁して亡き妻そっくりに性転換及び整形する、みたいなことが書かれていて、男が女にさせられる、という部分は映画を見ているとたぶん一時間以上たたないと出てこない話で、だから、見ながらも「いったいどいつが女にさせられるんだ」ということばかり考えてしまった。しょうがないのかもしれないけれども、『装苑』は書きすぎた。だけど、素晴らしい映画であるならばそんな事前の知識なんてぶっ飛ばして頭をガンガンに叩きのめして目の前だけを見させてくれるだろう。だから、私にとってはアルモドバルのこの作品はやっぱりどうでもよかったらしかった。
アンゲロプロスに話を戻せば、今回のというか9月からの特集というか順繰り上映は追悼特集という名目らしく、これまで私は追悼上映とかってなんかこう、死を利用してそういうことするなよ、追悼上映になる前に普通に上映してやればいいじゃん、と思っていたのだけど、その形であれいざ岡山で普段見られないものが見られるとなると、追悼大歓迎、RIPアンゲロプロス、という気分になるから困ったものだった。死という事件を待たずとも、しかるべき作品が映画館で流されて、そして人々はそれに駆けつけるようにならないければならない。
そういえば今月末には岡山で2日に渡る原田芳雄映画祭がある。有志の人が企画したものだそうで、充実した感じのプログラムで、と言っても私は原田芳雄は清順の『ツィゴイネルワイゼン』ぐらいでしか知らないような気がするから充実しているのかどうかはよくわからないのだけど、充実した感じのプログラムで、先日その有志の人の一人とちょっとお話する機会があってうかがったところDVDがレンタル10万円ぐらいだったとのこと。ハードル高し。ちなみに初日上映の3作だったかがDVDで、2日目がフィルム上映とのこと。フィルムは福武(ベネッセ)から借りたか何かしたとのこと。
book
2012年7月9日
フォローしている方が面白い!とツイートされていたのを見て読んでみた。
悪魔と博覧会
シカゴ万博がちょうど先日やっとのことで読み終えたピンチョンの『逆光』の最初の舞台になっていたということもあるけれど、それよりもたいそうなシリアルキラーがいったいどんなシリアルっぷりを見せてくれるのかというところで購入に踏み切った、のだけど読んでいて興味をそそられたのはどちらかというと万博およびシカゴの町に関するものだった。
その時分の世界的な水準というのはよくわからないのだけど、シカゴの町はとんでもなく汚かった。
煤煙のせいで通りは薄暗く、ときにはワンブロック先さえ見えないことがあった。とくに石炭の炉がごうごうと燃えさかる冬場はひどかった。(…) 貧民街では生ゴミが路地に山をなし、巨大なゴミ箱からもあふれでて、ネズミやアオバエの格好の餌場になっていた。おびただしい数の蝿だった。犬や猫、馬の死体が放置されることも多かった。一月、死体は哀れな姿態のまま凍りつく。それが八月になると膨らんで破裂する。そのほとんどは、この街の商業上の大動脈であるシカゴ川へ放り込まれた。大雨が降ると川の水かさは増え、やがて脂っぽい水しぶきとなってミシガン湖へと流れこむ。そして、シカゴへ送る飲料水とりいれパイプがある塔のところまであふれた。雨のとき、マカダム舗装されていない通りには馬糞と泥と生ゴミの混じったぬかるみが、まるで傷口から出る膿のようにみかげ石の敷石のあいだからじくじくとにじみでた。(P41)
五月の第一週、猛烈な嵐がシカゴに滝のような雨をもたらし、またもやシカゴ川を逆流させた。今度も汚水があふれてシカゴの上水道が脅かされた。腐った馬の死骸が水道の取込口のすぐそばにぷかぷか浮かんでいるのが見えた。(P228)
その他にも馬の死骸が道の真ん中にみたいな描写があり、馬の腐乱した死骸のスケール感というのがにわかには想像できず、これはきっとすごいことだ、とうなった。馬はわりと大きい動物だと聞いたことがあるためだ。
しかし何より面白かったのはシカゴ万博のどたばたっぷりで、会場がなかなか決まらない、指揮系統がまったく機能しない、内紛やストライキ、不景気到来による資金の心配、工事もはかどらないし始まりすらなかなかしない、やっと工事が進んだ建物もハリケーンか何かで大部分破損しちゃう、落成式にはやっぱり間に合わなかった、落成式から半年くらいあいてのオープニング、どうやってそこまでに間に合わせてくるんだろう、きっとやってみせてくれるんだろう、なんせアメリカ、と思っていたら結局やっぱり間に合わず、だいぶスカスカの状態でスタート。中にはオープン翌日に施工開始みたいなパビリオンもあるし、パリ万博のエッフェル塔をしのぐというコンセプトで作られた大観覧車も「そびえたつ板囲いに覆われた半円形のスチールでしかなかった」という有り様には笑った。
だいたいこの大観覧車のフェリス・ホイールが作られるのが決まったのもオープン4ヶ月前とかで、そっから突貫工事で始めて、オープンから一ヶ月半後ぐらいにやっとできる、という感じで、国をあげてのイベントがなんだかもうよくわからない。結果的には特に事故もなく人々を回したみたいなんだけど、テストで動かしてみると「ハブやスポークのあいだからゆるんだナットやボルト、それにレンチが二本、ばらばらと落ちてきた」という状況で、著者はこれに対しては「このホイールの組み立てには総重量にして十二トン以上のボルトが使われていた」ので「誰かが何かを忘れるのはしかたがなかった」という寛大な姿勢を見せている。それでいいのか、シカゴ万博、という気分が満喫できてとてもよい。
しかも二十万人ぐらい毎日動員してパリ万博をやっつけるぞと息巻いていたのに、二日目からの動員は一万人とか。しかも安息日厳守団体の圧力に屈して最初の頃は日曜日の営業ができなかったっぽく、けっきょくはわりと成功したみたいだけどトータルで見たらウィキペディア見た限りだとやっぱり負けたみたいだった。
閉幕直前に市長が殺されるという事件があって、そして終わったらホワイトシティは一気にブラックシティに。溢れかえる失業者たちがパビリオンに住み着いて、火事が起こっていろいろ焼け落ちた。最初から最後までとても大変な万博だった。という一連の流れが本当に面白かった。
シリアルキラーのH・H・ホームズに関してはわざわざ殺人のために建物作って万博客宿泊用のホテルに改装して、そこには各客室にガス栓があって覗き穴があって、その他地下室ありかまどありで、ひたすら懐柔して、殺しまくって、ここまでくると人殺しが楽しくてどうしようもないんだろうなという感じで、そういう情熱を咎めるような気分にはさっぱりなれなかった。とにかく人心掌握が上手すぎる人物みたいで、この人がシカゴ万博を指揮したらもっとスムースにいろいろ行ってたかもねと思った。
以下面白かった箇所。
生牡蠣/モンラシェをグラスで/アオウミガメのコンソメスープ/アモンティリャード/網焼きシャッド元帥風/キュウリ、公爵夫人風ポテト添え/フィレ・ミニョン・ア・ラ・ロッシーニ/シャトー・ラフィットとリナール・ブリュット/アーティチョークのファルシ/ポメリー・セック/キルシュのソルベ/煙草/ヤマシギのトースト添え/アスパラガス・サラダ/氷菓―――ジンジャー風味/チーズ―――ポレンレヴェック、ロックフォール。コーヒー、リキュール/マデイラ酒、一八一五年もの/葉巻(P128)
「晴れたときは、南風にあおられた土埃で人も馬も前が見えなくなり、ひどく厄介だった。だがもっと悪いのは雨が降ったときだ。土を掘り返したばかりでまだ排水もできていないから、あたり一面どろどろの泥濘と化してしまう」
馬は腹のあたりまで泥のなかに沈んだ。(P173)
彼はチャールズ・チャッペルを二階の部屋に案内した。そこにはテーブルと医療器具、溶剤の入ったボトルなどがあった。チャッペルはそれらを目にしても、またテーブルの上に載った死体を見ても不審を抱かなかった。(…) 「その死体は頭からまっすぐに切れ目を入れて皮をはぎ、全体を裏返したジャックラビットのようだった。ところどころ、かなりの量の肉を切り取ったあとが見えた」
ホームズは、解剖実験をしたのだがもう作業はすんだと説明した。そしてチャッペルに三十六ドルの手間賃で肉をはがし、骨格を組み立てて戻してくれないかと頼んだ。チャッペルは同意した。(P196)
ホリングワースのアドバイスには、ときとしてヴィクトリア時代風の屈折したエロチシズムがうかがえる。たとえばシルクの下着の洗い方という章ではこう書かれている。「黒い下着の場合、すすぎの水には酸ではなく少量のアンモニアをたらすこと」(…) 「水一〇に対して塩酸を一加え、毎晩ベッドに入る前にこの混合液で両足を拭う」(…) 「煙草をパイプの柄で肛門に押しこむ」(P275)
二階と三階の客室はたいてい空いていたが、それでも男の客がやってくるとホームズはじつに残念そうなそぶりで満室だと答え、親切にもほかのホテルを紹介してやるのだった。やがて客室は女性客で埋まりはじめた。(P316)
下痢820例/便秘154例/痔21例/消化不良434例/異物が目に入った365例/ひどい頭痛364例/めまい、失神、極度の疲労594例/極端な鼓腸1例/激しい歯の痛みなど169例(P367)
ウェリントン・ケータリング・カンパニーはこの日に備えて貨車二台分のジャガイモ、ハーフバレルのビール樽を四千樽(約320トン)、アイスクリーム一万五千ガロン(5万7千リットル)、十八トンの肉を運び込んでいた。作ったハムサンドは二十万個、淹れたコーヒーは四十万杯にのぼった。(P412)
book
2012年7月5日
『カンバセイション・ピース』以来の長編小説らしいけれどそれは多分嘘で、『小説の自由』シリーズというのかあの一連の文章もやっぱり小説だったんだと今作を読んでみて確認した。カフカの断片みたいなものを、ということだけれど、私はカフカの断片は読んだことがないのでロラン・バルトの『偶景』をなんとなく思い出しながら読んでいた。そしてなんとなく、昔自分がノートにずーっと断片みたいなものを、それこそ偶景にならったような感じで書きまくっていたのを思い出した。思いついた場面、書き留めたい景色、気分、そういうのをひたすら書きまくっていた。ノートは決まって無印のA5だったかのリングノートで、たしかvol.13ぐらいまでそれは続けられた。いつからか終わった。vol.13の表紙にはたしか、向井秀徳のサインが書かれているはずだった。家のダンボールの中にある。
カフカ式練習帳
262ページ。
ここでキルケゴールの警告は注目に値する。いわく、真実は「無数の断片の浪費」を通じて姿を現す。体系的注釈や網羅的解釈の試みなど無益である。「完成した作品が詩人その人と何の関係もない」のとまったく同じで、「完成した」解釈は生きた書物が持つ、弁証法的、自己否定的ななまなましさを殺してしまう。(ジョージ・スタイナー『アンティゴネーの変貌』海老根宏・山本史郎訳)
この小説の感想は全部を引用するか、あるいは自分で同じようなことを書くのが最も適しているような気がするのだけど、猫のことや、子供時代のこと、電車内の人々、会話、何やらSF的な思考実験、それからいくつもの引用が、中にはセンテンスを終えるのすら放棄されてバラバラに散りばめられて一つの小説が形成されている。一つの小説がというか一冊の本がという方が合っていて、こうなると、小説を数える単位ってなんなんだろうというか、これを長編小説と呼ぶことは正しいのか、断片小説集と呼ぶべきなのか、その違いはなんなのか。
相変わらず何十箇所もページを折ったのでどこがどうだったのかよくわからない状態になってしまったけれど、ページを折るのは遡るためでもあるけれど、同時に「いいね!」みたいなもので、「面白い!」と思った痕跡みたいなものだから、本全体を通してたくさん折られていたらそれを何年後何十年後に見たときに「あー面白かったんだろうなー」とわかるのでそれはそれでいい。
本当に充実した断片集だったのだけど、特に深々とページが折られているのが162ページからのところで、ここはかなり長い部類というか一番長い断片じゃないかと思うのだけど、
彼が育った家は古く、庭には一年じゅう一度も陽が射さない一角もあった。最初に思い浮かぶのは庭の左半分のそのまた手前半分の、まわりが龍の髭で囲われて、まわりより少しだけ高くなった花壇で、夏の特に鳳仙花が咲いているときは蜜蜂が花の数よりも多いと思えるほど集まり、花壇の空間を不思議に緩やかで不定形な動きで飛んでいた。
夏の終わりには真紅の鶏頭が咲き、秋にはカンナが咲いた。白粉花が花壇のどのあたりに咲いたか記憶がないが、白粉花の茎の葉を花壇の脇にまるで掃き寄せたように少しこんもり重ねて落とし穴の蓋にしたのだから、白粉花がなかったはずはない。といっても、子供の掘った落とし穴は直径三十センチほどしかなかったが、母は彼の巧みな誘導によって見事に足をはめた。
白粉花は花壇でなくその脇で咲いていたのかもしれない。花壇の向こうは庭の南東の隅で、柿、梅、イチイ、珊瑚樹、棕櫚など丈の高い木が揃い、陽が射さなかった。下は落ち葉で被われ、一番置くに、ある秋大きな蝦蟇が棲みついた。入っていくと、蝦蟇はこちらを見上げて動かない。気味悪がった彼の母が追いたてようとしても動かず、スコップで足元を持ち上げてみようとしたが、うまく蝦蟇の下の土に入らない。子供の彼が替わってやってみると、スコップは蝦蟇の左の前足を切ってしまったが、蝦蟇はそれでも微動だにしなかった。彼の母はあきらめ、蝦蟇はひと冬そこにいた。春になるといつの間にかいなくなっていた。自分より年上だったのかもしれないと、いま彼は思う。
梅の木は太く真っ直ぐだったが、老木ですでに実はならず、大きなサルノコシカケが生えていた。梅の木は上りにくかった。柿は枝が折れやすいと言われ、上らなかった。しかし他所の柿には上ったに違いない。柿に上らなくとも、もっと危ないことはいくらでもした。一番端、というのはその一角の入り口だが、そこのイチイに上ると、イチイの主幹は平屋建ての家の屋根ほどの高さで伐られていた。
そこから横に三方に広がる三本の枝が彼にちょうどいい具合の腰掛けになり、彼はそこに座って長い時間、数軒先の山を見たり、空を見たり、山の上でゆっくり弧を描く鳶の飛ぶのを見たりした。人には必ず幼年期に内面を醸成する出来事や習慣があるのだとしたら、一時期毎日のように二時間も木の上で過ごした子供はどういう内面を醸成させたのか。
イチイの隣、というのはその一角の外ということになるが、イチイの隣は松で、松は地面からの主幹の傾きと主幹の細さと何よりも幹表面の鱗状の樹皮とあちこちについてる松脂が嫌な感じで、松に下から上ることはなかったが、イチイのてっぺんから移れば簡単で、松脂もつかなかった。松もまたてっぺんで主幹が伐られ、座るに適当な幹の広がりはあったが、やはり松は松葉が彼の体のあちこちを刺して、絶えずどこかがちくちくする。彼は早々に松から榧の木へと移るのだったが、この移動は真剣だった。
待つと榧の距離が遠いのだ。松の一番榧に近い幹というのか、松というのか、それはL字に曲がっている。これは体を伸ばす足場としてはちょうどいい。しかし、微妙に下に傾斜している。L字の角が一番榧に近いが、そこまで行くと足が滑って落ちる。現に彼は一度落ちたが、そのときは例の白粉花が、季節が終わったからか、それとも別の理由か、茎と葉が伐られてどっさり積み上げられていた。
あのクッションの感覚は今でも思い出せる。足が滑って体が宙にいた瞬間、恐怖はまったくないが、ダメだ!という、全身が突き落とされるような後悔と、その直後の受け止められたとしか言いようのない感覚。積み上げられた白粉花の茎の一本がまず左の鎖骨に当たり、それにつづいて背中全体が白粉花の茎と葉の山に吸い込まれるのが、彼にはスローモーションでなく、高速度の感覚でわかった。
白粉花があんなに高く積み上げられていたのは、後にも先にもあのときだけだ。母に落ちたことがばれないように、彼は慌てて白粉花の山を元に戻そうとしたが、途中で無理だとわかり、白粉花のやまと半日遊んでいたかのように、山に突撃したり、ドロップキックしたり、ひたすら山を壊すことに専念した。が、そのうちに、自分はなんてひどいことをしてるんだ、この白粉花の山は命の恩人じゃないか、と気がついた。
では、自分はこの山に対してどうすればいいのか。恩人に感謝をあらわすとはどうすることか。彼はその日の残り、日が暮れるまで、白粉花の茎と葉が積み上げられた山に埋もれることにした。気がつくと眠っていた。正確には、眠りから覚めると自分が白粉花の山に埋もれて眠っていたことに気がついた。
目が覚めてみると、寝心地は少しもよくなかった。どうしてこんなゴワゴワした中で眠れたのか、ともかく我に返ると彼は三時間前に戻って、イチイにのぼり、イチイのてっぺんでしばらくまわりを眺め、それから松に移ったが松のL字の枝なのか幹なのか、そこに注意深く足を載せて榧に手をのばすと、暗くて榧の枝と葉の見分けがつかなかった。すでに日没も空全体を茜色に染め上げた季節に何度もない見事な夕焼けも過ぎ、六時を知らせる寺の鐘も鳴り終わっていた。
こんな時間まで外にいるのに、呼びに来ないのは変だと思う気持ち半分、助かったと思う気持ち半分で家の中に入ると、母が炬燵に突っ伏していた。テレビも点けっぱなしだ。電気やテレビの点けっぱなしにあんなにうるさい母が変だ、と思って、肩を揺すると、母はまだ夢の中にいるみたいにぼんやりした顔で、
「チャーちゃんが木から落ちる夢を見てた」
と言う。彼はドキっとしたが、平静を装って、
「落ちてないよ」と言ったから、
「あなた、本当に落ちたのね」と、バレてしまった。母に知らせたのは、切られて積み上げられた白粉花の茎と葉なのか、彼がつねづねうっとうしいと思っている松なのか。
庭の右半分、ということは西の半分は芝生だった。それまで彼は、芝生と言えば低く絨毯のように庭を被うものだと思っていたが、彼の家の芝は雑草のようにぼうぼうと伸び、子供の彼の膝くらいの丈があった。夏は緑がとても濃くなり、寝そべるともわっと草の湿気が体を包み、気持ちいいわけではなかったが、夏にしかこうならないことはわかっていたから、これはこれでいいものだという風に思っていた。ということはやっぱり芝のあのもわっとした空気が好きだったのか。
そこに糸トンボが集まってきた。体長三、四センチで胴はとても細く動きがのろい。芝の葉先に止まっているのは当然のこと、飛んでる最中でさえも、簡単に胴は摘めた。が、簡単すぎるため、糸トンボを捕まえようなどと思わなかった。一度くらいはビニール袋にためた記憶があるが、一度だけだ。そしてすぐに放した。
しかし芝に寝そべっているだけでは子供には面白くもなんともなかったから、彼は糸トンボを摘んでは放した。木の上で過ごした時間と同じくらい、芝生で糸トンボを積んで放すのを木の上からずっと見ていた。上っていたのはイチイだったか、榧だったか。そこからは家の屋根の全体も見渡せる。後年、彼は家の建て替えのとき、彼の家族は隣家の、以前から人に貸していた二階を一時的に借り、そこから父と母は、自分達が十年住んだ家がどんなかたちをしていたのかはじめて目にして、しみじみと、というのは形でなく、目の前のその家がまもなく取り壊される感慨によるものに違いないが、しみじみと、「この家はきれいな方形だったんだねえ」と、夫婦で言ったのだが、彼はその形をよく知っていた。
それを言うとまた「どうして知ってるんだ。おまえはいったいどこから見たんだ」と追及されるに決まっているから黙っていたが、彼はよく知っていた。中学一年の秋、というか晩夏のことだった。その頃は考えもしなかった。中学一年にしては迂闊すぎる。だがまったく考えなかった。イチイも榧も屋根と同じ高さしかないんだから、屋根全体の形が見えるはずがない。しかし彼は間違いなく屋根の形をよく知っていた。
イチイのてっぺんから、あるいは榧のてっぺんから、彼は屋根の全体を見た。夏の午後、糸トンボを摘んでは放す彼を見た。午後に裁縫をしている母を見た。冬は陽足が長く、陽が部屋の奥までよく射し込んだが、夏は陽がとても高く、明るく強く陰影をはっきり出すので、彼には夏の方が何倍も室内が暗く感じられた。台所で夕飯の支度をする母も見た。
今になってわかるのだが、母は料理の手際が悪かった。いや、手際でなく手順が悪かった。鍋が二つあるのに一つしか使わない。節約で余熱にこだわるあまり、料理が止まる。卵の殻は庭の花の栄養になるといって捨てずにとっておき、そのための小さめの器をいちいち探す。他にも何か宗教的な儀式であるかのように手を休め、台所の窓から見える隣家の二階の屋根の向こうの山に当たる夕日の光にしばらく目を凝らす。
あのとき母が見ていたのは何だったのか。取り壊される寸前の家に入っていき、彼は母が立った場所に立ち、日没を待った。するとどうだ。ここら数軒の家の屋根で反射した日没の、黄色というより黄金色の光が、山の斜面の一本の、楠と思われる木に収束し、木が体を震わせはじめるではないか。木は身もだえし、ざわざわと葉が激しく揺れ、何十羽という小鳥が飛び立っていった。(P162〜168)
という箇所というか断片がとても好きで、ただの幼年期の思い出話にはとうていとどまらないあれこれの飛躍というか断絶というかがそこここにあって、不穏なことこのうえない。木の上の動きがうれしい。光がまぶしい。磯崎憲一郎のデビュー作のような。
cinema
2012年7月5日
予告編にて。メイクをほどこしたショーン・ペンのアップのあと、水色の空と白い砂の画面上部に「THIS MUST BE THE PLACE」という文字が映し出された瞬間に私はもう動揺してしまって、なんてタイトルだ!こんなの、ルール違反じゃないか!と叫びだしそうにはならなかった。私は常識をわきまえた人間だから、映画館という公共の場で叫んだりなんやかんやをしたりすることはない。
しかし、それでも、吉祥寺の2006年の夜、『STOP MAKING SENSE』を見た、聞いた、体験したときは、低音でビリビリと震える体をなんというかこうくねくねと動かさないではいられない、動かさない俺はいったいなんなんだ、なんで俺はそれでもなお、こんな素晴らしい衝動があるのになお、動かさないんだ、というぐらいにすべてを持っていかれて、デヴィッド・バーンの一挙手一投足に、無駄にというかこれ以上の必然はないだろうという必然で流れる涙を抑えようともせず、呆然と、ただ見つめ続けたのだった。あんな映画体験は今後私の人生にあるのだろうか。とは書いてみたものの私は『STOP MAKING SENSE』を映画館で見たことはないので嘘で、DVDで何度も何度も見たというのが本当だった。何度も何度もとは言え全編を通して見たのはたぶん1度か2度で、あとはだいたい執拗に「THIS MUST BE THE PLACE』を見た。布団に入って、朝、いろいろな涙を流しながら見た。歌詞もだいたい覚えて、あのリラックスした、とち狂った、どうしようもない歓喜の歌を一緒に歌った。
そういうものだから、タイトルが『THIS MUST BE THE PLACE』って!と動揺して、ああいう演技をやらせたら本当にショーン・ペンはいいんだろうなとなって、ロードムービーで、と思ったら『パリ、テキサス』のおじちゃんがおじいちゃんになった姿で出演していて、でも同じようにキャップをかぶっていて、と思ったらあのリズムが聞こえてきて、ステージで、白髪の、そして白いスーツの、少し顔に肉がついたように見えるデヴィッド・バーンがうれしそうに歌っている。横にいるのは黒人の素晴らしいコーラスガールでは今回はなくてストリングスの娘さん3人で、全体に白で、だけど立ち位置とか、どうしてもあのステージを彷彿とさせて、その姿を見た瞬間にもう完全に滂沱。
チラシを見てみると少ない紙幅のなかで3箇所も「クール」という言葉が使われていて、それは「演出」とか「映像」とかにつながるのだけど、そのあたりがやや懸念されるというか、実はこれはつまらないんじゃないかという懸念は拭えないと言えば拭えないというか、映像のトーンとか、音楽がいいとか、そういうあたりでハーモニー・コリンの『ミスター・ロンリー』が思い出され、これも予告編が抜群に面白そうだったけれど実際はそんなでもないかなーという印象で、その路線の懸念。でも見る。
『きっとここが帰る場所』
岡山、シネマ・クレールでは8月11日から24日まで。
『私が、生きる肌』の方は「あちゃー、またどうでもいいやつ見ちゃったー」という感じだった。冒頭で大写しで「a film by ALMODOVAR」みたいな文字が出てきて、ああ巨匠ともなると苗字だけで署名になっちゃうのねーと思ったりしたぐらいで、あとはいちいち音楽がうっとうしいなーとか、青年これ和姦だよなーしかも和姦未遂、それがこんな仕打ちとかかわいそうだなーと思ったりしたぐらいで、エンドロールが流れるあいだ、あくびの連発により涙が頬を伝い続け、さらに鼻炎で鼻水が出てきて鼻をジュルジュル言わせて、その姿を彼女に見られ、あとでなんと弁解しようか、それに困った。言えば言うほど「ほんとは感動したんでしょー」とか言われちゃいそうで、「違う!断じて違うんだよ!断じて!」「またまたー」というループに陥るのは明白かと思われたが、意外にもすぐにあくび及び鼻炎を納得してもらえたみたいでほっとした。
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