cinema
2013年1月21日

年末に『アンストッパブル』を見た時に、これでトニー・スコットの映画が終わってしまうなんて、とか書いていたのだけど、考えてみたら『エネミー・オブ・アメリカ』以前の作品はどれも見たことがなくて、それらを全部見終えて初めて「これで終わりだなんて」と言えるんじゃないか、と思ってちょっとずつ見ていくことにして、まずはこれを見た。
どれもこれも抜群に面白い映画を撮る人だとは思いながらもトニー・スコットの作家性というものについては私は実はよくわかっていなくて、今回『トゥルー・ロマンス』を見てもどのあたりがトニー・スコット印なのかはやっぱりわからない。タランティーノの脚本ということもあり、ほとんどタランティーノ映画を見ているような感覚だった。そしてそれは、やはり抜群に面白かった。
コールガールの仕事としてクラレンスとファックしたあとに一人バルコニーで涙するアラバマの横顔とちらつくネオンの明かり。前景をひっきりなしに列車が通り過ぎていく奥でおこなわれるパパとの別れ、アラバマとパパのキス。死を前にしたデニス・ホッパーがくりだすゲスなジョーク、そこで起こる、悪い予感しか与えてこない哄笑。クリストファー・ウォーケンのこわばった笑顔。マフィアの男に痛めつけられ、真っ赤な血を流しながら中指を立てて抵抗するアラバマの振りきれっぷり。タランティーノらしい、パズルがすべて拳銃で埋め尽くされましたよというクライマックス。どれも本当に素晴らしかった。
そして何よりハッピーエンドなのがいい。冒頭とラストで流れるアラバマのモノローグがまた素晴らしい。いい声で、とてもいいトーン。ユーアーソークール。本当に。
cinema
2013年1月21日

007を見るのはこれが初めてで、いくらかの知った人が「いいよ」と言っていたので行ってみた。たいへんに面白かった。上海の夜景がとんでもないことになっていて、その空撮の画面を見ているだけでも満足ぐらいのものだった。上海の夜を彩るビルディングは東京のそれと比べた時にずっと主張というか、オレオレ感が強い感じで、その金満な様子、ビッチめいた様子、あげくに光るブルーの屋上プール、とてもよかった。そのプールでジェームズ・ボンドは癒えない怪我と戦い、肩で息をしていた。スピード感あふれまくり圧倒的にエキサイティングな冒頭の最後を飾りスカイフォールすることになる同僚からの誤射撃によって負ったこの怪我の、試験のときやボンドガールの頭の上の50年ものマッカランを狙うときは震えてダメでも、それから間もないけれど後半は全然オッケー、狙い問題なく定まります、みたいな都合のいい扱いがとてもよかった。
ダニエル・クレイグの出ている映画はあまり見たことがないのだけど、去年の『ドラゴン・タトゥーの女』に続き、オープニングでPV的な感じで歌が流れた。だから何というわけでもないけれども、同じクレイグだったらダニエル・クレイグよりはクレイグ・グラディの方が好きかもしれないなと思った。同じクレイグでも一方はCraigで一方はKraigだけど。なお、画像はクレイグ・グラディ。
book
2013年1月21日
フリーランスを代表して 申告と節税について教わってきました。
ピンチョンを読んだあとにこれ、というのも非常に格好がつかない思いでいっぱいだし、読み終わってからはまたアンディ・クラークの『現れる存在』を読み進めているのだけど、だからといって「ピンチョンと身体性認知科学のあいだにこれ挟む感じ、なんか絶妙なバランス感覚だよね」とか言うつもりは毛頭ない。できるならば読んでいるだけで「なんだか賢そうだね」と言われてもよさそうな、高尚な感じを装えそうな本だけを読んでいたいものなのだけど、こういうものを読むことがあるのもやむを得ない。
なんせ、あれは先週の休みの日だった。午前中に税務署に行く用事があって、そっかー、そろそろ確定申告だよな、と思い、そのあとにアホみたいなことに更新を忘れて失効させてしまった運転免許証を再取得しに運転免許センターにゆき、2時間の講習を受けた。その間ずっと今年発生しそうな税金の計算をしていて、何度計算しても、「え、こういうレベルで取られちゃうの、税金」というので焦りに焦り、お金のことが頭を離れない。
そんな夜、本屋に行ってこの本と、『【新版】フリーランス、個人事業、副業サラリーマンのための 「個人か? 会社か?」から申告・節税まで、「ソン・トク」の本音ぶっちゃけます。』『完全レベル別 30代~50代のための海外投資「超」入門』を買った。「うわー、この人お金のことで頭いっぱいだ」と店員に思われるんだろうなと思いつつも、「だって、いっぱいなんだもん!」と思ってレジをやり過ごした。エロ本の正しい買い方的な感じで4冊目にゼーバルトとか入れておいたら気が楽だったかもしれない。「どうだ、金金金(エロ本エロ本エロ本)だと思っていたら最後にこれだ、どういう客だかよくわからなくなっただろう」という。(それにしても申告節税本の2冊はともにタイトルが句点で終わるけれども、なんかこの感じはなんなんだろう。句点で何かが和らぐような感じがあるんだろうか。少し気持ち悪い)
それで、この本ですが、たいへん読みやすく、大方は知っていることではありましたが、いくつか「へー」ということもあり、わりと勉強になりました。消費税のこととか、いろいろと考えなければいけないことは山積です。今はわけもわからないままに帳簿をつけて申告をしておりますが、いつか、少なくとも「こんな感じで正しいのでしょうか」ということを確認する意味でも税理士の方に相談を仰いだほうがいいかもなと思いました。読んでよかったです。
book
2013年1月16日
トマス・ピンチョン全小説 LAヴァイス (Thomas Pynchon Complete Collection)
読んでしまった。これで現時点でのピンチョンの未読作品が『V.』と『重力の虹』だけになってしまったと思うと一抹の寂しさが拭えないながらも、やはり、当然というべきか、抜群に面白かった。
『LAヴァイス』は登場人物の多さに混乱しまくることはあれど話の筋は一つで進んでいくので、『メイスン&ディクスン』や『逆光』と比べれば格段に読みやすく、アメリカでベストセラーになるのもうなずける(いやうなずけない)、要はシンプルな構造の探偵物語だった。解説を読んでいると、ピンチョンはやはりアメリカのポップカルチャーに通じまくっていない限りは本当のところは楽しみきれないんじゃないかという気にもなってくるけれど、アメリカなど一度たりとも行ったことのない日本人であっても十分に、十分以上に面白い。(それにしても解説というか翻訳のお二人の博識っぷりはものすごいなと感じ入った)
ピンチョンの他の作品同様だけど、この作品の何が面白いのかと言えば1.文章がとにかくクール、2.ドタバタ具合やトンデモ具合がとにかく面白い、3.時折り見せる感傷がとにかくしみる。以下具体例。
1.文章がとにかくクール
沖の風が強くて波は今一つだが、それでもサーファーたちは夜明けの奇妙な光景を見るために朝早くから起きだした。誰もが肌で感じている、その感触が目に見えるかたちとなって投影されるかのような光景だった。砂漠の風、熱気、容赦ない気候、何百万台もの車やバイクの排気ガスとモハヴェ砂漠からの微粒子のような細かい砂がまざり合い、それを通る光が屈折してスペクトルの一番はしっこの、血のような赤色に見える。すべてはぼやけ、毒々しく赤味を帯び、聖書的な雰囲気が漂う。船乗りが縁起が悪いと嫌うような赤い朝焼けだ。(P.137)
ティートが機密扱いの運転パフォーマンスを繰り出すと、二人とも宇宙船内の飛行士のように、シートの背に激しく押しつけられ、窓から見える街のネオンがスペクトルの滲みを長く伸ばした。走行方向は青の方に偏移し、ティートのミラーに囲われた黒の空間に点在する光は赤っぽくなって退き、一点に収まっていく。ティートのカーステレオでは、ローザ・エスケナージのテープが回っていた。「聴けよ、この女はいいねえ。全盛期のベッシー・スミスだよ。純粋なソウルだ」何小節か一緒に歌った。「ティアティモ・メラーキ。魂の欲求かい。そりゃ誰だってみんな持ってるだろ。欲しくて欲しくて恥も外聞もなくなってまわりから何と言われようと知っちゃいないってくらい」(P.340)
2.ドタバタ具合やトンデモ具合がとにかく面白い
「俺をケツの穴って呼んだな!」とジェイソンが叫んだときには、二人の女の子たちはすでに通りを駆け出していた。ジェイソンがそれを追う。というか少なくとも一、二歩、踏み出したのだが、次の瞬間、ジェイドがご丁寧に歩道に落として行ったオーガニック・ロッキード・アイスクリームの山につるりと滑ってドシンと尻もち。(P.217)
「車で移動中だったみたいね。インターステイト・ハイウェイから降りた脇道の公衆電話のように聞こえたわ」「そんなことまで、キミ、聞いて分かるの?」彼女は肩をすくめた。「音声が合わさる具合がそうだったから」ドックは奇妙な視線を返したに違いない。「オカルトの話じゃないわよ。合唱でパートとパートが重なるでしょ?」「ピータービルトの大型トラックとVWバスのセレナーデか」と、そんな想像をドックは口にしてみた。「ケンワースとエコノライン・ヴァンだったけど。プラス、ストリート・ヘミとハーレーと……あとはいろんなオンボロ車」この耳を生かして彼女は、昼間はUCLAで音楽理論を教え、夜は古楽のアンサンブルで、木管楽器専門の奏者としてアルバイトしているのだそうだ。(P.296)
ソンチョの姿はあったが、先日生まれて初めてカラーテレビで見たという『オズの魔法使い』のことが尾を引いていて、話のできる精神状態ではなかった。「知ってた、あれ、白黒で始まって」不安に駆られたようにソンチョはドックに教える――「途中でカラーに変わるんだ、その意味することが分かる?」「おいおい、ソンチ……」止まらない。「――映画の始まりでドロシーが住んでいる世界を、僕らは白黒――実際は茶っぽいけどさ――で見ているだろ、でもそれ、ドロシーちゃん自身には完全に色つきで見えてるわけでしょ。僕らが日常見ているのと同じ色調でさ。それから大竜巻で持ち上げられて、マンチキンの国に落とされ、そこでドアを開けると、その瞬間だ、僕らの視界が、それまでの白茶の世界からいっぺんにテクニカラーに変わる。その変化が僕らに起こるときにさ、ドロシーの視界はどう変わるんだろう?それまでの”日常”のカンザス的色彩は、いかなるものに置き換わっているのか、ね?それって、すごいハイパーな色なんじゃないかな。テクニカラーが白黒を超越する、それと同様に日常の色彩を超えてしまった世界ってどんなだろう――」とまくし立てる。「わかるよ、オレもそのことを心配すべきだ。でもな、ソンチ……」「放映したネットワークは少なくとも、お断りの文言を流すべきだったね」ソンチョは早くも義憤にかられている。「マンチキンの国は、それ自体、妙ちきりんなのにさ、その上視聴者の精神を撹乱させるっていうのはどうなんだろ。これ、制作側のMGMに対して、集団訴訟を起こす余地が充分あると思うんで、来週のオフィスの打ち合わせで提案しようかと考えてるんだ」(P.390)
立ち上がってヨロヨロとバスルームに向かい、シャワーを浴びようと思って裸になり栓をひねったが、そのうちベッドから火の手が上がった。炎はめらめらと天井を燃やし、上の階の住人であるチコのウォーターベッドに届いたが、幸いな事にチコは寝ておらず、ベッドのポリ塩化ビニールが熱に溶け、床に開いた穴から一トンの水が放水されて火は消し止められた。(P.403)
3.時折り見せる感傷がとにかくしみる
結局ドックは閉店まで残って、この前の晩、渓谷の下り坂を追いかけてきた悪のマーキュリー・ウッディにコーイが乗り込むのを見送った。そして<アリゾナ・バームズ>まで歩いてオール・ナイター・スペシャルを食べ、夜が明けきるまで新聞を読みながら、スモッグ越しに坂の下の明かりが見える窓際の席で朝のラッシュアワーをやり過ごした。車の流れが減って反射テープを貼りめぐらせたように見え、手前の大通りに沿ってぼんやりきらめき、やがてその瞬きは茶色く明るい彼方へ消えていく。ドックがつい考えてしまうのはコーイのことではなかった。むしろなんの根拠もなく夫は生きていると信じるホープのことばかりが心に浮かんだ。そしてその幼い心がブルースに苛まれたときにも、色の褪せかかったポラロイド写真しか手にするもののないアメジストのことも。(P.223)
グルーヴィ!
cinema
2013年1月16日

『ミッドナイト・イン・パリ』を見たときにも同じようなことを書いたけれどもウディ・アレンは私にとってやたらに重大な作家であり続けていて、特に『アニー・ホール』や『ハンナとその姉妹』『マンハッタン』などに陶酔していた大学生の時分に「あなたの好きな映画監督を3人挙げてください」と言われていれば「ウディ、ウディ、ウディ」と答えていたに違いない。そういった気分が落ち着いた今でさえ、「あなたがもっとも好きな映画を1つ挙げてください」と言われれば散々迷った挙句に「もっとも好きな映画の一つとして『アニー・ホール』を挙げることは可能だと思います」というような煮え切らない返事をする可能性は十分にあるだろう。大好きだ。
そんなことなのでこのドキュメンタリーも見逃していい理由はなく、実際、大いに感動したわけだった。何に、と言えば実に単純で、『アニー・ホール』や『ハンナとその姉妹』や『マンハッタン』、あるいは『カメレオンマン』や『カイロの紫のバラ』、『ラジオデイズ』といった、かつて私が大いに好んだ作品たちの画面が映されるところに、であって、ウディ本人含めた様々な人のインタビュー映像で感動、というようなことではなかった。要は、切り抜きを見ながら「あーここでこういうこと言うんだよな、ああそれそれ」とか思いながら、気づいたら涙と鼻水で顔の半分ぐらいが妙に湿っていた、ということだった。つまり、改めてそれらの作品を見ればいいんだよな、ということだった。
やはり、というかそれにしても、というかダイアン・キートンの笑顔は本当にキュートだなと、様々な作品で彼女の姿が映されるたびにその思いを強くした。今では総白髪で、あのときのあどけなさとは対照のゴージャスな貴婦人という風情だった。それはそれできれいだった。
また、マリエル・ヘミングウェイの顔貌の変わらなさはなんなのだろうか。あの素晴らしいセリフ、「You have to have a little faith in people」をつぶやいたあの顔が、30年を経てほとんど変わらずに維持されていた。それはそれで感動した。
それにしても、彼の作品をちょこちょこと解説してくれる映画批評家と名乗る人たちの発言の一様の退屈さはなんなんだろうか。一つも面白くない解釈や批評を、どうしたらあんなに自信満々に語れるのか。それから昔の写真のがさつでチープな見せ方はなんなんだろうか。なんて安っぽいんだ!とほとんど唖然として、こんな人にウディ・アレンフォントであるところの「EF Windsor」を使ってほしくない、みたいな腹立たしい気持ちになったりもした。
と言いながらもジョーク作家から始まったウディのキャリアが描かれていく様子、というかそもそもジョーク作家なんていう職業があったんだという驚き、それからジャック・ロリンズとチャールズ・H・ジョフといういつでもこの人たちがプロデューサーだなあと思っていた二人は元はウディのマネージャーとして関わりを始めていたということ、小さいクラブから少しずつテレビに進出してく様子、テレビ出演中のウディの姿、そういったものを見るのは新鮮で面白かったし、ジョーク作家時代、16歳とか17歳とかに買っていまでも彼のすべてのスクリプトを生成しているタイプライターの姿、ベッドサイドに座ってペンを走らせる様子、あるいは映画祭の会見か合同インタビューでウディを囲む記者たちの彼へ向ける何やらあたたかい、敬意を持った、そしてどんな軽妙なことを言ってくれるんだろうこの老人はという期待を持った視線等、いろいろと面白かった。
いずれにせよ、たしか今月末から岡山で公開される『恋のロンドン狂想曲』が楽しみです。
cinema
2013年1月12日
この映画を見て真っ先に思ったことは、こんな恥ずかしいことはなかなかあれなのだけど、隣にいる人を大切にしよう、ということだった。あー恥ずかしい。恥ずかしいならわざわざ書かなくてもいいのにと思うのだけど、だけどそれはとても大切なことのように思うので書く次第です。
というよりは、映画を見て、そういうわかりやすく「私もこうしよう」みたいなことを思うことってめったにないので、そういう私にとってはわりと珍しい効果を与える力を持った映画だったということだろうと思う。
題材や撮影場所からして、きっと賛否が別れる映画なんだろうとは思うのだけど、他の人の感想等を読んでいないのでわからないのだけど、どうであろうと、雪の中での夏八木勲と大谷直子の盆踊りであったり、花壇での抱擁であったり、転向した村上淳をほの白い抗菌仕様の部屋で迎える神楽坂恵の笑顔であったり、あるいは端々で彼女が見せる「もうそれ演技とか通り越して泣いてるだろ」という感じの泣き顔であったり、ラストの渚にてな場所での関係の逆転であったりは、否応なく力のある場面だったと思う。
それに、価値観や立場を異にする者たちが一つの危機に面したときに起こる様々な対立や摩擦を、この映画はどこかに偏ることなく、しっかりと描き出すことに成功しているんじゃないだろうか。チェルフィッチュの『現在地』にも通じる危機を巡るディベート劇。
どの役者もよかったけれど、もしかしたらあざといと見られることもあるのかもなーと思いつつ、大谷直子の感じがとてもよかった。
新年2本を立て続け(あと2分で本編です!という移動)に見たのだけど、ともにぐしゃぐしゃになりながら泣いた。たいへんよかったです。
・園子温監督のロングインタビュー前編。現在の日本が直面する原発事故をテーマに選んだ『希望の国』、過酷な現実を描いた最新作のアウトラインを紐解く。 | Web Magazine “Qetic”
・園子温監督が語る『希望の国』ロングインタビュー後編。被災地における人物と風景の描写について、行間に込められた想いを語る。 | Web Magazine “Qetic”
・希望の国|THINK PIECE|honeyee.com Web Magazine
cinema
2013年1月12日

今年は記録と備忘も兼ね、極めて短くてもいいから見た映画なり読んだ本なりの感想ないしメモを少しでも書いていこうかなと思ってこうやって書きだしつつ、どうせすぐに途絶えるだろう。
ということで今年の一本目はこのドキュメンタリーとなった。
予想通り、少年少女が舞台上で必死かつ優雅に踊る姿に涙がこみ上げてきた。
アランの紳士っぷり、肩で息をしながら控え室に戻っていく演技後の後ろ姿。レベッカの家のワインセラー、グランプリファイナル前日とかにティファニーで指輪買ってもらう感じ、車のハンドルのデコレーション。ガヤとアランのキュートなカップル。
どの子供たちも素晴らしく輝いていた。
特に胸を打ったのはアキレス腱の怪我で直前まで痛みに顔をゆがめていたミケーラが、本番の舞台で見せたとびきりの笑顔と躍動だった。「すごいなー」と思いました。
それから親のサトコさんの教育ママっぷりがやたらにフィーチャーされていた(本番で娘が転倒した理由を考えました。それは私のせいです。失敗の責任は私で、成功の栄誉は彼女にあります、という発言がけっこうきてるなと思った。バレエを辞めた息子には参考書をどっさり買い与え、バレエやらないならせめてハーバードかMITねとさらっと言っちゃうあたりとかかなりきつい。いつかこの家族は瓦解しそうに見えた)ミコの、12歳にしてやたらに達観した姿にはほとんど凄みすら感じさせられた。こんなのは通過点にすぎない、とでも言うかのように緊張の素振りも見せずに本番の舞台にさっそうと滑り出し、妖艶な演技をこなしてちゃんと受賞するとか、とんでもない人がいるもんだと。
ということでたいへん感動したのだけど、このドキュメンタリーの結構はいったいなんなんだろうという違和感は最後まで拭えず。あの字幕とか、いったいどういうことなんだろう。テレビのドキュメンタリーのようだった。制作はBBCなのだろうかと。バレエ映画を見るとたいがいそうなるのだけど、アルトマンの『バレエ・カンパニー』を再見したい。
book
2013年1月12日

- ジャン=リュック・ゴダール/映画史(全) (ちくま学芸文庫)
- トマス・ピンチョン/逆光 (新潮社)
- 柴崎友香/わたしがいなかった街で (新潮社)
- 保坂和志/カフカ式練習帳 (文藝春秋)
- ロベルト・ボラーニョ/野生の探偵たち (白水社エクス・リブリス)
- ウラジーミル・ソローキン/青い脂 (河出書房新社)
- ネヴィル・シュート/渚にて (創元SF文庫)
- オラシオ・カステジャーノス・モヤ/無分別 (白水社エクス・リブリス)
2012年に読んだ本を10冊、と思ったのだけどたった28冊しか読んでおらず、そこから10を無理に選んでも、というところで特によかったものを選んだら8冊、と思ったらピンチョンとボラーニョが上下なので合わせたら10冊ということでいいんじゃないか、という8冊というか10冊。だいたい読んだ順。
読みきっていないからここには挙げていないけれど、他には蓮實重彦『映画時評2009-2011』には相変わらず強い刺激を受け、『ele-king vol.7』では現在のノイズ/ドローンを巡る言説やインタビューを興味深く読ませてもらった。
それにしたって一年で28冊とはあまりに少なく、2011年が46冊だったことを考えると大きな退行と言える。多く読めばいいというものではないなんていうことは重々に承知しながらも、多くのまだ見ぬ書物に、そこで描き出される世界に触れたい欲求ばかりが先走る。今年はせめて50冊は。そしてその中にボラーニョの『2666』が入ればなおのこと。
cinema
2013年1月10日

- 『Playback』(三宅唱、2012年、日本)
- 『わたしたちの宣戦布告』(ヴァレリー・ドンゼッリ、2011年、フランス)
- 『愛の残像』(フィリップ・ガレル、2008年、フランス)
- 『桐島、部活やめるってよ』(吉田大八、2012年、日本)
- 『アメイジング・スパイダーマン』(マーク・ウェブ、2012年、アメリカ)
- 『ミッドナイト・イン・パリ』(ウディ・アレン、2011年、アメリカ/スペイン)
- 『ピナ・バウシュ 夢の教室』(アン・リンセル、2010年、ドイツ)
- 『戦火の馬』(スティーブン・スピルバーグ、2011年、アメリカ)
- 『CUT』(アミール・ナデリ、2011年、日本)
- 『ヒミズ』(園子温、2011年、日本)
2012年に映画館で見た新作映画から10作。最後に見た順番。
しかしそもそも、ベスト、というときに新作映画という縛りを掛けるべきなのか、旧作を入れてはいけないのか、そして劇場で見たという縛りを掛けるべきなのか、DVDではダメなのか、その作品と初めて出会った瞬間こそが各人にとっては新作であるはずで、等々思うところはあるけれど、まあなんとなくやっぱり新作、劇場にて、というのがスマートかなと、結局そう思うのでそういう選別。
それにしても、2012年は何をおいても『Playback』の一年だった。春頃からその作品の情報をチラチラと見かけ、7月、ロカルノへの正式出品の知らせに否が応でも期待が高まり、9月の先行上映で京都に駆けつけた。何か途方も無いものを目撃してしまったと驚き、おののき、愕然とした。年末に渋谷でもう一度見た。初見のときはそんな余裕もなかったのか、二度目に見た高校時代のシーンでは涙がどんどんとあふれていった。取り返しのつかなさと、まだ取り返せるかもしれないという希望と。
京都、渋谷で見た。次は岡山で見られるものと期待している。
また、『Playback』を経て、それまでは「おしゃれな人でしょ」というぐらいの認識しか持っていなかった村上淳という俳優への信頼に似た感情がやたらに大きくなっていった。先行上映時のティーチインや、いくつかの場所で見かけたインタビューでの言葉を追ううちに、あらまあ、こういう人が必要なんじゃないか、こういう、等身大の言葉で映画や映画にまつわる状況について話せる人が、とどんどん好きになっていった。
三宅唱という作家がこれからどんな作品を撮ってくれるのか、村上淳という俳優がこれからどんな演技を見せてくれるのか、そして日本映画はどんなことになるのか、素直に楽しみにしていきたいです。
その他の9作もどれも私にとって様々な形でアクチュアルに響くものばかりで、これらの映画に立ち会えたことが嬉しい。ヴァレリー・ドンゼッリの奔放さに、ローラ・スメットのおばけっぷりに、高校生たちの息苦しさとゾンビたちの反逆に、橋本愛の平手打ちに、アンドリュー・ガーフィールドとエマ・ストーンが立つ甘酸っぱい廊下に、そして二人が交際しているという嬉しいゴシップに、ウディ・アレンの痛快な不毛さに、若者たちの戸惑いや羞恥の姿に、そしてそれに打ち克ち躍動する体に、媚態に、ただただ、馬が馬としてスクリーンを生きるということに、西島秀俊のタフネスに、連呼される映画たちに、連呼される「住田」の声に、二人が走る早朝の土手道に、私はしたたかに打たれ、多くの場合に多量の液体を目からこぼした。
また、新作では他にも『ドラゴン・タトゥーの女』『ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル』『灼熱の肌』といったところがよかった。旧作では岡山で見られたアンゲロプロスの『霧の中の風景』や、大阪で見たカサヴェテスの『オープニングナイト』や、年末に渋谷で見たファスビンダーの『マルタ』『マリア・ブラウンの結婚』『ローラ』、そして国内最終上映となったトニー・スコットの『アンストッパブル』をバウスシアターにて爆音で。この映画で一年を締めくくれたことは本当によかった。
しかし2012年はけっきょく91本の映画しか見ていない。劇場で見たのはそのうち41本。1月から順に11,10,5,2,2,9,5,9,17,7,4,10という鑑賞数で、店でてんやわんやの時期とは言えど半ばのひどさが大変に残念。まるで見る気になれない時期だった。店を始めた2011年が全部で49本だったということから考えれば中々の成長とも言えるけれど、今年はせめて100本は見たい。そして一本一本ていねいに見たい。
text
2013年1月6日

- Taylor Deupree : Faint (12k)
- 柴田聡子 : しばたさとこ島 (浅草橋天才算数塾)
- Peter Broderick : How They Are (Hush records)
- Grouper : A|A (Kranky)
- Chihei Hatakeyama : Norma (Small Fragments)
- Vladislav Delay : Vantaa (Raster-Noton)
- Juan Stewart : Los Dias (Estamos Felices)
- Moe and ghosts : 幽霊たち (UNKNOWNMIX / HEADZ)
- Nipps : QB Files Vol.2 (Southpaw Chop)
- Pete Swanson : Man With Potential (Type)
2012年リリースのもの、というような縛りを掛けたら一気に選択肢がなくなりそうなので、2012年に出会った音楽、というところでチョイス、と思って挙げてみたら存外2012年のものが多かった。順番は好きな順でも出会った時期の順でもない。ジャケットを並べたら鮮やかかなと思ったけれどそうでもなかった。
- Taylor Deupree : Faint (12k)
もはやビートが鳴った瞬間に耳が拒否反応ぐらいの感覚になってしまったわけではないけれど、今年もドローンやアンビエントはよく聞いていた。その中でもテイラー・デュプリーのこれは特にたまらなかったです。雨音と粗い光の粒子が揺らぎながら空間中を漂うようでこのうえない気持ちよさでした。→Soundcloud
- 柴田聡子 : しばたさとこ島 (浅草橋天才算数塾)
自分たちの店でライブをやることになってその存在を知り、聞いたのだけど、それにしてもいったい何度聞いたことだろうか。私がメロディや、それを歌う人間の声にまだこんなに感動するとは思っていなかった。素晴らしい歌声およびソングライティングと素晴らしいアレンジの奇跡的な出会い。→Youtube
- Peter Broderick : How They Are (Hush records)
2012年リリースの『http://www.itstartshear.com』はまさかのラップで「えー…」となってほとんど聞かなかったのだけど、この作品はよく聞いていた。ピアノと歌のシンプルな構成がいい。ピーター・ブロデリックの歌声がじっくりとじんわりと耳に染みこんでくる。彼はやっぱりラップとかはいいのでこんな感じが嬉しいなあと。ニルス・フラームとユニットOliverayの『Wonders』もとてもよかった。→Youtube
- Grouper : A|A (Kranky)
以前から『Dragging A Dead Deer Up A Hill』やInca Oraとの『Split』は好きで聞いていて、今年はまさかの岡山でライブがあり見に行った。神経質そうな美人で、風邪気味の様子だった。何台ものテープレコーダーとギターを使って不機嫌そうに演奏していた。幽玄という言葉はこういう音のためにあるのだろうという、そういった演奏だった。→Youtube
- Chihei Hatakeyama : Norma (Small Fragments)
これも好んで聞いたドローン。人を威圧するタイプのドローンと包み込むタイプのどローンがあるならばこれは間違いなく後者で、夏の夕刻、空は少しずつ色を濃くしていくそういう頃合い、開け放たれた外から聞こえてくる音と溶け合いながら流れていて、それはたぶん、すごい、ものすごいいい情景だった。→Youtube
- Juan Stewart : Los Dias (Estamos Felices)
新作の『Juan Stewart』は露骨にエレクトロニカテイストで「うーん」という感じだったのだけど、ピアノアルバムのこちらはやたらめったら聞いていた。ループされるピアノのフレーズの上にチラチラと、電子音がほんの飾り程度に重ねられ、散りばめられるその抑制がとても耳に心地よかった。→Youtube
- Vladislav Delay : Vantaa (Raster-Noton)
一方でうるさい音を耳の中いっぱいに受け止めたくなることも多々あるわけで、というか一人の時間なんてほとんどがそういう気分なわけで、周囲のすべてを遮断したくてたまらないわけで、そういうときにこれを聞いていた。どこまでも重いビートがずぶずぶと体の底に下りていき、内側から体を溶かしに掛かるようだった。Vladislav Delay Quartetのアルバムもうるさくてたまらなかった。→Youtube
- Moe and ghosts : 幽霊たち (UNKNOWNMIX / HEADZ)
この人たちの登場には度肝を抜かれた。たいへん早口なのでだいたい聞き取れないままに聞いていて、自分の口角が意味もなく上がり続けていることにしばらくすると気がつく。高速で高音の声が乱高下しながら耳の中を好き勝手飛び回り続ける。2012年もっとも興奮と高揚を覚えた音楽。→Youtube
- Nipps : QB Files Vol.2 (Southpaw Chop)
Nippsという人が誰なのかも知らず渋谷ディスクユニオンに推されるままに買って、何も知らないまま気に入ってよく聞いていた。「NY・クイーンズブリッジ(QB)出身のMCをフューチャーした、NIPPSのミックス作品」とのことで、「ドラマチックかつドス黒く渦巻く楽曲はどれもヤバ」かった。
-Pete Swanson : Man With Potential (Type)
ドローン/ノイズ特集だった『ele-king』で知って買った。ギッチギチでバッキバキなくせにどこまでもポップというか、明るい顔で金属バットを振り落としてくるようなナイスガイ。暴力は音楽に代行してもらう、という2012年のスローガンに見合った一枚だった。→Youtube
他にはMokira『Persona』、いろのみ『Sketch』、Budamunk『Blunted Monkey Fist』、SIMI LAB『Page 1 : ANATOMY OF INSANE』、Dabrye『Two/Three』、Les Mentettes『Songs for an Imaginary Film』とかが好ましかった。
こうやって列挙していくと、流しのCD屋さんであるところのmoderado musicから買ったものがかなり多いことに改めて気がつく。2012年もお世話になりました。
毎年毎年思いながらもなかなかそうならないことだけど、今年はもっともっとヒップホップを聞きたい。
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