1月、金沢、泉鏡花

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金沢では木津屋旅館という宿に泊まった。目の前を浅野川が流れた。一日の多くの時間を雪が降りしきる日だった。夕刻に宿に入り、東茶屋街を歩いた。ゴーシュというカフェに行くことが目当てだったが、不運にもこの夜は貸切営業とのことで引き返した。茶屋街は静かで、通りの両脇でぽつぽつと灯るあたたかい色のあかりが眼に心地よかった。まっすぐに宿に戻ることはせず、中の橋を渡っていった。川は勢いよく流れ、雪が照らされていた。私たちは傘を持っていなかった。愉快いな、愉快いな、お天気が悪くって外へ出て遊べなくっても可いや、と泉鏡花は明治30年、「化鳥」で書いた。笠を着て、蓑を着て、雨の降るなかをびしょびしょ濡れながら、橋の上を渡って行くのは猪だ、と。それは鏡花にとって初めての口語体小説とのことだった。高校二年の国語の授業で、ほとんど一学期すべてを費やしてこの小説を読むことがされた。そのときの国語の教師はずいぶんと灰汁の強い人で、生徒たちはその苗字のあとにイズムをつけた名称で彼を呼んでいた。私のイズムなんかではないんだ、と教師はいつか言った。私の考え方はフロイトと柳田国男の影響のもとにある、というようなことを言っていた。それがどんなものなのかは、どちらの著作も読んだことのない私にはいまだわからない。

教師は長い時間を掛けて、丹念にテキストを追っていった。私はその授業が大好きだった。結果、テストでは高い点を取り、一部でそのイズムを継承するものとして愉快がられた。私も愉快かった。三年生になり、選択授業としても彼の授業を取った。題材は村上春樹の『風の歌を聴け』だった。やはり愉快く授業を受けた。学期末のレポートはレオス・カラックスについて書いた。拙い、いま見返したら恥ずかしさで死にたくなるであろう10000字のテキスト。

 

金沢の夜、浅野川と中の橋が舞台になった鏡花の小説のタイトルは思い出せなかったが、茶屋街や主計町のあたりを高校二年の研修旅行で歩いていたであろうことは意識にのぼった。とは言え自身が経験した光景としてはまるで思い出せず、すべてが初めて遭遇する景色のように思えた。それでも、鏡花を読んでいて、何かそれに関する課題が出された研修であれば歩いていないわけがないのだろう、ということで、これは初めての風景ではないはずだと知っていた。しかし目に飛び込んでくるのは、どこを歩いても初めての風景だった。

今日、改めて気にかかり、青空文庫のアプリをわざわざ落とし、タイトルをずっと追っていくなかで「化鳥」に行き当たった。ちょうど十年ぶりぐらいに読んだその小説は恐るべきものだった。少年と母は一文橋と呼ばれていた橋で、橋の通行料を取ることで生計を立てていた。それが今でいう中の橋ということだった。ただしこれは天神橋ではないのかという別説もあるという。少年は、人間よりも花や獣のほうが美しいという。

人間がもっとも気高い生き物だという教師に、あなたよりも花の方がよっぽど美しいと言う。人の笑うのを見ると獣が大きな赤い口をあけたよと思っておもしろい。赤い口!と国語教師はいつもにんまり笑って喜んだ。で、何でも、おもしろくッて、おかしくッて、吹出さずには居られない、と言う。ただ、その秘密を知っているのは少年と母だけだった。人に踏まれたり、と唐突に記述に緊張が走り、言葉が奔流する。人に踏まれたり、蹴られたり、後足で砂をかけられたり、苛められて責まれて、煮湯を飲ませられて、砂を浴せられて、鞭うたれて、朝から晩まで泣通しで、咽喉がかれて、血を吐いて、消えてしまいそうになってる処を、人に高見で見物されて、おもしろがられて、笑われて、慰にされて、嬉しがられて、眼が血走って、髪が動いて、唇が破れた処で、口惜しい、口惜しい、口惜しい、畜生め、獣めと始終そう思って、五年も八年も経たなければ、ほんとうに分ることではない、覚えられることではないんだそうで、お亡んなすった、父様とこの母様とが聞いても身震がするような、そういう酷いめに、苦しい、痛い、苦しい、辛い、悲惨なめに逢って、そうしてようようお分りになったのを、すっかり私に教えて下すったので、私はただ母ちゃん母ちゃんてッて母様の肩をつかまえたり、膝にのっかったり、針箱の引出を交ぜかえしたり、物さしをまわしてみたり、裁縫の衣服を天窓から被ってみたり、叱られて遁げ出したりしていて、それでちゃんと教えて頂いて、それをば覚えて分ってから、何でも、鳥だの、獣だの、草だの、木だの、虫だの、蕈だのに人が見えるのだから、こんなおもしろい、結構なことはない。しかし私にこういういいことを教えて下すった母様は、とそう思う時は鬱ぎました。これはちっともおもしろくなくって悲しかった、勿体ない、とそう思った。

十年ぶりに出くわしたこの文章を読み、なんなんだこれは、と戦慄を覚えた。目眩を起こさせるような文章だった。

 

カラフルで、書き手の立ち位置がセンテンスの中でさえ頻りに変わっていくような、こう言ってよければとてもドープでグルーヴィな文章だった。「グルーヴィ」、ピンチョンは『LAヴァイス』のなかで何度もこの言葉を登場人物に言わせている。「俺、ゾームやってるんだ」「グルーヴィ」「建設業で、ゾームの設計と建築が専門なのよ。ゾームってのはアリゾナ多面体ドームの略。バッキー・フラー以来の、建築界最大の進歩だ。見せてやろうか」そう言うのはリッグス・ウォーブリング。スローン・ウルフマンの仕事上のパートナーであり、おそらく愛人であろうやたらにガタイのいい男だった。また、合いの手として「グルーヴィ」と言ったかのような引用をしたが、それは捏造されたものだった。実際には「えっと、今なんて?」という言葉が挟まれている。それはともかく、彼はどこからともなく方眼紙を持ってきて、数字やギリシャ文字っぽいものを使いながら図案をひき始めた。そしてやがて「ベクトル空間」や「対象群」について滔々と語り出した。ドックの脳内で歓迎できない何かがデキモノのように膨れていったが、図形自体は、見た感じ、ヒップだった。「ゾームは瞑想空間としても最適でさ」とリッグスが続ける、と続けられた。いま私はそのゾームの中にいて、瞑想に似た眠りのなかに吸い込まれそうになっている。つまみを回し、もっとも高い温度に設定した。

 

そうしているうちに、こうやって打鍵しているうちに、眠気が一切合財を持っていこうとする。「廉」と呼ばれる少年の振る舞いを見ていると、『ポーラX』において、路上で殴打されて死んだ少女のことが思い出された。まだ幼いその少女は通り過ぎる人を見ながら「豚」「売女」みたいなことを言っていた。誰にでもそう言っていたわけではなく、それは選別の作業だった。鮟鱇にしては少し顔がそぐわないから何にしよう、と少年は、でっぷり太った紳士を前にして考えを巡らす。何に肖ているだろう、この赤い鼻の高いのに、さきの方が少し垂れさがって、上唇におっかぶさってる工合といったらない、魚よりも獣よりもむしろ鳥の嘴によく肖ている。雀か、山雀か、そうでもない。それでもないト考えて七面鳥に思いあたった時、なまぬるい音調で、「馬鹿め。」と言われてしまう。貧乏な家族、死との遭遇、めくるめくトリップ。羽の生えたうつくしい姉さん。その正体は「芸能人格付けチェック」に出ていたアナウンサーだったのかもしれないし、もしかしたらシャスタ・フェイ・ヘップワーズだったのかも、あるいはカテリーナ・ゴルベワだったのかもしれない。そうじゃない、と言い切ることは誰にもできない。

 

1月3日未明、12月31日の同じ時間帯に起きたのと同じ通信障害がauで発生した。31日の夜はインターネットの情報だけを頼りにアブストラクトなトーキョーシティを彷徨っていた私にとって致命傷となった。どこに行けばいいのか皆目見当のつかない状況に陥り、ハブでギネスを一杯飲んだあと、ネットカフェであるところのバグースに泊まることになった。3日の未明、栃木県北部のこの町にある唯一のゾームに滞在していた私は、インターネットの利用ができないことによりゾーム内の電源を切るのを忘れた。明け方、火があがった。乾燥した空気と、ちょうど家並みの続く南方向への風の不幸な組み合わせにより、町は火にのみこまれた。シブヤは炎上するか?かつて向井秀徳は聴衆に、あるいは自身に問うた。この火が南へ南へと下り、シブヤを含めすべての町を焼き尽くすのも時間の問題のように思われた。


2012年、2013年

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年末の一週間ほどのあいだで岡山、金沢、東京、埼玉、栃木の土地を移動しているが寒さに関しては存外、どこが一番ということがないような感覚でいる。玄関のドアのガラスが真っ白になっていたけれど、煙草を吸いに外に出てみればそれほど、耐えられないほど寒いということもない。岡山の夜とそう変わらない。まだ2012年で、両親はすでに眠っている。

 
彼女は細い路地を抜け、裏の階段をのぼってやってきた。昔と同じように。ドックは一年以上彼女の姿を見ていない。というか誰も彼女を見ていない。あの頃の彼女はサンダル履きで、花柄のビキニのボトムに色あせたカントリー・ジョー&ザ・フィッシュのTシャツをひっかけていた。それが今夜はフラットランドの堅物ルック、髪もバッサリ短く切って、あんなふうには絶対にならない、といっていた格好そのまんまだ、と書き出されるトマス・ピンチョンの『LAヴァイス』を31日、田舎の栃木に向かう電車の中で読み始めた。本当はピンチョンを読むのはもっと先延ばしにしたくて東京でいくつか本を買っていたのだけど、けっきょく読み始めてしまった。どうせどうしようもなく面白いのだろう。

 
松岡正剛の『松丸本舗主義』を先日読んでから書店の本棚の作り方に興味が湧いて、金沢ではオシャレな古書店に行った。そう強いこだわりは感じられず、もともと知っていて欲しいものがあれば買う、という以外の見方はできなかった。さらに彼女が「何かワクワクドキドキするたぐいの小説はありますか」と店員の方に尋ねたところ、多すぎて答えられない、と応じるに留まったことに驚いた。趣味趣向の違いなどここでは顧慮されなくていい話だし、極めて個人的な灰汁を出してくれたらよかったのに、それがないというのは、とても残念だった。

そういう意味では翌日に行った蔦屋書店では少しうれしいこともあって、金沢からの高速バスで渋谷に着いたのは5時40分だった。渋谷の町には、それでも少なくない人がいた。お疲れ様でした、というふうだった。もう電車は動いていたのでとりあえず代官山に移動していくらか早朝の散歩をおこなったのち、開店時間の7時に蔦屋書店に入った。私はほとんどの時間を文学コーナーで過ごした。どんな本があるかと同時に、どんな本はないのかも、本屋好きの人に対しての重要なメッセージなのです、と文学コーナーコンシェルジュの間室道子は言う。どんなに売れているものであっても、それに合致しないものは、ここには置かれません、と。それを事前に読んでいたがゆえか、なんだ、こんな本があるじゃないか、なんだこんなもの、という落胆とも諦めともつかない気持ちになりながらも、ずっと面白い小説は、今読んで楽しい小説はないだろうかと棚を眺め続けていた。結果、佐々木敦の『批評時空間』を買った。けっきょくここで買わなくてもどこかで買っていたであろう本だった。ただ、それをレジに持っていったときに、「研修中」という名札をつけた店員の方がこの書籍の作りについて、佐々木敦と吉増剛造について話してきてそれが愉快だった。どうせならこの人に何かおすすめを聞けばよかった、と思わせるだけで書店員として価値があることだろうと感じた。我々はあまりにも、棚に本を並べてレジを打ってカバーをつけてくれるだけの書店員に慣れすぎている。いま『松丸本舗主義』が手元にないので正確な引用ができないが、娘が嫁ぐので数冊見繕ってください、という客のことがどこかに書かれていた。本屋でこれまで、見繕うという動詞は使われてきただろうか。私は見繕ってくれうる場所を知りたい。

その日の午後には下北沢のB&Bに行った。ビールが飲める本屋ということだったけれど、入ってみたらここでビールを飲みたいような気持ちにはなかなかなれないかもなと思い、じっさい飲まなかった。ただ、本棚は面白く、時間を掛けて眺めたあと、何か往年のハリウッド女優の名前が配されたタイトルのラテンアメリカ小説と、脳か何かについての何かの本を買った。タイトル等、手元にない今まったく思い出せない、ということはいいことだと思う。固有名詞から引き離されて、ただ本棚を見ているうちに「知らんけどこれ面白そう」となったから買う、というのこそが目指される場所であるはずで、だからこれはいいことだ。理想とまではまったく思わなかったけれど、B&Bはわりと面白かった。

 
批評は表現ではない。だが批評は創造と呼ばれ得る可能性と権利を有している。そうでなくてはならない。それを目指さずして、何がゆえの批評か、と今日の電車で読み終えた『批評時空間』のあとがきにある。アプリファイ。「世界」と「人間」との相関を増幅すること。批評の使命とはこれである。そうでなくてはならない。そこまでせずして、何が批評か、とも。佐々木敦の批評はとても丁寧でいい。クリシェの皮をめくって、その下に何があるだろう、その次もめくってやろう、そんな意志を感じる。私の読み方や見方なんて、本当に思考停止でしかない、ということがよくわかる。突き付けられる。だからといって、じゃあ、という感じに思考を駆動させようと努力するわけでもないから困るのだが、東京についた28日から30日にかけて、『Playback』(三宅唱)、『マルタ』『マリア・ブラウンの結婚』『ローラ』(ライナー・ヴェルナー・ファスビンダー)、そして『アンストッパブル』(トニー・スコット)と、充実した映画鑑賞をおこなうことができた。いずれも本当に面白く、かっこうよかった。

 

今2013年になった。J Dillaの『Donuts』を聞きながら年をまたいだ。回帰と反復は異なる、と佐々木敦は書いた。当然のことだが。そこから始めよう、と。そして思い出すことと夢見ることは、実のところほとんど同じものなのではないか?と綴り、そして夢見ることと仮想することが、ほとんど同じものであることは言うまでもない、というフレーズで稿を閉じた。

 

ファスビンダーの3本はいずれも初見で、どの作品のどれが、とはうまく名状できないのだけど、どれも本当に面白かった。特に、というのも特にはないほどにどれもよかったのだけど、『マリア・ブラウン』の冒頭はかっこうよすぎた。ヒトラーのポスターが貼られた壁が壊れ、その奥で結婚式が執り行われている。銃声が続く。それなりの大きさの爆弾が落とされたのか、教会にいた人々が逃げてくる。ウェディングドレスの花嫁と軍服の花婿も窓から飛び降りる。書類が宙を舞う。逃げようとする司祭らしき人物を捕まえて、いいから結婚証明書に署名をしてくれ、判をついてくれ、と迫る。危機も迫る。三人は突っ伏す。大きな音が鳴り、建物の一部が崩れる。ものすごいテンションのシークエンスショットで、たまらないことになりそうだという予感から口から笑みがこぼれた。一方、『Playback』は何かいちいちに涙腺が刺激され、特に高校時代のシーンでは多くの涙がこぼれた。渋川清彦の底なしの明るさがそのきっかけだった。取り返しのつかなさが、彼のスマイルによって強く意識されたらしかった。渋谷の夜は、かつて大学時代に歩いていたときと変わらずどんな時間でも躁状態の震えを帯びていた。人々は酔っ払ってか、あるいは酔っ払ったかのように、大きな声で話し、笑っていた。

孤独を感じることはなかったが、あの時間に戻ることはできないのだということはずっと感じた。何人かの友だちと会って話した。どの時間も楽しく、話し足りないと思いながら別れた。楽しい時間において、話し足りることなんてないのかもしれない。映画を見足りることもやはりないだろう。『アンストッパブル』のエンドクレジットが流れていくのを眺めながら、トニー・スコットのフィルモグラフィがこれで終わるなんて、信じたくなかった。ぜんぜん足りなかった。90分のあいだ画面を満たし続ける緊張感、耳をつんざく列車の轟音、他人のために命を賭す人々の姿、そして歓喜。ただひたすらに歓喜する人々。デンゼル・ワシントンのガッツポーズ。ぜんぶ、最高にかっこよかった。身も蓋もない、こんな感想でオッケーなんじゃないか。最高にかっこよかった。もっともっと、トニー・スコットの新作を見たかった。いや、やっぱり、一年の最後をこの最高の映画で締めくくれたことは本当によかった。それを感謝したい。覚悟、そして実践。

 


12月、土星の環

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12月に出来たばかりのそのスタバに行ったのは今日で二度目で、コーヒーを手にカウンターの席につくと私はイヤホンを耳に入れ、大きな音でSIMI LABの『Page 1 : ANATOMY OF INSANE』を聞きながらゼーバルトの『土星の環』を開き、ロウストフトを眼にしたとたんに、その寂れように打たれたのだった、という箇所を読んだわけではなかった。それはスタバの前にいた病院の待合室で読まれた。かつて賑やかに栄えたイギリス東端の町ロウストフトを15年振りに訪れたときのことが書かれている。『土星の環』を買ったのは2008年の1月で、その日わたしは有楽町にいたらしい。有楽町にどんな用事があったのか、まるで覚えがない。その日の記録を読んでみると、頭は割れるように痛いというよりは鉄製の棒が脳天からだいたい胸らへんまで貫かれているような感じで痛くて、と書かれている。私は続ける。や、胸らへんというよりは喉らへんまでで、喉らへんまで棒が来てるためその先の胸らへんも影響されて狭くなって苦しいみたいな感じで、いや、棒が貫かれているというよりは顔の表側の形に沿ったような鉄板か何かが仮面みたいな感じで、だけど外側じゃなくて皮膚の裏側にペターとさしこまれているみたいで、その鉄板は首らへんまでの大きさなので胸らへんまで影響されて苦しいみたいな感じで、それで顔型の鉄板なので目のすぐそばとかも通っているため眼窩っていうんだっけか目の裏側とかもズーンて痛いし、まあそれに吐き気めいたものがするのも顔型鉄板が何せ喉まで行ってるから狭いからっていうことで、説明がつく。

この文章がどのような呼吸で書かれたのかを私はもう覚えていない。その日は有楽町で本を買い、高校時代の友人とおそらく新宿で飲んだらしい。酒に弱い私はビール2杯で十分に酔っ払って、小田急線に乗って湘南台へ帰りながら、その日に買った『土星の環』を開いた。ゼーバルトは続ける。なんとなれば、高失業率地域といった記事を新聞で読むことと、どんよりした日暮れどきにグロテスクな前庭と殺伐たる外構えの家々が長く連なる道を抜けていって、ようやく着いた中心街でゲームセンターやビンゴホール、賭博場、貸しビデオ屋、戸口の暗がりからビールの饐えた臭いが漂ってくるパブ、安物売の商店、あるいは名前も「海の夜明け」「浜の大波」「バルモラル城」「アルビオン」「レイラ・ロレイン」といった怪しげな朝食付の宿屋にしか出くわさないということは大違いだからである、と。

ゼーバルトはその日、二十世紀初頭には「渚の高級ホテル」と旅行案内書に記されていたというホテルに泊まった。1992年のことだ。それを2008年の1月に読み、2012年の12月、ほぼ5年たっている今日ふたたび読んだ。そのホテルのどうしようもないさびれ方、ホテルの大きな食堂で食べる食事のひどさ、たった一人の従業員である若い女の暗鬱さははっきりと、と言い切ってしまうにはおぼろげながらも、印象としてはかなり明確に覚えていた。ロウストフトの町をゼーバルトが歩き始めた時には、そのあとに描かれるホテルの印象が立ち上がってきて、その情景は、私の心を少しだけ塞ぐ方向に作用する。

わびしさのたぐいに対する免疫を、私はいまだにつけられずにいる。タルタルソースはプラスチックの小袋から絞りださなければならず、灰色のパン屑とあわさってどす黒い色を呈し、魚、であるはずのものは、濃緑色のグリンピースと脂ぎったチップスの間で見るもぐしゃぐしゃになっていた、とゼーバルトは食事の様子を記した。ホテルの仕事一切をひとりでこなしているのか、例の狼狽えたような若い女性がしだいに濃さを増していく奥手の闇から小走りにやってきて、皿を片付けた。それは私がナイフとフォークを置いてすぐのことだったろうか、それとも一時間もあとだったろうか。またたく間に巷間で最上級の評価を得、高級海水浴場に求められる施設の一切を備えるようになった、とやはり案内書に記されるロウストフトに当時の面影はいささかもなく、そこらじゅうにシャッターのおろされた店が連なる。歩いているだけでゼーバルトはいささか気が滅入ってくるだろう。

それらを病院の待合室で読んだ私はそのあと、自転車を走らせてできたばかりのスタバに行き、かなり騒々しい店内の音を封じるために大きな音でヒップホップを聞きながら、4時間ものあいだずっと伝票の入力作業をおこなっていた。この夜、私は早上がりで、彼女とアルバイトの方が店を回していた。12月になり、これまでのせわしさが一気に消えた。凪のときのように、時間がいっぺんに止まったような感覚になる。それでも、週に1回は取らせてもらっている早上がりの習慣はやめずに、スタバなり、近くのカフェなり、そういったところで数時間を過ごしている。11月の伝票をエクセルに入力し続けた。テンキーを忘れてしまったのでiPhoneにnumPadというテンキーアプリを急遽入れ、wifiでMacと連携させて入力をしていた。さながら、嫌味ったらしいマカーといった様子であるが、いずれにせよ、iPhoneを用いての入力は手強い作業となり、物理キーの速さ、確かさがよりいっそう実感された。11月が忙しかったことが数字のうえでもよくわかり、それが今月の凋落を見るにつけ、際立つのだった。一日あたりの売上平均は半分ほどになるだろうか。12月の伝票はまだ入れていないので正確なことはわからないが、感覚としてはそういうところだった。春になって売上が回復したという今年の実績から、今度もそうなるだろうと半ばは思っているが、実際はどうなることなのかわからず、迎えてみればロウストフトの町のようにさびれ、静かに朽ちていくことだってありうるのだ。

幼年時代にロウストフトの町に暮らしたフレデリック・ファラーは最後、焼身自殺を図った。晩年のことだ。丹精に手入れされた庭の、黒葉菫の群落の中に横たわっている姿を庭手伝いの少年が発見した。三人の美しい姉の名は、それぞれrose, iris,そしてviolaだった。慈善舞踏会の晩、むろん入場を許されるはずもない庶民たちが、とフレデリック・ファラーはゼーバルトに語った。百艘はくだらぬ小舟や艀に乗って埠頭の突端まで漕ぎだしていったのだと。そして波にたゆたいときには流れゆくその見物席から、上流階級の人々がオーケストラの音にあわせてくるりくるりと回るさまを、光を浴びて、初秋の霧に覆われた暗い海面の上にあたかも浮き上がっているかに見えるさまを眺めたのだった、と。頭に思い描くにつけ、なんと美しいのだろうかと思わずにはいられないその光景も、その何十年もあとの、使われることなく舫いつづけるだけのボートが何艘も並ぶ埠頭を思えば、複雑な思いを与えるだろう。私は11時過ぎにスタバを出、自転車にふたたびまたがり店へ向かった。夕暮れ時には心地よい冷たさであった空気はいまではまったく強烈な寒気となって私を襲い、川を挟んで向こうに見える私たちの店はオレンジ色の光をまとい、その光のいくぶんかを川面に落としていたのだった。のんきな顔をして利用していたそのスタバが、それなりの近隣であり、同業であり、競合であったのだと、気づいたのは夜もずっと更けてからのことだった。

 

W.G.ゼーバルト/土星の環

SIMI LAB/Page 1 : ANATOMY OF INSANE


12月、わたしたちの宣戦布告、無分別、空襲と文学

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おれの精神は正常ではない、と書かれた文章にわたしは黄色いマーカーで線を引き、手帳に書き写しさえした、と書かれた文章にわたしは黒いボールペンで線を引き、ページの端を折りさえした、とわたしに書き始めさせた文章はオラシオ・カステジャーノス・モヤの『無分別』でありそれは今日読み終えられ、並行して読んでいた、というか先に読み始められ、残り4分の1ほどになった昨夜からモヤが読み始められ、まずモヤが読み終えられ、W・G・ゼーバルトの『空襲と文学』もまた本日読み終えられることになったのだけど第二次世界大戦の末期にドイツの諸都市が蒙った破壊の規模がどれほどであったか、たとえ中途半端にせよ、今日これを思い描くことは難しい、と書かれた文章にわたしはやはり黒いボールペンで線を引き、ページの端を折りさえし、折られた箇所はたとえば当時のドイツにおけるほど、知りたくないことを忘れる人間の能力、眼前のものを見ずにすます能力が端的に確かめられた例は稀有であったろう。人々は、当初まずは衝撃のあまり、あたかもなにごともなかったようにふるまうことに決めたのだ。ハルバーシュタット市空襲についてのクルーゲの報告は、映画館に勤めていたシュラーダーという女性の話ではじまる、と書かれたページであり、ページをまたいでこう続けられる。爆弾が落ちたあと、彼女はすぐさま防空壕にあったシャベルを持ち出し、「十四時の上映までに瓦礫を片付けよう」とした。地下室では人間の肉体がばらばらになって煮えていたが、それらはとりあえず洗濯室の煮沸釜にぶちこむことで始末した。その甲斐もあって、とクルーゲは記す。十六時四十分の回のヴァレリー・ドンゼッリ『わたしたちの宣戦布告』は無事に上映された。観客は私たち二人を含めて三人しかいなかったが、私はそこに映される様々にいちいち感動し、動揺し、涙することになった。

監督であり主演女優であるヴァレリー・ドンゼッリが病院の廊下を全力疾走する姿を、やはり全力疾走で追ったらしくグラグラに揺れるカメラが捉え、女は最後には倒れることになるだろう。そこで流れる音楽が誰のものなのか、それを私は知らないでいるけれど、無責任とも放埒とも言えるようなその演出に、何か虚を突かれたらしく大いに打たれることになった。手帳にはそう書かれており、さらに小さなほとんど解読不能とも言えるような不恰好な文字でこう続けられる。そこで扱われるテーマの重さ、取り返しのつかなさ、手のほどこしようのなさとはうらはらの自由をこの映画は獲得しており、顕微鏡で見た細胞らしいどす黒かったり極彩色だったりする映像の挿入や、一気に時間を進めていく音楽やナレーションの使用等もその強引さが心地よかったのだが、やはりクライマックスは息子の病気を医師に告げられ、先の全力疾走のあとに訪れるタクシーのシーンだろう。後部座席に座る女。その顔の横の窓に、いま急行列車で女の元に急いでいる夫の顔がオーバーラップで映し出される。男が歌い出す。呼応して女も歌い出す。これはなんという自由だろうか。ジャック・ドゥミよりはジャン・ヴィゴの『アタラント号』を思い出し、それとともにラリユー兄弟の『運命のつくりかた』を思い出すことになった。私は本当にうれしかった。子供のことが気になっていたのでうれしいどころの気分ではなかったし、手術直後の医師と対面したときには、早く結果を教えてくれと、本当に、バカみたいなことに緊張しながら彼の言葉を待ったほどだった。

そのあとの、悪性であると告げられ、でも強くなろうと、家族や親しい友人たちに勝訴の旨を告げ、一同歓喜。あの場面を見る私たちの胸はどんなに痛かっただろうか。乱痴気騒ぎが繰り広げられ、おれの精神は正常ではない、と書かれた文章にはまた、夢はいつもそこにある、今も、とわたしは繰り返した。とも書かれており、さらには、その音の響きのよさと、時間の首をひねる副詞の使用によって、その瞬間を解き放つことなく永遠に向かって開く完璧な構造で、大司教邸で仕事をするわたしの午後を輝かせたその見事な文章を、と続く。グァテマラのマヤ民族の大量虐殺の報告書の校正を任されたジャーナリストの一人称で語られるこの小説は次第にパラノイアに侵食されていくのだけど、わたしが信頼の置けない語り手だとして、どこまでは信頼して、どこからを疑うべきだろうか。わたしに何かしら危害が加わりそうな局面だけを疑い、それ以外のことについてはそのまま鵜呑みにしてもいいのだろうか。危険だって、本当に及んでいたかもしれない。なぜなら彼女は集団移送でハンブルク郊外の湿地帯モールヴァイデに逃れた、と書かれているからだ。ゼーバルトは彼に送られてきた手紙から引用する。ゼーバルトに手紙を書いた男性の母親の体験談で、外では何百人が、なかにはわたしの母もいたのであるが、ピネルベルクの集団疎開所に移送してもらうためにトラックを待っていた。トラックまでたどりつくのに死体の山を乗り越えていかなければならなかった。完全にばらばらになった死体もあり、つい先刻まであった耐爆防空壕の残骸といっしょに、緑地にごろごろ転がっていた。その光景を目の当たりにして、たくさんの人々が耐え切れずに嘔吐した。屍を踏んで行きながら嘔吐した者も多かった。へなへなと崩れ落ち、失神する者もいた。母はそう語った。と男性は書いた、とゼーバルトは引用した。事実その男は、その国の軍隊の兵士たちが、あざけるように小さな四人の子供たちをひとりひとり山刀でずたずたに切り刻み、つづいてその妻に、兵士たちが小さな子供たちをぴくぴく動く人間の肉の切れ端に変えてしまう様子を否応なく見せつけられ、すでに動転してしまっていた哀れな妻に襲いかかるのを、傷つき、なす術もなく見ていたのだ。子供は病院をあとにすると、二人の親とともに再び海に出た。初めて海を見たときの記憶は彼にはなかった。医師の言葉を信じるならば、あれからすでに五年以上が経過していた。

少年と呼ぶに足る年齢に達したアダムは、濡れた砂浜を遠慮なく踏み、水をはじき、ロメオとジュリエットは彼のうしろを続いた。ロメオが両手を差し出すとアダムは駆け寄り、飛びこみ、ロメオにかかえられて宙を回転した。その回転運動はかつて両親が息抜きにいった遊園地で乗ったアトラクションのそれと同じであり、異なるのは回されるのが親ではなく子になったことだった。その光景が美しいスローモーションで映しだされ、とうとう、アントワーヌ・ドワネルは家族とともに海に出ることができた、ということではなかったか。アントワーヌ・ドワネルはとうとう、一人でなく家族とともに医師のインタビューを受けた、ということではなかったか。私の友人であるTは『わたしたちの宣戦布告』という映画は、この2012年現在に、生まれ変わってトリュフォーが再びあらわれ、映画を撮ってしまったといっても大げさではない、ヌーヴェルヴァーグ愛に満ちた凄まじいまでの傑作である。まるで、ブレッソンのような赤と青の対照的な色彩、ゴダールのようなカッティング、ドゥミのようなテンポとミュージカル性。僕たちが愛してやまなかったヌーヴェルヴァーグ映画群にまたひとつ奇跡のような映画が生まれた、と書いた。Tが続けて気がついたときにはジャン・ピエール=レオーにしか見えなくなると書いたジェレミー・エルカイム、ヴァレリー・ドンゼッリの元パートナーであり主演男優でもあり共同脚本の執筆者でもあるジェレミー・エルカイムはあるインタビューにおいて、彼女には、熟考されたレフェランスだとか、他のシネアストへの目配せとしてのレフェランスはないんだ。まったく意識的なものではない、と言いながら、続けて、ほとんど矛盾する発言のようにも思えるのだけど、チャップリンの『モダン・タイムス』を考えていた、と言う。Tはまた、私にこう言った。この映画はplaybackとともに今年もっともみるべき映画、と。エルカイムが応じる。観客に背中を向けて、彼らは新しい人生の方へ、別の方角へと進んでいくんだ。その結果としての爆撃であり、虐殺であった。宣戦布告の有無は別として、私の読書は意図せずしてともに白水社からの刊行であり、ともにジェノサイドと記憶を扱ったものとなった。一方は欧州ドイツの。一方は中米グァテマラの。証言の大半において通常の言語が損なわれた様子もなく機能し続けていることによって、そこに述べられている体験の真正さは疑わしくなる。だれも彼も恐怖のあまり怯えきっている。きみがここにいなかったことをありがたく思え。

 

W.G.ゼーバルト/空襲と文学

オラシオ・カステジャーノス・モヤ/無分別

ヴァレリー・ドンゼッリ interview | nobodymag

『わたしたちの宣戦布告』(ヴァレリー・ドンゼッリ) | For Man and a Prayer


11月、boomkat、ソローキン

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昨日からboomkatという音楽ダウンロードサイト(?)を使い始めたのだけどこれがとても楽しくて、たくさん買ってしまいそうな懸念がある。アルバムがだいたい一律で6.99ドルで、アンダーグラウンドミュージックのスペシャリストですみたいな謳い文句の通りにノイズとかドローンとか聞きたいものがたくさん見つかるし知れるのでとても楽しい。昨日は灰野敬二とジム・オルークとオーレン・アンバーチのスーパーデラックスでのライブ音源を買い、今日はEl Fog『Rebuilding Vibes』とVladislav Delay『vantaa』を買った。買ってすぐiPhoneに移して喫茶店でVladislav Delayを聞きながらコーヒーを飲むようなことを行なっていたのだけど、重層的で分厚い音響とどれだけ大音量にしても耳に痛くない柔らかく奥で鳴るビートが心地よさというよりはなんというかもはや、なんだかもうとてもすごくて、全部を持っていかれるというか、全部を包み込まれるというか、包み込まれながら遠くのどこかに意識をぶっ飛ばしてくれる感じが凄まじく、世界が暴力でできているとするならば、この作品はその暴力の世界の鄙びたところにある泥沼のようにあたたかかった。私は、もはや言葉や感情のない場所で暮らしたかった。

 

そう言いながら今はちびちびと、本当はどんどこと読みたいところなのだけど集中力や時間の配分のまずさによってちびちびとウラジーミル・ソローキンの『青い脂』を読んでいるところで、当初は頭のいかれたジャン・コクトー『ジャン・マレーへの手紙』のような感じだと思っていたのだけど転調し、節々にレーモン・ルーセルの『アフリカの印象』のような、どうやったらそんな情景が出てくるんだろうという奇想の場面が眼前に現れ、それが面白くて仕方がない。何時間も何時間もニエットと歌い続けた挙句射殺とか、松明で作る人文字の軍団が川を流れてコンマが大変なことになるとか、肩い掛けたりしないと運べないようなどでかい性器を持った童子とか、潜水服を着て水に沈んで糞便で溢れているボリショイ劇場で鑑賞するオペラとか、まったく意味がわからない。

今のところ主人公はあくまでも青い脂らしく、そこを中心に語られる人物がどんどんと、すごい勢いで入れ替わっていく様子が楽しい。

 

一方で私はもはや機能不全を起こしたのか、日常を心地よく生きることすらままならぬような精神状況で日々をやり過ごしているところで今は2本目のビールを飲みながら、少しずつ眠くなりながら今は4時、明日は店休み、どうでもいいと、全部が、もはや全部が、嘘だけど全部が、どうにでもなれと、人はこれを贅沢と呼ぶのかもしれないけれどもその渦中にある人間にとっては苛烈な試練で耐えられませんでしたアウトという感じでうつむきながら、いらっしゃいませと、ありがとうございますと、ごきげんいかがですかと、それを口が発するのを馬鹿のような気分で聞きながら過ごす者であり、善人のような面をした人間の方については全員がその面の皮をはがして一度出直してみてはいかがだろうかと建設的な提案の一つもしたくなるものだけれども、私は常識人なので、すべての寸胴を逆さまにしてあれこれをダメにすることもなく、ただ、もうなんだかある程度多くのことがどうでもいいんじゃないだろうかと、そう思いながら過ごした。報いはいつ来る。救いはれっきとした大人のおもちゃであるところのiPhoneであり、いじくっているのが相変わらず楽しい。値段がどうこうというよりはDRMがついているというところでiTunesストアの利用についてどうだろうと思っていたところで、なんせ、こちらは旗艦であるMacと自分のiPhoneと彼女のiPhoneとiPodとあり、そう考えていると今ここでググればいいのかもしれないけれどもiTunesストアで買ったやつって3台とかでしか使えないという認識でいるから、何かを買ったときに入れられない領域が発生するような感じがあるような感じがして、だからあくまでもここはNO!DRM!を貫く所存であり、それゆえにDRMフリーなところでいろいろ買えるサイトを探していたのであった。それは国内のものであればオトトイとかになるのだろうし、海外のものであれば今のところそのアンダーグラウンドミュージックのスペシャリストであるらしいところのboomkatしか知らないのだけど、他にどういうものがあるのだろうか。いろいろなサイトを知りたいところであるけれども、英語が読めないので難儀する。

 

明日、休みなのでフィリップ・ガレルの『愛の残像』を見に行くだろう。先週あれを見た。タイトルが思い出せない。ググればいいのだろうけれどもこうやってこうやっていれば何か思い出すのかもしれないような気がして今はこうやってこうやっているのだけど思い出した。ちゃんと思い出すものだ。『灼熱の肌』を先週は見に行って、それがすこぶるよかったものだから、だから今度は『愛の残像』を見る。ルイ・ガレルをまた見られるというだけでも嬉しいことだし、シャブロルの『石の微笑』に出ていたなんだっけと思っていたらやっぱり思い出せたいややっぱり思い出せなかった。姓はスメットだったと思う。名は何だったか。ルーラだというような気がして「るーらすめっと」で変換をしたのだけどこれはgoogle日本語入力であり、私はわりとこれで固有名詞を打つときは確認の使い方もしていて、たとえばさっきウラジーミル・ソローキンといったけれど、これの打鍵内容は「うらじーみるそろーきん」であり、中黒点を自分では打たない。打たないで一気に変換したときにカタカナでかつ中黒点が出ればきっとこれで合っているんだろうと思って安心して、それで出なかったら、これは自分が何か間違っているはずだぞ、と思う。その例で言えば「るーらすめっと」は出て来なかった。スメット。そもそもスメットかどうかも確信が持てないが。スレッジかもしれない。ともかく『愛の残像』は『石の微笑』ローラ・スメット、ローラ・スメットだったか。なぜこしゃくにも、というかよくわからない弄り方でルーラとか言い出したのだろうか。素直にローラとすればよかったのだ。ローラ・スメット。そうローラ・スメットが出ているというから『愛の残像』には。彼女の『石の微笑』における演技というか表情を覚えている者ならば、見逃す手はどこにもないということが立ちどころにわかることであろう。4時17分。彼女の待つ家へ帰ろう。こんなくだらないことはやめて、さっさとビールを飲み干して、ちゃんと家に帰ろう。風呂に入らずに布団に潜り込もう。歯磨きさえ明日に回そう。


11月、iPhone5

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予約していたiPhone5を先日やっと受け取れて、それからは日々いろいろといじくって過ごしている。初めてのスマホが2年ちょっと前に買ったxperiaで、当初はよかったもののだんだんと当該機種はあれこれのアップデートに対応していませんみたいな扱いになっていって、動きもまたたくまに遅くなり、何をするにもストレスフルな状態で、最近では数時間触っていたら電池が切れるとか、なんかのタイミングで通信が途絶えて電源をいったん落とさないともとに戻らないとか、いろいろと不便であったので今回iPhone5にしてその動きのなめらかさ、ストレスのなさに大変な驚きを覚えた。スマホはこんな便利であったのかと今更ながら刮目させられた形で嬉々として様々なアプリを取りました。ただ、アンドロイドと比べた時に不便かなと思ったのは共有系の動きというのか言い方がよくわからないけれど要は見ているページをツイッターでつぶやくなりフェイスブックでシェアするなりエバーノートにクリップするなりはてブでブックマークするなりするところで、ブラウザはchromeを使っていて、ブックマークはおろか閲覧の履歴まで一瞬で同期されているのでさっきまでPCで見ていたものをiPhoneで続きを読むようなこともできるというのには感嘆しつつ、シェアボタンを押しても出てくるものはツイッター、フェイスブック、メール、グーグルプラスだけで、今までだったらできていたはてブとかあれやこれやができず、どうしたものかなと思った。ツイッター、フェイスブックそれぞれに流すことはできるけれど、はてブを使っていたのはツイッターとフェイスブック同時に流せる点が便利だったからであり、それができないのはやはり不便で、ではBufferを使ってみようかと、そうは思ってみたところでchromeからはできない。喫緊の課題です。

それと同時にPCでのウェブ閲覧時にもあとで読む系のサービスを使うべきだよなとこれまでも思っていたので旧read it laterであるPocketを使い始めて、それをiPhoneでも使ったら何かと便利だろうなと思ったので、これもアプリを取ったのだけど、でもiPhoneのchromeで読んでいるものをPocketに入れられないのでどうしたら、と思っていろいろと画策して、当初はものすごい面倒くさい工程をたどった。ごく最近Gunosyという情報収集系のサービスを使い始めて、それがメールで毎日来るようになっているのだけど、それを例にとって見るとこういう感じ。GmailアプリでGunosyからのメールを閲覧、気になった記事があったらクリック、それがメールアプリ上でブラウズされて、そこからサファリを開く、ブックマークからSleipnirで開く、あとで読むクリック。みたいなバカのような流れで、なんでサファリからさらに別のブラウザアプリを起動しなければいけないのかと、まったくもって不愉快な流れだったのだけど、どうやらこれはサファリでもchromeでも変わらないらしいけれどブックマークレットを登録しておけばいいということらしく、それでchromeにPocketへ流すブックマークレットを登録し事足りた。めでたかった。はてブももしかしたらこれと同じ要領でやればいいのかもしれない。

それにしても、いったい、なんのために共有というのかシェアというのか、そういったおこないを私はしたいのだろうか。そういうことを考えだすとアホらしくなる。これと同じくrssとかpaper.liとかgunosyとか、情報収集と私は言うけれど、いったい何のためにそんなことをしたいのだろうか。アホらしくなるから考えるのやめる。まあそれにしても、色々と便利だよね、というところで新しい遊具を楽しんで使っている。

 

以上の文章を縦書にしてみたとき、何が起こるだろうか、というところが問題で、短いアルファベットの並びであれば若干の違和を伴いつつも縦書の日本語の中でも読めるからいいとも思うけれども、カタカナにするという選択肢もあって、だけどそのとき、意味がかなりのところで漂白されてしまう。先日買ったdommuneから出ている(?)ele-king vol.7がドローン/ノイズのニューエイジという特集で興味があったので買ったのだけど、縦書のこの雑誌はアーティスト名や作品名をたぶんほぼ全部カタカナで表記していて、それがとても不便だった。こういう雑誌を読んで読んだ人たちがしたいことは、そこからとりあえずググってyoutubeなりsoundcloudなりで聞いてみて、それがよかったら買ってみようかなとか、そういう流れだと思うのだけど、カタカナで表記されてしまうとワンクッション動きが遅くなるところがあって、カタカナ検索、こういうアルファベットなのかと知る、コピー&ペ、再びググる、という感じで、なんだか間抜けだし、カタカナのアーティスト名や作品名はけっこう字面としても間抜けだと感じた。iPodが云々というあたりからずっと感じていることだけど、これほどまでに生活の中にアルファベット表記の何かしらが浸透してしまっている今、縦書がどれほどの必然性を持てるのだろうか。少なくとも上述のアプリがどうとか海外のアーティストがどうという文脈の話がされる場においては圧倒的に横書の方が適切なんじゃないだろうか。無理して、書籍だからと縦書になる必要性はないのではないか。

 

ノイズ。昨日、一日中暴力衝動。自分の脆さ、不安定さに辟易しつつ、すべての食べ物を撒き散らかしたい。すべての食器を割りたい、というたぐいの暴力衝動が腹の下あたりからのぼり続ける感じを一日中、本当に一日中感じていた。もっと徳を積まないといけない。先日見たAKB48のドキュメンタリー映画で、ほとんど初めて動く彼女たちの姿を見たというほどに何も知らない者なのだけど、だからこれもこの映画で初めて知った人物だけどたかみな、たかみなはあんなにがんばっていたのに、私はいったい何をしているんだろう、と思ったら悔しく、虚しくなった。すべてを殴打によって破損したかった。

 

夜、それが何かの解消にどれだけ役立つのかはまるでわからないながらも本を読もうというところで近くのカフェに行って本を読んでいた。アタリの『ノイズ』に引き続きなぜか、ドゥルーズ=ガタリの『千のプラトー』を読んで、まったくわけがわからないながらになんだか焚きつけられるものもあるような気もなんとなくしながら無駄に線を引きながら読んでいたのだけど、カフェという名の場所に行っておいてなんだけど人のざわめきがまったく受け付けられず、人の笑い声がまったく不愉快で、だからといってその場を離れて孤独に淫することもできない、まるで中途半端な気持ちで、その対処としてイヤホンをしてすべてを圧する音量でメルツバウを聞いていた。それはノイズの中に美しいヒョロヒョロとした線が走るようなライブ音源だったのだけど、それでもなお、耳の中に轟々と響いてくる爆音は、私が実行できない暴力を代替してくれるような気がして安らいだ。

 

極めて疲れた。土曜の夜は閉店後に夕飯を食い、そのままソファから一歩も動かずに朝の6時まで寝てしまい、日没で閉店の日曜は閉店時間までまるで一分のゆとりもないような日でやはり閉店後に昼飯を食い、そのままソファから一歩も動かずに2時間ほど寝た。今日は雨だったため予期できた通り暇で、あれこれの仕込みをしたり、溜まっていた伝票の入力作業をしたり、なんだかんだ、開店時間のあいだはゆとりらしいゆとりもなく一日が過ぎた。暇だったにも関わらず。ウラジーミル・ソローキンの『青い脂』を読んでいる。まったくわけがわからない。言語の学習の様相。昨日、前田司郎の戯曲の映画化で、自身が脚本として参加している、ということなのか、監督の名前は聞いたことがない名前だったのだけど、今Wikipediaで見たら石井聰互の別名というか改名したのかしら、石井岳龍の作品の『生きているものはいないのか』を見た。彼女が借りてきたやつで、特段見る気もしなかったし夜も遅かったのでソローキンちょっと読んで寝ようと思ったら、聞こえてきた会話の調子が面白かったのでどれどれと思って見ていたら随所で爆笑しながらけっきょく最後まで見ることになってしまった朝の4時過ぎ。前田司郎は『恋愛の解体と北区の滅亡』でしか知らず、五反田団の演劇は見たこともないのだけど、この映画も『恋愛の解体』に通じる感触があって、それは私にとってとても好ましい感触だった。ただ、あまり安易にそれを肯定し過ぎないようにもしたい。もっと他のことも考えなければいけない。なんの変哲もないキャンパスを使って、スパイ映画を撮るという、そういう方法、と『Playback』の三宅唱がインタビューで言っていたけれど、それも、安易に共感しないでもっと他のことを考えなければいけない。前田にも三宅にも、浅いところで共感してわかったような顔をしては何にもならない。私は私の、しかしいったい何が?


10月、作曲

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毎夜、今年も正確に秋が深まっていくことに、暦どおりにきっちりと事態が推移していっていることに驚きを禁じ得ない。なぜか、今年こそは寒くならないというような妙な確信にも似た感覚があるらしく、「あ、本当に寒くなってきている」とびっくりしている。認識と現実のあいだに変なギャップができているらしい。なんせ店で動いているときは半袖だし、短パンをはくことにだって躊躇はないし、裸足にサンダルだし、そう思って店を終えて外に出れば空気は冷たく、そろそろパーカーなりなんなりを着始めなければいけないのだと、頭ではわかっていてもカーディガンを羽織ることで、あるいはレギンスをはくことで精一杯で、いちど風邪を引いてみないことにはモードを変えることはできないのかもしれない。

そう言っているあいだに昨日の暇と今日の夜でアタリの『ノイズ』を読み終えた。何が語られていたのか、まるで理解も追いつかないで最後は早足で読むといういつも通りの怠惰な読書だったのだけど、終章で素描される未来の姿は、感触として、まさにアタリが書いたことがいま現実に起きているんじゃないかという、高揚とも違うけれども、「わ」という感じで読んだ。高揚しているのはむしろアタリの筆致で、かなりのハイテンションでグサグサと、素晴らしく立ち姿のいい言葉がそこここに落とされていて、よく意味はわからないけれどもフランスなので「エクリチュール」と思いながら読んだ。そこには希望らしきものが語られていた。音楽を取り戻す、明るい見取り図があったような気がした。ときおり「そうだ!よくぞ言ってくれた!」と思いはせずとも自分が何に同調しているのかわからない同調を覚えながら読んだ。シュプレヒコール。なんで今この言葉が出てきたのかわからない。

1977年、2012年、youtube、ニコニコ動画、ボーカロイド、不完全で不恰好な音楽たち、断片。誰か、『ノイズ』を書き継いでくれはしないだろうか。

 

言葉が窓の外の川のうえに広がる闇の中に溶けていく。掴まえていたと思っていたあれこれの思惑が雲散し霧消していく。夢のしっぽをかつて正確な手つきで放さないでいたはずのその手が、今では包丁を握ること、フライパンを振ること、金を数えることにしか使えなくなっていく。

 

明日は休みで、アンゲロプロス追悼特集上映の最終、『永遠と一日』を見に行くはずだった。しかし私はきっといかないだろう。もはや、面倒くさくなってしまった。今はただ静かに、『野生の探偵たち』のページを少しずつ繰ることを選ぶだろう。あるいは眠りを貪ることに費やすかもしれない。夜にはサイコババのライブに行くけれど、その前か後には、ブッチャーを待つことはせずに、仕込みをおこなったりするだろう。里芋を煮るかもしれないし、他の何かを揚げるかもしれない。揚げるために里芋を煮浸しにすること、あるいは素揚げしたズッキーニを甘酢に浸すこと。それによって土曜日が楽になること。書かれなければいけない無駄な言葉を記すこと。昔のような跳躍やあるいはダンスには期待できず、句点をほうぼうに打ちつけながら、私は出来事にもならない出来事をときおり留めていくだろう。

 

マッカランの最後の一口を飲んだらグラスの底に「P」という文字があるのを見つけた。それを見ながらグラスを傾けすぎ、氷を3つ服の上に落とした。その氷をグラスに戻した。そこに次のマッカランを注いだ。何か書きたいようなことが100あったとして、そのうち10ほどがここにいま書かれた。残りの90はアルコールとは無関係のxxxxの中に溶けて消えた。失われた言葉を求める努力もせず、煙草を吸った。同じ事をあと5回は繰り返す。


10月、ブッチャーを待ちながら

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ブッチャーを待ちながら

 

ブッチャーを待ちながら店にてずっと。

 

閉店後の店でotomitsuの『BEATSSSSSS』を聞きながら酒を飲み煙草を吸う。10月に入ってからはずっと、一つの出来事にずいぶんと取り憑かれてしまって他の何にも手がつかない、本読まない映画も見ない飯すら食いたくないという感じで、一方で店は妙に日々忙しく、精神的にも肉体的にも疲弊して片付けを終える前に店で寝てしまうこともあった。何回もそんなことがあったような印象があったのだけどよくよく考えてみたらそれはおとといの一回だけだった。なにごとも大げさに言いたがる心性はいったいなんなのか。

気分としてはようやく落ち着いた感じなので、このあとは秋を享受したい。この夜はとても寒い。なぜか、なんでなのか今ジャック・アタリの『ノイズ― 音楽/貨幣/雑音』をちょぼちょぼと読んでいて、なんでこれ読んでるんだろう、と思いながら読んでいる。難しくてよくわからないけれど「へー」という感じで面白いのと、ときおりものすごくかっこいいことが書かれるので頭を射抜かれるのが気持ちいい。これを読みながら、先日読んだドミニク・チェンの『フリーカルチャーをつくるためのガイドブック』を思い出したりしている。それから『eris』にあった「アイ・ラヴ・ユア・スマイル」とかが、有機的にというわけではないけれどぼんやりと、つながった事象として頭のなかで響き合っている。

私は音楽をやるわけでもないし音楽産業がどうなろうと知ったことではないのだけど、いったい何を学びとりたいのだろう。

 

言葉を書く訓練。しばらくされていなかった、自分による自分のための言葉を紡ぐ訓練。ぼやけている、意識が。寝汗を毎晩かく。Tシャツがぐっしょりと濡れて脱ぐ。寒くなる。今年から手があかぎれを起こして痛い。絆創膏を6箇所に貼る。水で濡れてすぐにはがれる。様々のことがどうでもよくなるが、「精進したい」と書こうと「しょうじんしたい」と打つと「消尽したい」と変換された。ヴァニッシュメント。と思ったら消尽は「すっかり使い果たすこと」という意味といま知った。英語にしたらvanishmentではなくてquenchingと出た。本当なのかどうかは知らない。

 

先週だか先々週の休み、ブログを書こうと思って「ブッチャーを待ちながら」と打って、そのまま終わった。その日は休日で、だけど店で仕込みをしなければいけなくて、前夜に肉の注文を入れていて、ブッチャーが来るのをずっと待っていた。注文を入れたのが深夜だったのもあって、ブッチャーがやってきたのは午後3時半で、店に着いてから4時間以上が経過していた。そのあいだ、コーヒーを入れて外に椅子を出して本を読んだ。ジャック・アタリの『ノイズ― 音楽/貨幣/雑音』を読んでいた。なんでこれを自分は読んでいるんだろうと思いながらも、面白く。ジャック・アタリ・ティーンエイジ・ライオット。


Playback(三宅唱、2012年、日本)

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映画。映画は、映画に、映画を、映画と。

映画、とただ打鍵するだけで何か心がざわつくような気になりこそすれど、では私が映画について何かを知っているのかといえばほとんど何も知らないのだし、ましてや日本映画の最前線とはどんなものなのかなど知るよしもない。濱口竜介のレトロスペクティブにはけっきょく行けずじまいだったし、瀬田なつきの作品を見たこともない。どうやらそういった「最前線」に名前を連ねるらしい三宅唱という監督についてだって、いくつかの短編作品を手がけたのちの2010年に長編デビュー作『やくたたず』を撮ったことぐらいしか知らない。そしてそれは途方もなく素晴らしい作品だったということぐらいしか。

その三宅唱の最新作『Playback』は、主演に村上淳を迎え渋川清彦や渡辺真起子といった名と実力の知れた俳優を配する、と言えば聞こえはいいが、その実はどこまでも奇妙で、これ以上ないほどに不遜な作品だった。そしてそれは、映画が映画である宿命を全面的に受け入れ、映画によって全面的に祝福された映画だった。

私はただ息をのみ、涙を流余裕すらなく、唖然としながらスクリーンを見続けるだけだった。

 

出演作の中国語(?)版の吹き替えを録音したり「いつも見てます」と知らぬ女性から声を掛けられたり水戸の映画館で出演作が掛かったりするところからなかなかに有名な、だけど落ち目らしい俳優の男(村上淳)のある一日が2つのバージョンで繰り返され、その途中で高校時代に40がらみの姿のままトリップして体育の授業でバスケをしたり同級生の話に馬鹿笑いしたりする話、と括ってしまっては身も蓋もないのだけど、要するとそんなところで、それが全編モノクロの映像で映し出される。

そこで行われる時間の処理や繰り返しの様相からはトニー・スコットの『デジャヴ』(テレビに映るホームビデオの映像とそこに視線を向ける村上淳の後頭部を映すショットはまさに『デジャヴ』だった。巻き戻しがプレイバックの合図となる)や、見た人から引き合いに出された名前の一つにアラン・レネを監督も挙げていたし、あるいはデヴィッド・リンチすら頭をかすめてくるかもしれない。また、俳優1がバージョンAで語ったことを俳優2がバージョンBでそのまま引き受けて語りだすようなところからは『現在地』以前の岡田利規がやってきたことと重なってくるような感触もあった。

バージョンA、バージョンB、そして合間に挿入される「かつて」、これらは村上淳の昏睡によって繋ぎ合わせられ、最後に意識を取り戻したとき、彼は周囲の心配をよそに哄笑するだろう。

過去の選択の結果の積み重ねとして現在があると登場人物に言わせていることがヒントになるのだろうか。小さな選択を異にすることよにって、水戸という被災地の現在までは変えられずとも、小さくではあるが異なった世界のバージョンを奏でる様が描かれたのだろうか。しかしなぜ、中年の姿の者と若い姿の者が高校で混在し、なぜ、バージョンBで記憶が入れ替わる者がおり、なぜ、20年以上前の場面で携帯電話が使われたのか。村上淳が迷い込んだ高校は夢だったのか。スケート少年たちは村上淳のかつての姿ではないのか。母はかつての予言通りに妻として彼のもとに舞い戻ったのか。

そこらじゅうにたくらみや意図が張り巡らされているのだろうけれど、私にはわからないし、その解読にもあまり興味は持てない。

 

ただただ、目の前で生起していく素晴らしい顔、連鎖していく素晴らしい画面に目を奪われてさえいれば、それでいいじゃないかと、それがいいじゃないかと、単純に過ぎるかもしれないけれど私はそう感じた。

ここでどの場面あるいは画面が素晴らしかったかを一つ一つ挙げていくことはしないけれど(冒頭のスケート少年の滑り出し、特に振り子になる片方の足、動き出すカメラ。ヘッドホンをあてた村上淳の無精髭の顔。ドンコールチキンの渋川清彦、妹の事故を知り駆け出す二人を高いところから捉えたロングショット。二人の人間によって畳まれるビニールシート、白いカーテンのようにたなびき発光するそれ。車中の質問攻め、気まずい空気、フルボッキの爆笑。墓場での思い出話、振りかけられるアルコール。車座でおこなわれるバカ話、教師と生徒の原節子についての共感、校舎裏の爆笑。チャペルを歩いていく新郎と新婦、それを見守る友人たち。思い出せない思い出話、聞き逃したエピソード、弱い笑み。バーナーでつけられる煙草。学芸会のビデオを見ながら娘を賞賛する若い母親、そして巻き戻し。友人代表スピーチのリハーサル。ひび割れた道での転倒。躍動するスケートボーイズ…)、したけど、見れば絶対わかる、見なければ決してわからない、というたぐいの充実がスクリーンいっぱいに、113分の間、途切れることなくみなぎっていた。

 

上映後のティーチインで三宅唱はこの作品を通して俳優という存在の謎を考えたかった、と言っていた。少しずらされたシチュエーションを与えられた俳優がそれをどう演じるのか、場面の繰り返しの中で捉えたかったというような意味合いだったと思う。そしてまた、なぜモノクロで撮ったのかという質問に対しては「憧れから」と答えていた。その後それを補足するようにモノクロはぱっと見た瞬間には朝なのか夕方なのかわからなくなるような不思議な時間を流せるからというようなことも言っていたけれど、憧れ、というのがたぶんもっとも率直な答えなのだろう。

この日の京都シネマでは、『やくたたず』の上映前に監督が中学3年生のときに撮ったという『1999年』という3分ほどの掌編作品が流された。二人の中学生(後半に三人に増える)が学校の中で追走と逃走を繰り広げるだけの映画で、中学生のときからすでにしてこんなふうに映画を見ていたのかと、俳優やカメラの運動として映画を見ていたのかと愕然としたのだけど、そのあとに『Playback』を見てさらに愕然とした。『やくたたず』が『1999年』がそうであったように人間の移動運動を捉え続けた作品だったように、『Playback』は『1999年』がそうであったように反復し円環する作品だ。何か、映写を終わらせたくなんてないんですとでも言いたいかのようだ。113分なんてけちなことは言わず、226分でも339分でも映写機を回し続けたい、J Dillaの『Donuts』をそうするみたいにリピートさせ続けようよ、とでも言いたいかのようだ。そしてまたそれは、映画を撮り続けますよという宣言であるかのようだ。

 

自身の若さやキャリアなどへの頓着や遠慮なんてものは犬にでも食わせればいいというような顔をして、考えたいから繰り返し、憧れだからモノクロを用い、終わらせたくないから円環させる。何か問題ある?いいでしょ、映画でしょ、超映画してるでしょ。『Playback』を見ていると、そんな自信に満ちた、映画を確信しきった男の不遜な声が聞こえてくるような気がする。

 

「きみたちにこのままずっと、もっと、たくさん映画をつくり続けてほしいと思う」と何度も言われたので、OKそうするほんとにありがとう、と思いました。(miyakesho.tumblr.com – ロカルノ雑感

 

2012年11月10日からオーディトリウム渋谷ほか全国順次公開予定。


最近見た映画(『魚影の群れ』『こうのとり、たちずさんで』『ゴーン・ベイビー・ゴーン』…)

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・十二人の怒れる男(シドニー・ルメット、1957年、アメリカ)

10年ぶりぐらいの再見。裁判関係のものが見たいような気がして。久しぶりに見たけどやはり抜群に面白かった。ヘンリー・フォンダを始め、対立役のリー・J・コッブや眼鏡の小男やおじいちゃんの、表情以上に声が印象に残る。

 

・ゴーン・ベイビー・ゴーン(ベン・アフレック、2007年、アメリカ)

先日友人のブログで知ってデニス・レヘインの『ムーンライト・マイル』を読み、その流れでこれも見てみた。こちらはそのシリーズの前作の『愛しき者はすべて去りゆく』が原作。

ベン・アフレック!ベン・アフレックというとなぜかジョシュ・ハートネットの顔が浮かんでしまう程度にベン・アフレックのことは知らず、有名なハリウッドスターというぐらいの認識でいたのだけど、こんなにも映画らしいというか映画だろうこれはという映画を撮ってしまうとは、とびっくり。
冒頭の町の色々な人たちを映す一連のショットからして、なんだかもう、何かが明らかに始まることを見る者に告げてくるようで素晴らしく、
まあいいや。こちらの感想を読んでいただければいいような気がする。

『ゴーン・ベイビー・ゴーン』(ベン・アフレック) | For Man and a Prayer

しかしまあ、『ムーンライト・マイル』を読んでいたのでどういう結末になるかはわかってはいたのだけど、こんなにも過酷な選択がおこなわれていたのかと、物語のその辛さに結構なところおののいた。

 

・魚影の群れ(相米慎二、1983年、日本)

『ションベンライダー』と『台風クラブ』のあいだの作品。子供の映画のあいだに置かれた大人たちの映画。

冒頭のショットから驚かされる。波立つ青白い海が画面いっぱいに広がり、左にパンされていって、ズームアウト、すると砂浜、足あとらしきものを見るける、それを追いつづけ、砂浜はけっこうな勾配の坂になり、男と女がそこをあがっている、追って、追って、と思ったらカメラの位置がぐーっと一気に上昇し、砂の山と空と座る男女、夏目雅子が走りだし向こうに降りていく、佐藤浩市が別の経路でやはり走り下りる、追って、ズームイン、小屋の前に止まる、女が男と誘惑し、男がそれに乗り、小屋の中に入っていく、というのを1ショットで、ああ、もう、相米、という感じですごかった。轟々と鳴る風と波の音を切り裂くように二人が声高に話すその話し声もまたとても。

そんな充実しきったああ相米というシーンがいくつもあってなんとも素晴らしい。緒形拳の漁師っぷりにも目を見張る。でかいマグロをぐさりやり噴き出る血の赤がいい。佐藤浩市の覚悟になりきらない振る舞いがまたいい。夏目雅子の奔放から悄然の転調がいい。夜中の漁港の明滅する光がすごくいい。

 

・こうのとり、たちずさんで(テオ・アンゲロプロス、1991年、ギリシャ/フランス/スイス/イタリア)

『霧の中の風景』に続き、シネマ・クレールにて追悼特集第2弾。今回も入りは30人ぐらい。普段の上映からすると格段に多い。どこからこの人たちは来るのだろうか。とは言えやはり年齢層は高いというか若い人ほとんど見当たらないのだけど。

なんといっても川を、国境を挟んでおこなわれる結婚の儀礼のシーンがすごい。いやもうやっぱりどのシーンもすごい。

こんなにも国境を見せつけられると、国境っていったいなんなのか、難民って、亡命ってどうやるのか、というか歴史的政治的にどんな問題があるのかそもそも知らず、そういったところを知りたくなった。なんか本読もう。

 

・甘い罠(クロード・シャブロル、2000年、フランス)

全編を通して映しだされるイザベル・ユペールの無感情ここに極まれるという表情が最強すぎる。その表情は一度たりとも崩れることなく、しかし最後にはその目から涙を流させるだろう。あそこから涙が流れうるのかと、はっとさせられた。私は悪に長けているというセリフがまたいい。自分の性格の悪さを嘆く前に彼女の生き様を確認したい。

 

・ミルク(ガス・ヴァン・サント、2008年、アメリカ)

別段、それを知ったから何と言うわけでは当然ないのだけど、だけど、だけどね、と予告編を見て思った。ドキュメント映画『ハーヴェイ・ミルク』の予告編、ハーヴェイが殺されたと、そして犯人は誰だと、涙目で告げる女性の姿が映される。こちとら見始めて5分もすればのちにハーヴェイが殺されることは知るのだからそれはいいのだけど、犯人まで知らされてしまうと「えー」という気分にならざるを得なかった。

しかし、やっぱりその、なんでこれを見たかったかといえばショーン・ペンが見たかったからなのだけど、ショーン・ペンという俳優はやっぱりすごくすごかった。あのちょっとなよっとした手振り、喜びにいっぱいになる笑顔、力強い演説、銃を向けられたときの動き、どれをとっても素晴らしかった。

 

・それでもボクはやってない(周防正行、2007年、日本)

『十二人』に続き法廷ものが見たくて。冤罪理不尽すぎワロタ、という感じだった。私はもう電車に乗る生活はないので電車で痴漢の嫌疑を掛けられる機会もなさそうなのでいいのだけど、満員電車で通勤する男子の諸君におかれては本当に気をつけてください、手の位置等に気をつけましょう、と思った。加瀬亮の演技はものすごくよかった。

Wikipediaで今知ったのだけど監督の周防正行は立教出身で蓮實重彦に薫陶を受けた若者の一人で、黒沢清や万田邦敏と交流して、さらには『神田川淫乱戦争』の助監督まで務め、デビュー作は小津へのオマージュだったとか。『それでもボクはやってない』しか知らないととても意外に思える事実だった。