cinema
2012年3月30日
「不毛」を辞書で調べてみると「1.土地がやせていて作物や草木が育たないこと。また、そのさま。2.なんの進歩も成果も得られないこと。また、そのさま。」とあるのだが、この作品に当てる言葉があるとしたらこれしかないように思う。
学生時代に、たしかアテネフランセですごいドキュメンタリーをやるというので『鉄西区』の存在は知っていたのだけど、9時間は…というためらいから見に行くこともなく、ワン・ビンという名前を思い出すこともなくここまで来てしまい、見た人によるとやっぱりなんだかものすごいらしい『鉄西区』の人がとった劇映画はどんなだろうと見に行ってみた。原題は『夾辺溝』。『無言歌』というのはまた情緒的な邦題で、実際に目にすることになるのはあられもない即物的な人々の運動や息遣いでしかなかった。見通すことを放棄したくなるまでの凄まじい圧迫が全編にみなぎっていた。
スクリーン越しとは言え見ているだけで喉がイガイガして息苦しくなりそう(だがしかし、そうはならなかった)なゴビ砂漠の強制収容所は一面完全なる黄土色の世界で、強い風にあおられて砂塵が吹きすさび続ける。そこにある夾辺溝という農場(?)でおこなわれる労働改造という名の強制労働は、本来の目的は開墾であるっぽいのだけど、素人目にはどう見ても農作物をどうこうできる感じではなく、毛沢東の陰謀にはまった「右派」の人たちはスコップを地面に刺し、砂を放り上げ、その半分ぐらいが斜面にぶつかって降りてくる、そんな不毛な労働に従事している。
とは言え、労働が作中で描かれるのはほんの5分程度のことに過ぎず、他の時間はだいたい壕の中での寝泊まりの様子と、死んだ人を布団に包んで三人がかりで運んでいく様子で占められていて、というか、開墾作業以上に死体の運搬作業の方が大変なんじゃないかというふうに見えてきて、本末転倒にもほどがあるというか、強制収容ってそういうことなのかもしれないけれども、なんという、なんという不毛なんだろうと有毛である私の身の毛がよだつわけだった。
身の毛がよだつのはそれだけではなく、途方もない疲労の中で出てくるのは不味そうな少量のお粥だけという極限の状態の中で人々が見せる食に対するあれこれも凄まじいものがあり、実際にあった出来事に対して凄まじいという言葉でくくってしまうことには非常に抵抗があるのだけど、いい育ちをしてきてしまったのか、なんのオブセッションなのか、汚い食事みたいなものに対する強い生理的な嫌悪を私は持っているので仕方がないということにしておくけれど、捕ったネズミを煮て食べるくだりとか、同胞の吐瀉物を拾って食べるくだりとか、あるいはわけわからん焦茶色の穀物スープを舐めるくだりとか、夜の上映で空腹だったことも手伝ってかすごく気持ち悪くなった。どうもやはり、液状に近いぬらぬらの何かが食べられるところが私は本当に苦手らしい。ラース・フォン・トリアーの『イディオッツ』のペースト吐き出しますよーとか、ハーモニー・コリンの『ガンモ』の風呂でのチョコバー、スパゲティ、シャンプーみたいなやっちゃいけないだろその取り合わせというやつとか、ああいうのがすごく苦手だ。
かつて、本当にあった出来事の映画化であり、かつ茶色い穀物スープを飲む老人はその場の体験者であるというし、そういうものに対して「気持ち悪い」で済ませてはいけないのは重々承知しているし不謹慎と言われても仕方がないのだけど、どうにも見ていて気持ち悪いものは気持ち悪いので、それはそれでしょうがない。先程から弁明じみているけれど、仕方がない。
それはそれとして、穀物スープの老人がその穀物を取るシーン。大地にひざまずいて枯れ草をちぎり、ゴシゴシと両の手でしだいて少量の粒を取って内ポケットに入れるのだけど、その祈りの姿勢を捉えた映像は素晴らしかった(ポスターの写真になっているやつ)し、部屋の一番手前から長回しで撮られる、寝泊まりする壕の中に入り込む真っ白というか黄色というかの光の具合は神々しさにも似た美しさがあったし、実際仲がいいらしいし影響を受けているとワン・ビン自身も言っているけれどペドロ・コスタのいくつかの映画を想起させる厳粛さをたたえていた。
そして、ヴァンダの咳の音のように、強制労働に従事する人々が見せるどこまでもどこまでも鈍重な動きもまた、見る者をやりきれない、何か取り返しのつかない気分にさせ続けた。女が現れ、夫の死を知りひと通り慟哭しているあいだ同室の人々はまったく興味を見せず身動きもせず、というか見ているとそこに人が数人いたことすらわからないほどだったのに、お土産というか食料を置いていくので皆さんで食べてくださいと言われた途端、布団が隆起するように持ち上がり、そこから人間が出てきて、クッキーらしきものが入っている缶にぬらぬらと集合していくあの重苦しさは、ダニエル・シュミットの『今宵限りは…』をなんとなしに思い出させたけれどそんなに優雅で舞踏的なものでは全然なくて、やはりただただ鈍く、重かった。どんなゾンビよりも怖ろしい運動がそこにあった。
一人アクティブだったはずの女もすぐに砂漠の重力にやられてしまい、足取りもおぼつかなく、ただ泣きわめきながら、こんもりと砂をかけられただけのおびただしい数の死体が転がる場所を転々と歩き、夫の亡骸を見つけようと躍起になった。手袋を取り、砂をかき分け、最後には、埋葬後に何ものかに衣服を剥ぎ取られ尻や太ももの肉をおそらく食用にそぎ落とされた死体と対面することになるのだが、あのとき彼女はどこまで見たのだろうか。優しい人たちが死体を燃やした。火が、砂漠の中で燃え上がっていた。赤かった。
死んだあと老人の裸が何ものかによって裸にされていた。それを見た若い監督者が「死んだ人間よりも生きた人間が大事だ」と言って諦め、裸のやせ細った死体を運び出した。夜だった。
一方で、二人の人物が逃走した。一人は老体かつ病体ですぐに力尽きた。若者はすぐに死ぬとわかっている老人に上着を与えてその場から去っていった。オフィシャルサイトのトップに「それでも、人を想う」「希望の詩」とあるが、私にとっては上着を与える行為以外にはどんな人想いも、希望も見いだせなかった。どこまでも不毛の詩ではなかったのだろうか。浅はかな見方でしかないのだろうか。
・OUTSIDE IN TOKYO / ワン・ビン(王兵)『無言歌』インタヴュー
・『鉄西区』Tie Xi Qu: West of the Tracks – Part 1: Rust (1/23) – YouTube
cinema
2012年3月29日

3年ぶりぐらい3回目。『映像のカリスマ』で黒沢清がトビー・フーパーのことを涙ぐましい努力を重ねる作家という位置づけで大いなる共感を持ってけっこうなページを割いて書いていて、「『悪魔のいけにえ』だけの監督」と言われてしまうことはどうやらトビー・フーパーにとってはとても不当なことらしいのだけど、非常に悲しいことに私は『悪魔のいけにえ』と続編『悪魔のいけにえ2』しか見たことがない。ウィキペディアを見てみるとたしかに2,3年に1本ぐらいのペースでコンスタントに作品を発表し続けているみたいで、たとえそれが3度目であろうと、デビュー作だけにしか触れない私の態度はどこまでも義理を欠いたものだろう。
このスプラッターの始祖と呼ばれるらしい作品を見て私が感じるものは恐怖ではなく歓喜で、ひたすらにテンションが上がっていく。あんなに自信満々だったやつらが怯え、目に涙をためて許しを請い、叫び、最後まで絶望を絶望と気づかないまま殺されていく様を見るのがうれしくて仕方がないのだろうか。それもあるだろうし、なんせレザーフェイスが殺戮のあとに窓際に座って見せるなんともいえない後悔めいた仕草、仮面越しの舌なめずり、父親の前で見せるおどおどした態度、食卓で父親の顔に間欠的に現れる笑い、おじいちゃんが女の指をちゅーちゅーするくだり、ハンマーを落としちゃう弱々しい手、それを支える孫の献身、人々の無邪気さ、絶えない笑顔、そういったものの一つ一つが、よくできたホームドラマを見ているときのような生温かい気分を味わわせてくれる。一家には伝統があり、教育がある。そのことがただうれしい。
また、この映画は継承の物語でもあるらしく、墓荒しのお兄ちゃんのブブブという仕草は車椅子のフランクリンに引き継がれ、殺戮は祖父から父、父から息子たちへと引き継がれ、家族の笑いは背中丸出し女子に引き継がれる。そしてこの映画自体がたくさんの映画に引き継がれてスプラッターというジャンルに今なお大きな影響を与え続けているとかなんとか。バケーション中のリア充がとても大変な状況に陥るというスタイルの発端もここにあるのだとしたら、今作の貢献は計り知れないほど大きい。彼らが窮地に陥ることは好ましく香ばしい。何度でも見たい。
他の作品を見ていない以上なにも言えることはないのだけど、本作以降のトビー・フーパーが鳴かず飛ばずでデビュー作を裏切り続ける監督と言われてしまっているのだとしたら、その原因はこの映画があまりにかっこうよすぎるからじゃないかと思う。少し前に人間と話していたときに、その人間の人が「ゴダールがいいのはオシャレでポップという捉え方を許容する部分があるからじゃないか」というようなことを言っていて、要はオシャレでポップな女子あるいは男子が見ても「オシャレでポップだよね」と言って満足できるからそれはとてもいいことなのだとその人間の人は言っていたのだと思うのだけど、この作品にも似たようなところがあって、スプラッターだろうがホラーだろうがなんだろうがそんなことはオシャレでポップな女子あるいは男子には関係のないことで、もはや「スタイリッシュ」の一言で済ませられ得るほどに映像がかっこうよすぎる。
16ミリの粗い画面、冒頭に断片的に映される死体、ロードムービー的叙情を感じさせる車の停止のロングショット、あっけない殺戮、鶏が鳴き骨の転がる部屋、発電機の放つ轟音、閑散とした部屋に配置される死にかけのじいさんとミイラのばあさん、画面いっぱいに大写しされる女の目、そして朝焼けを背景にチェーンソーを持ってダンスするレザーフェイス。最後なんてほとんど祝祭的とすら言えるほどで大好きな場面だけれども、ちょっと過剰なほどにかっこういい。一緒に見たオシャレでポップな女子あるいは男子が「かっこよかった!」と言ってきてもまったく否定できない。別にだから何というわけではないのだけど、なんというか、そういうのって良し悪しだねとは。まあ、どれだけグダグダになっていくのか、あるいは涙ぐましく努力を重ねていくのか、その姿を確認するためにも他の作品も見なければならないという思いを強くした。
それにしてもチェーンソー男子と背中丸見え女子の追走/逃走シーンのハラハラどきどきの活劇具合を見ていると、先日見たマーティン・スコセッシ『ヒューゴの不思議な発明』の駅構内での追走/逃走劇があまりに緊張感を欠いているというのがやはり浮き彫りになったような気がした。画面内に二人を配するだけでこんなにハラハラさせられるのに、なぜスコセッシはそうしなかったのだろうか。活劇って言葉好きだけど活劇ってどんなものかわかっていないのだけど。
悪魔のいけにえ スペシャル・エディション コンプリートBOX(3枚組) DVD
映像のカリスマ・増補改訂版
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2012年3月26日
さようなら、はてなダイアリー、ということでなんとなく昔使っていたはてなアンテナを見たら、真っ赤な画面の中にたくさんの懐かしい名前を見て、昔はここで好きなブログの更新情報を追って、映画館の上映情報を追って、そうやって、そうやって生活していたのだった、ということを久しぶりに感触として思い出していた。たくさんの懐かしい名前があって、それらの多くの更新が止まっていた。ブログは成仏されない。おびただしい数の更新の止まったブログが、誰からも忘れられて、だけどかつてある日に書かれたのとぴったり同じ言葉がかつておさめられていた場所におさまって、そのままであり続ける。これは、著しく悲しいことではないだろうか。アンテナを使っていたときからも、更新の止まったものがどんどん下に追いやられていく姿を見ながら一抹の悲哀とも呼ぶべき感情を覚えていたわけだけど、RSSで情報を取るようになって久しい今、あの行き場所を失った数々のブログたちの、ほとんど亡霊と呼んでいいその有様は、言いようのない切なさを見る者に与えるのだった。RSSはある意味で亡霊を非可視のものに仕立て上げる。ないものとして取り扱う。ただ、そうだとしてもいずれにしても亡霊には変わりない。
亡霊。亡霊らしく、ブログサービスによってはページの隅っこに定期的に「【PR】早い者勝ち?販売予定新築マンション特集」というような広告が出され、アンテナはその情報を更新として捉えてしまうために死んだまま息を吹き返したような形になる。今も、2007年3月22日14時17分最終更新のブログが、大学時代の知り合いのブログが現れた。それらはいつ、どのようにして己の眠るべき墓場を見つけるのだろうか。
墓荒しがそれを可能にするのかもしれない。うだるような夏の暑い日の朝、墓守たちは愕然とするだろう。夜の間に、何者かが墓を荒らし、腐乱した死体を取り出し、解体し、接合し、ひとつのモニュメントを作成してしまった。それは強い太陽を浴びてぬらぬらと輝き、光っている。おびたただしい数のウジがその上を這っている。亡霊たちが墓に入りうるのはもしかしたらそんな間隙を縫ってでしかないのかもしれない。誰もがそのモニュメントに釘付けになっているうちに、掘られた墓にそっと忍び込む。あとはたとえ咎められても我が物顔に振る舞って見せる。亡霊たちが正確な死を死ぬためには、そのぐらいの厚かましさを持たなければいけないのかもしれない。
何を言っているのかさっぱりわからない。昨夜久しぶりにトビー・フーパーの『悪魔のいけにえ』を見て、その冒頭のシーンの影響でこういうことを言っているのは自明なのだけどそれにしても何を言いたいのか。言いたいことなんてひとつもない。というのは強がりかもしれない。大学時代、今、ブログをこうやって始めて、とても大学時代の自分をロールモデルにしている感があってあの頃自分はいったい何を思ってどんな手つきで書いていたのか、仔細に分析しているところでは一切ないのだけど、あのころ本当にいったい何を考えて書いていたのか、聞いてみたいような思いはある。『悪魔のいけにえ』は20分ほど見たところで眠った。
フェイスブックにあがってきた友人がタグ付けされた写真についた文章に「りえちゃん♡ずっと友達でいてね꒰๑͒•௰•๑͒꒱♡ℒℴѵℯ*¨*•」という類のものがあって、顔文字の複雑さに舌を巻いたことはいいとして私の友人の名前はりえちゃんではなくゆうたくんで、ゆうたくんが出席した飲み会の写真がアップされていた模様。おそらくりえちゃんもその写真の中にいて、ゆうたくん同様タグ付けされているのだろう。友達とはいったいなんなのだろうか。ということはここ何ヶ月か、一ヶ月ぐらいだろうか、考え続けていることで、フェイスブックというリアル、という言葉はすごく嫌いでリアルもバーチャルもあるかということしか思わないのだけど、リアルの交友関係が可視化されるツールにおいて、あまりに「友達」が増えてしまい、いとも簡単に増殖してしまい、この「友達」の敷居の低さにおののくとともに、よりいっそう友達という存在が貴重に思えてくるのだった。フェイスブックの「友達」の中にいったいどれだけの友達がいるのか。私にはよくわからないし、いるにはいるというかちゃんといるつもりではこちとらいるのだけれども、友達とはいったいなんだったか。件の写真が言う友達はどちらの友達なのか。「ずっと(フェイスブック上で)友達でいてね」であるならば通りはよい。たとえりえちゃんが彼女のフィード購読をやめてしまおうが、「友達」であることには変わりがないから、「ずっと」そういられるだろう。ただ、そうではなく「ずっと(私の中にある概念に該当するものとしての)友達でいてね」であれば自体は複雑な様相を帯びざるを得ず、コメントを返すとしたら「それは保証できないし、そもそも貴女のおっしゃる友達の定義はいったいなんですか」ぐらいしか言いようがない。
フェイスブックにはたくさんの功罪があると思うけれども、その大きな一つが「友達」という言葉を単純な記号に変えてしまったことだ。もはや友達など、カッコつきでしか存在し得なくさせてしまったことだ。フェイスブックをやっていて「いや、友達じゃないし…」と思ったことのない者はいないだろう。でもそれは承認を押した瞬間に「友達」になるわけで、「友達」はもはや、明示的な承認という手続きを経て成立するようになってしまった。なんて時代だ。ザッカーバーグはどんなコンプレックスを抱えていたのだろうか。そういう意味では「マイミク」という極めてなんでもない名称を使っているミクシィの方がよほど精神的には健全かもしれない。
それと関連して週末に東京から遊びに来てくれた友人と酒を飲む機会があり、延々と、中途半端な映画好きとして映画についてひたすらにしゃべっていた。映画よ、自分の足で立って歩め、ということになった、ような結論に至ったような至らなかったようなどんな結論も求められていない、解も求められていない。蜂起すること、つまり、問いを発し続けることこそが、私たちの、すべきこと、なのか。先日読んだ『蜂起とともに愛がはじまる』についてはいろいろと思うところがあるけれど、私は別にどう生きても構わないし、映画と思想がアクロバティックに手を取り踊る姿を見ていられればそれでいい。なんのことだったか。つまり、シネフィルとされる人たちの正体はシネキルだったのではないかということだ。それもシリアルキラーに他ならず、さらに夜な夜な墓を掘り返して腐った死体を切断して積み上げて醜いモニュメントを作成していたのは彼らなのではないかということだ。その罪はフェイスブックのそれとは比べ物にならないほど重い。
text
2012年3月23日
ほらまた、また更新しようとしている。理由はたぶんたった一つで、一つでも多くの記事を作成することでブログらしい体裁を整えたい、というところなんだと思う。アーカイブを見て、こんなに記事がたまったと喜びたいだけなんだと思う。極めて馬鹿らしいが、馬鹿らしさに真理が宿ることだってある。が、これは真理とはまるで関係ない。
大学時代のブログの更新頻度が常軌を逸していたようなことを数日前に書いたような記憶がおぼろげにあるので実際どんなものだったのだろうと、今数えてみたところ2006年9月11日から2008年3月31日までの567日間に338回の投稿をしている。パーセンテージとしては59で、3日あれば2回はブログを書いていたということだ。文字数に関しては正確なところはわからないが期間中の任意の10記事から出した平均は3396字で、そこから導かれる総文字数は1147848字、新潮文庫の1ページ最大文字数738字で割ると1555ページ。1年半ほどの期間で300ページの文庫だったら5冊分となる。そのエネルギーはいったいなんだったのだろうか。
日記らしく。いや、日記であるつもりはないのだけど、日記らしく。
今日は店が休みでした。今月は木曜日を休むことにして毎週1日ちゃんと休めてうれしいねと言っているのだけどそれにしても毎日遅くとも10時から24時半ぐらいまで、1日14.5時間×5日+日曜8.5時間(10時から日の入り、今は18時ちょい)=81時間、それが4週で月324時間。サラリーマン時代がだいたい8時半から平均20時半ぐらいまでだったから一日12時間×5日で60時間、月240時間だったので100時間近く増えていることになる。100時間っていったいなんなのか、単位とそれに付く数字が印象として乖離していていまいち現実味がないのだけど、映画にしたら50本、と考えるとおそろしいというか映画見たい。というところにもなる。とは言え飲食だからお客さんが来られなく仕込むこともなければ本を読んだりネットを見たり煙草を吸ったりあるいは寝たり、好き勝手に振舞っていられるから緩急の問題とも言えるけれども、だからと言って意識としてはいつお客さんが来られてもおかしくないから張ってはいるわけで、まあ、それは疲れるだろうなと思う。
まあそれで、日記らしくいくとすれば今日は店が休みだったため、起きたらマイスイートハニーが洗濯を完了させてくれていたところで頭が本当に上がらなくて、それはそれとして昼は雑穀米有機野菜なところで極めてうまいご飯を食べ道すがら見つけたレコード屋で著作権切れ名画系DVDを買った。バスター・キートン3枚、ルノワール2枚、溝口1枚。見るの楽しみ。そこからはひたすらに買い出し等にいそしんだ。リサイクルショップで増設するフロアーのための家具、ホームセンターで排水管の詰まり取り、スーパー、卸していただいているコーヒー屋で豆、またスーパー……
腹が減り、マックのドライブスルーでポテトとナゲットを買い食いながら映画館へ行くが、マックから映画館までの距離が近かったので立体駐車場に停めた時点ではまだ食い終わっておらず、エンジンを切った車内で二人ポテトとナゲットをむさぼった。それは一抹のわびしさを私に与えた。わびしさは私にとってはわりとオブセッションでものすごく回避したい感情だった。忌避といって差し支えないのだけどなぜそんなに嫌なのかはよくわからない。風邪引きで学校を休んだ日に見る昼のテレビとか、スノボー帰りの寝静まったバスの窓に流れていく風景とか、空になったコンビニ弁当とか、わびしさはどこから湧くのか、どんな共通点を持っているのか。ちなみにコンビニ弁当のわびしさは回避できるので私は絶対に食べない。何があろうとも食べない。貫かれる絶対菓子パン主義。
マック、上映前の時間でスタバ、シネコン。資本主義の権化のような一連の流れの中でスピルバーグの『戦火の馬』を見てきてその感動は前の記事で記した通りだけど、本当に、あまりによかった。映画館で見るべき映画だった。もはや、映画を見て、あるいは本を読んでそれを結果としてブログに書くのか、ブログを書くためにそれらを体験するのかわからなくなってくるのだけど、「そうだ、映画の感想をあげよう」という気持ちのもと近くのオシャレなカフェに行って先ほどの記事を書いた。ビールのかたわらにPCを置き、煙草をくわえ、イヤホンをして、いいのかな、オシャレなカフェでこういう振る舞いをして、「傍若無人な人だよ」というような類の悪い噂でも立たなければいいけどな、と恐々としながらカタカタと打鍵を繰り返していた。そして帰宅し、なおもこうやって打鍵する私はいったい何をしたいのだろうか。本当に、いったい何をしたいのだろうか。間違いなく、絶対に、絶対に更新頻度は元通りに戻るだろう。つまり月に1か2の投稿をかろうじてするというところで、どうせそうなる運命ならば潔くそうすればいいではないかと思うのだが、冒頭に申した通りとりあえずのところ記事数を増やしたい、その一心で私は生きています。
cinema
2012年3月23日
先日ジョン・フォードの『アパッチ砦』を見て、馬とはなんとまあ!と鮮烈に思い、それと同時にもはや現代ではこんなホースアクションを見ることはできないのだろう、ものすごいスピードで大量に駆けていく馬から地に落ちて砂塵の中に消えていく、あるいは馬も含めてバッタバッタと倒れてみせる、そんな光景は現代では撮ることはできないのだろうな、どれだけ流麗なカーアクションが可能であっても、と漠然と思っていたのだけど、2010年代の現代でそれを実現できてしまう監督がどうやら一人だけいたらしく、その名はスティーブン・スピルバーグと言うらしい。
なんだかもう、すべてが偉大だった。朝焼けの高原をなめていく空撮で始まって、何から何までが偉大で荘厳だった。ヤヌス・カミンスキーのカメラはこんなに美しくていいのだろうかというほどにどこまでも美しく対象を映し出していた。村々は光にあふれ、水はいつでも鏡面としてその素晴らしい景色を複製して、なぜかタルコフスキーを想起させたおびただしい数の死体が転がる、あるいは水たまりと枯れた木でなる戦場は青灰色に沈み、銃弾や大砲はどこまでも重く、そして風は風として、雨は雨として正しく捉えられ、そして何よりも馬。走り、止まり、歩き、いななく馬の肢体は力強くどこまでも官能的だった。それにしても、シネマスコープの画面は馬と人間の邂逅を収めるために発明されたのではないかという放言すら吐きたくなるいくつかの場面の素晴らしさったらなかった。
こんなピュアな、ピュアという言葉が適切なものかはよくわからないけれども動物と景色が主役となるようなこんな映画がありえたのかと、ただただ驚きおののいた。素晴らしい映画体験だった。
一つあるとすれば、馬のトレーナーであるボビー・ロヴグレンはスピルバーグの次ぐらいにクレジットされるべきだったのではないかと。にわかには我が目が見たものを信じることのできないような馬たちの傑出した運動を導いた彼にはもっと脚光があたってもいいのではないだろうか。信じがたいことに、ここで演じた馬たちには重大な怪我もストレスもなかったらしい。撮影につきっきりで同行したアメリカ動物愛護協会みたいなところのバーバラ・カーさんのお墨付きとのことである。
text
2012年3月22日
ちょっとカタカタするから、2時ぐらいには帰るわ、と言って時すでに4時半。せっかくブログを作ったんだし、ということで予想通りに最初のポストの一週間以内に2つ目のポストをせんと、読んだ本の感想をでっちあげることに決め込んでカタカタとやっていたわけだけど画像の適切な配置法がわからず、けっきょくなんだか気持ちのわるい場所に妙な格好でおさまるというところで妥協せざるをえなかった、というのが現実で、現実とは言っても突き付けられたというような類のソリッドなものではなくぼんやりと、朦朧としてきた頭で感じる茫洋とした、所在のない現実だった。好んで聞くドローンミュージックが頭上で流れている。ストーブが燃える音とだんだんと混ざり合って、時おり通る車の走行音と重なって、どれが音楽で、どれが音楽でないのかの区別が判然としなくなる。すべてが音楽になる。
明日は店は休みで、朝からあれこれをこなそう、と言っていたばかりだった。こうやって人を裏切っていく。自分の、本当に自分だけの満足のためにこうやって人を裏切っていく。どこかで歯止めを掛けなければいけないことはわかっていても、カタカタとし始めると世界はわりと音楽になるというか私だけの音楽になる。私だけの音楽はどれだけ時代が変わってもがぜん燦然と輝き続けるけれど、それでは私たちの音楽は、いったいどこかに存するのだろうか。そんなことを考えて書いた小説というかそんなことを考えたくて書いた小説の手直しもしなければいけない。なぜしなければいけないのか。今回は私一人の話しでなく、多忙の友人に編集をお願いしてあれやこれやとダメ出し等をしてもらっているからだ。それなのに私はそこに向かわず、こんなクソくだらない自己愛のかたまりのような場所でカタカタとまた文字を打ち続ける、キーボードを叩き続ける。打鍵の音が心地いいとか、バカなことばかり言ってないで、と窓を見たら薄汚いひげを生やした冴えない顔つきの男と目が合った。室内にいるなら帽子ぐらい脱いだらどうか。こんな時間まで、この男はいったい何をやっているのか。
book
2012年3月22日
廣瀬純『蜂起とともに愛がはじまる』を読んだ。
ここで愛の契機とされる蜂起とは、第一章において”いかなる「解」にも還元され得ない純然たる「問い」を生産する”こととされ、『週刊金曜日』に連載された短い文章を集めた第二章は螺旋を描きながらその結論へと向かっていく道程が記されている。私にとってはそこで描かれる絢爛たる固有名詞たちのダンスが刺激的で面白かった。
ゴダール、アントニオーニの非労働から『バートルビー』を召喚し、持続性から小津とベルクソンを並ばせ、タチの『プレイタイム』とベンヤミンが描き出すパリの姿を重ね、脱コード化の運動を誰よりも早く映画に導入した作家として山中貞雄を位置づけ、ストローブ=ユイレの『シチリア!』とその原作、あるいはオリヴェイラの『ブロンド少女は過激に美しく』とその原作を検討し、デリダとイーストウッドでテロリズムを捉え、カメラの位置を巡ってレヴィナスとゴダールを比較し、「風」を通して『ゴダール・ソシアリスム』とボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』を読み、青山真治の『東京公園』とレヴィナスの違いを明らかにする、その一連の手つきはとても華麗かつアクロバティックで、筆者の運動神経の良さ、保有するデータベースの多彩さに読んでいて目が眩んだ。
ただ、当然、解を得るのではなく問いを発し続けるというこの本にそれを求めても仕方がないということはわかってはいるものの、原発というどうしようもなく現実の問題について”「不安」は自己をそうした「主体」として見出す際の否定的な効果であるが、しかしそれゆえにまた、自己を過剰な力の横溢として積極的に肯定するための契機ともなり得る。六月十一日の反原発デモがとりわけ喜びに溢れたものだったとすれば、それはそこで我々の経験したことが「問題」の共有に基づく「反転された原発事故」としての主体たちの蜂起だったからに他ならない”あるいは”蜂起の悦びはそれが「起きている」ときに見出される。革命は喜びへのプロセスだが、蜂起はそれ自体で喜びのプロセスである。革命におけるすべての疲労は問題が解決されるときの喜びによって報われるが、蜂起においては問題を生き続けることによる疲労が喜びと一体化している”というような読み方で読むことに実際のところどんな意味があるのか、よくわからなかった。
「諦めて、跳べ(賭けを生きる)」と題されたロメールの『緑の光線』を論じる文章で、”ここで問題になっているのもまた、現勢的な次元においては「汚らわしい」ものとしてしか現象し得ない世界(ディストピア)を前にして、それでもなお「でもまあ、素晴らしいじゃない」と肯定してみせるだけの力、すなわち世界の潜勢力を信じ、それに賭けてみせるだけの力の獲得なのである”、あるいはタチとベンヤミンの文章にある”疎外とは否定的な契機にとどまるだけのものではけっしてなく、それどころかむしろ、労働に抗して「プレイタイム」すなわち「遊びの時間」を継続するための積極的な可能性でもあり得るということだ。(…)新たな現実をけっして否定しないこと、そこにポジティヴな力の萌芽を読み取ること―――ここからしか真に「思考」の名に値する振る舞いは始まらない、どんな反動的な振る舞いも思考とは関係がないということなのだ」といってこの現実をやむなく肯定してしまうことは、解を求めるのではなくただ問い続けることは、実際、この現実をどう変える力を持つのだろうか。私はここに引用した文章が好きで、聞こえはいいと思うし、何かいいことを言われているような気もするのだけれども、実際に、あまりに実際な実際に出くわしたとき、それらはどう意味を持つのか、私にはよくわからなかった。
ゴダールによるレヴィナス批判が面白かった。ちょうどレヴィナス特集の『現代思想』を一緒に買っていたところだったのでちょうどよかった。
「物事はつねに正面から撮影されるべきであり、正面からまっすぐ見ればこそリアルに把握できるといったことが、世間では信じられています。レヴィナスのような哲学者ですら、顔をきちんと見ればその人を殺したくなることなどあり得ないと考えています(…)。他者を理解するためには、カメラをその人の背後におき、彼の顔を見ないようにする必要があるのです。そしてまた、その人の話に耳を傾けている第三者を通じて、彼を理解するようにしなければならないのです。」
ゴダールからすれば、レヴィナスにはスクリーンが欠けているのだ。愛する作品をリアルに把握するためには、映写機から放たれる光の流れがスクリーンによって遮蔽され、そこにいくばくかの像が結ばれなければならない
他者のリアルは、相槌を打ったり返答したりすることでこの他者の発する言葉のフローを切断する第三者の一挙手一投足に、とりこぼしなく十全に映し出されるということだ。そして、繰り返すが、第三者による切断なしにはそもそも他者からのフローがリアルに流れることはいっさいないのだ
他者のリアルな把握とは、したがって、他者に幾ばくかのリアルを生産させることに他ならない。そしてリアルの生産のためには他者が第三者に接続されなければならない。(…)フェイス・トゥ・フェイスで対面している限り、互いに相手をリアルに把握することはできない。各々が第三者に接続され、双方で幾ばくかのリアルが生産されるときにこそ、相互理解は始まる
蜂起とともに愛がはじまる---思想/政治のための32章
text
2012年3月19日
幼児的な欲求というか、思い返せば小学生低学年、進研ゼミを始めたときにすべてのページを攻略してしまいたいがために本来ひと月かけてやるべきものを一晩でやろうとしてその結果両親が喧嘩した。その喧嘩は私の覚えている限りではほぼ唯一のもので、やらせればいいじゃないか派と夜更かしはいけない派で衝突して、見たことのない光景だったから私はおおいにおののいた。俺はなんてことをしでかしちまったんだと、やりたくてしかたのない進研ゼミを放棄して布団にもぐって後悔らしきものをしていた。あるいはこれもやはり小学生の低学年だったと思うけれど、パワプロ好きだった私は新しいバージョンが出れば即座に買うし新しいバージョンが出る情報をいつでも取ろうとファミ通等を読んでいたのだと思うけれど、買ったら何をするかといえば試合ではなく全選手の能力を記載したノートを作ることから始めるのだった。それはとても気持ちのいいことだった。
高校受験期、逃避と勉強を兼ねてエクセルで作った表に前置詞とその用例を網羅した表を作ること。高校時代、映画のノートを作成すること。大学時代、長年蓄積した映画ノートの内容をすべてブログに転記してみること。友人たちとレビューサイトをやるためにまったくわからないhtmlを使ってページを作成すること。サラリーマン時代、エクセルで過剰な商品のスペック表を作成すること。
そういった作業が私は大好きで、夜を徹して、あるいは食事も忘れて打ち込めるらしく、今回wordpressでデザインを作っていったのもまさにそれだった。久しぶりに何かにのめり込んでいるという感覚があり、店とかどうでもいいからとにかくPCに向かいたいんだ、という状態が始めた金曜から3日間続いてしまい、とは言え客商売なのでそれでお客さんが来たらそれはそれでちゃんとやるので特に支障はなかったのだけど、気持ちの部分ではとにもかくにも打ち込みたいんです、phpってなんのことかわからないですけど、という具合だった。
その状態は当然いいものではないから早く終わらせんと、ドメインもホストがどうのこうのもサーバーがなんなのかもわからない中で友人に相当に手を借りてどうにかこうにかこのページが走り始めたのだけど不安定というのか、何がどうなっているのかとにかくわからないのだけど現在も「Google Chrome では www.akttkc.com が見つかりませんでした」であったり「このドメインはお名前.comで取得されています。」であったりが表示されて「あれさっきまでちゃんとできてたのに」とお手上げの状態が続く。私にできるのはリロードを繰り返すことだけで、原理的なものをわかっていないから何かあったときまったく対処できない。
最近はなんだかあれこれあったような何もなかったような日々が続いていて、なんなのか、すごく気分が暗くなっているので今回のようなのめり込める系の何かというのは大きな救いだったわけで、それでわざわざドメインを取得して自分だけのブログを作っちゃおう、やっほー、みたいなところだし、予想としては向こう一週間のうちにもう一度ぐらいは更新をするんじゃないだろうか。そしてそれからはまたはてなで書いていたときのような月1回とか2回とか、そんなペースの更新になるんじゃないだろうか。大学時代、何かに取り憑かれていたとしか思えないけれどもわりとボリュームのある文章を毎日のように上げていて、あんなふうに活性化されたら指の運動にもなるしいいよなとも思うのだけど、まあそうはいかないだろう。指の運動は大事だと思っていて、たぶん指に関しては書けば書くだけもっと書けるという感じがする。ボリュームに関してであってクオリティとかそういったものはど返ししての話だけど。しかし本当にうんざりする。何が原因でどうなっているのかわからないというのはうんざりを著しく増進させる。
それとはまた別に最近は感情のコントロールがうまくできないような日々でイライラするとガラスを割る等の情景ばかりをイメージして、とても手が荒くなる。気持ちがとてもすさんでいる。とてもすさんでいるのだけど、この糞みたいな文章が明朝体の美しい文字に変わってシンプルなページに流れていくのを見られればたぶん一気に落ち着く。だけど今は意味わからないことになっているのでまたバカみたいにイライラしている。煙草が止まらない。いくつか嘘を書いた。
執拗なリロードの末、数十分ぶりにakttkc.comがあるべき形で姿を現した。テスト投稿で添付したジャン=ピエール・レオーの画像が表示されてとてもうれしい。御加護という言葉がぱっと浮かんでくる。恩寵でもいい。先日店の本棚から『重力と恩寵』を手にとっているお客さんがおられて、お連れの方はフォークナーの『熊』を取っていて、売ってくれと言われたが断固拒否した。それは好きな短篇集だった。書き込みがたくさんされているから、とてもじゃないけど人にあげることなどできなかった。それを公共の場に置いている自分の神経をどこまでも疑う。何を主張したいのか。どんな自分を知ってもらいたいのか。厚顔無恥にもほどがある。そして自分の名前のドメインを取るあたり、そんな厚顔無恥な自分が愛おしくて仕方がないのだろうということがよくわかる。クソくだらない。
現在は下巻に突入した『逆光』の箸休め的な感じで廣瀬純『蜂起とともに愛が始まる』を読み始めたところで、これは年長の友人が面白いと言っていて目次を見たら「フローは切断なしには流れない ゴダール/レヴィナス/パチョーリ』といった感じのが並んでいて面白そうだったから買った。題名も感傷的で好みだった。それにしてもピンチョンの感傷はなんなんだろうか、得体が知れない、と『逆光』を読みすすめるにつけ思うのだけど、全体を覆うバカバカしさよりももしかしたらよほど感傷の方がピンチョンの本当なのじゃないかと思い始めた。メソメソ泣きながら書いているんじゃないだろうか。
映画を見たい。映画の上映会をやりたい。映画について言葉をつむぎたい。このブログが始められさえすれば、それらが実現されると思っている短絡者がここにいる。作って、書き始めてみたが、やはり書きたいことなんて何ひとつなかった。
投稿しようと思ってちょっといじったりしているうちに再び「Google Chrome では www.akttkc.com が見つかりませんでした」になった。誰か助けてください。
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